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インターネットの歴史(概要)


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インターネットの社会や企業に与えるインパクトに関しては、大部になるので、別シリーズで取り扱っている。


インターネットの歴史

1970年代まで

【米国】ARPANET

「インターネットは米軍のARPANETから始まった」といわれる。確かに、そのきっかけは軍事問題であり、国防総省の管理下で進められた。しかし、その研究は民間の大学や研究所間でのデータ交換システムであり、必ずしも軍事機密的に行われていたものではなく、研究機関同士の円滑な情報交換を重視したものであり、次第に研究用ネットワークへと変化していった。

  • 1958年 ARPA設立
    1957年にソビエト連邦(ロシア)が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げた。当時は米ソ冷戦体制にあり、米国は核ミサイル攻撃に関する研究機関として、DOD(Department of Defense、米国防総省)内に、軍および民間の研究者を集めたARPA(Advanced Research Projects Agency、国防総省高等研究計画局-1972年にDARPA(防衛高等研究計画局)に改称)を設立した。
  • 1961年 アメリカで電話中継基地の爆破テロ
  • 1964年 ポール・バラン(Paul Baran)「分散型通信について」の研究報告書をARPAに提出
    このテロにより、 核戦争時の通信不能が問題視され、核戦争にも耐えうる通信システムの研究が開始される。1ポール・バランは、その通信形態には、現在のインターネットのようなパケット化したデータを迂回路をもつ分散型通信形態が適切であることを報告した。
  • 1969年 ARPANET発足
    アレンの報告は高く評価され、ARPAは、1965年のMITリンカーン研究所とカリフォルニア大学サンタモニカ校の計算機相互間を接続実験を最初に、多数の大学・研究所間でのネットワークの実証実験を行った。その結果、ローレンス・ロバーツはネットワークの全体構想と基本仕様を定めて、ARPANET(Advanced Research Projects Agency Network)とした。その主な機能は次の通りであり、( )内のインターネットの概念と似たようなものであった。
      負荷共有(分散コンピュータ)
      メッセージサービス(電子メール)
      情報の共有(電子掲示板、Webページ)
      プログラム共有(FTP)
      遠隔ログイン(Telnet)
    最初は、発足当時のノードはUCLA、UCサンタバーバラ、スタンフォード研究所 (SRI)、ユタ大学の4か所であったが、すぐに多数の大学や研究所が参加した。
  • 1973年 ARPANETが国際接続
    ノルウェー王立レーダー施設、英国ロンドンカレッジ大学。これが国際間通信の最初となる。その後、多くの国と接続するようになった。
  • 1978年 インターネット運営の国際会議
    国際協力会議(International Cooperation Board)とインターネットコンフィギュレーション管理会議(Internet Configuration Control Board)とその下部に各種タスクフォースを設置した。
  • 1983年 ARPANETの非軍用化
    ARPANETから軍事用ネットワーク(MILNET)が分離。ARPANETは研究目的のネットワークへと変化した。
  • 1990年 ARPANET終了

【技術】インターネットの基本技術の発展

  • パケット交換
    1961年、マサチューセッツ工科大学のクラインロック(Leonard Kleinrock)がパケット交換(Packet-switching)に関する最初の論文を発表。パケット交換は、データを小さなブロックに分割して番号と宛先を付けだパケットして送り、受信側はそれを番号順に並べて再現する方式(参照:「パケット交換」)。
    1964年、ランド(RAND)社のポール・バラン(Paul Baran)がパケット交換網(packet switching networks)に関する論文を提出。これをベースにパケット交換が採用された。
  • 電子メール
    1971年、トムリンソン(Ray Tomlinson)が分散ネットワークの間でメッセージを送信する email プログラムを発明。
    1977年、クロッカー(Dave Crocker)とバイタル(John Vittal)が電子メールの仕様(RFC733)を完成し公表。
    参照:「電子メールが届く仕組み」
  • FTP
    1972年、ポステル(Jon Postel)がファイル転送手順(FTP Protocol)の仕様を公開。
  • TCP/IP
    1974年、サーフ(Vinton Cerf)とカーン(Bob Kahn)がネットワーク相互間の伝送制御手順であるTCP(Transmission Control Protocol)の仕様を発表。
    1978年、サーフ、ポステル、コーヘン(Danny Cohen)がTCPをTCPとIPに分割することを提案
    1981年、TCP/IPが全面的に公開される。
    1982年、ARPANETでの通信プロトコルとして、TCP/IPの使用が決定。
    参照:「TCP/IPの概要」

1980年代

【米国】学術用インターネット

ARPANETが国防総省の管理下による軍用ネットワークとして始まったが、1970年代末には、軍用としての実証研究はほぼ目的を達していた。それに対して、学術研究に研究者間のネットワークが重要だと認識され、自由に利用できる環境の実現が期待されるようになった。

  • 1979年 USENET
    先駆的な研究者用ネットワーク。デューク大学とノースカロライナ大学をUUCP(UNIX-to-UNIX copy connection)で接続したUSENET(USEr's NETwork)を開始。電子掲示板やニュースグループが特徴。
  • 1981年 CSNET開始
    NSF(National Science Foundation、全米科学財団)がスポンサーとなって作られた、大学や民間のコンピュータ研究グループ用のネットワーク。1983年にはCSNETとARPANET間のゲートウェイ接続が行われた。
  • 1986年 NFSNET
    NSFは、スーパーコンピュータの共同利用推進のために5つのスーパーコンピュータセンターを接続したネットワークNFSNETを開始、急速に利用者が増大。1987年には外国機関との接続も始まり、1989年にはARPANETを吸収する形で1990年にはARPANETが終了した。
    このようにNFSNETは大規模化し、後にインターネットのバックボーンへと発展した。そして、商用への移行に伴い1995年にNFSNETが終了した。

【日本】日本でのインターネットの始まり

  • ●JUNET
  • 1982年 東工大、慶應大間を接続
  • 1984年 JUNET開始
    UUCP接続を使って東工大、慶應大、東大間を接続
  • 1986年 JUNETがCSNETに接続
    日本初の海外接続
  • 1991年1 JUNET終了
JUNET(Japan University NETwork)は、日本最初のコンピュータ間接続の研究用ネットワークである。当初では未だTCP/IPがなく、UUCP (Unix to Unix Copy Protocol)で接続され、電子メールやネットニュース(「fj」はJUNETで始まった)等の情報交換を行うシステムであった。なお、日本語の「JISコード」は初期のJUNETで開発された。

  • ●WIDEプロジェクト
  • 1986年 WIDEプロジェクト発足
    日本初のIPネットワーク
  • 1989年 NFSNETと接続、ハワイ経由対米専用線接続
  • 1989年 岩波書店内にNOC設置
    その後、京都、大阪などに多数設置

WIDE(Widely Integrated Distributed Environments Project)プロジェクトとは、村井純らが中心となり、インターネット環境を構築する技術の確立を目指す研究プロジェクトである。WIDEインターネットと呼ばれるTCP/IPベースのインターネット環境の実験的運営を行い、日本におけるインターネットを推進した。その後、全国の大学や研究機関、企業など、100を超える団体が参加して、初期のインターネットの代表的存在になった。

当時は、この分野の意義が認知されておらず、研究費も乏しかった。そもそも最初は、村井純が東工大から慶應大に異動した際に、両大学コンピュータ間でデータ交換を行うことから始まり、東大やNTTなどの同志とアングラで研究し、手作業で構築したのだという。

【技術】DNS

  • 1984年 DNSの採用
    1983年、ポステルらは、ドメイン名とIPアドレスの仕組みであるDNS(Domain Name System)を提案。
    1984年、インターネット全体にDNSを採用。
    参照:「DNSの概念」

1990年代前半

【米国・日本】商用化への道

これまでのインターネット利用は、軍用や学術用などに限定されていた。それが、1980年代末頃になると、一般利用者を対象にしたインターネット接続サービスも認めるべきだという認識が高まった。それを商用と呼ぶ(商取引のことではない)。1990年代前半に商用化が進んだ。

  • 1987年 NSF(全米科学財団)、UUNETに商用利用を認める
  • 1990年 商業プロバイダ、ワールド・コム・オンライン社サービス開始
    一般の人でもインターネットにダイヤルアップでIPアクセスができるようになった。
  • 1991年 NSFはNFSNETに一定の制限をつけて商業用の参加を認めた。
  • 1992年 ISOC(Internet Society、インターネット協会)
    民間機関がインターネットの利用促進やインターネットの規格作成を行うようになった。
  • 1995年 NFSNETが終了し、これでアメリカはインターネット接続を完全商業化することになった。

この頃になると、日本も米国と同期的な動向になり、商用化が進んだ。

  • 1991年 JNIC設立
  • 1993年 JNICを発展させ、JPNICが設立
    NICとは、インターネット上で利用されるIPアドレスやドメイン名などを割り当てる民間の非営利機関。当初は日本ドメイン名「.jp」の登録管理、DNSの運用管理は、JUNET内のボランタリな管理者グループから発展したJNICが引き継いだが、その後、ネットワークプロジェクトを会員とするJPNIC(Japan Network Information Center、日本ネットワークインフォメーションセンター)になった。
  • 1992年 IIJ設立
    IIJ:インターネットイニシアティブ。日本最初の商用インターネットサービスプロバイダ。WIDEプロジェクトの技術者らが中心になり鈴木幸一によって設立される。
  • 1992年 日本で最初のホームページ発信
    初期の日本インターネットでの情報発信ではNTTが大きな役割を果たしている。
    参照:NTT「日本で第1号のポータルサイト」
        http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/exhibit/history/pdf/3F_japan_window.pdf

1980年代中頃から1990年代中頃にかけて、電子メールや電子掲示板などの利用では、インターネット以前にパソコン通信が普及した時期があった。それをサポートしたプロバイダ(BiglobeやNiftyなど)が、インターネット接続もサポートするようになった。→参照:「パソコン通信の歴史」

【技術】WWWとブラウザ

インターネットではWebページ閲覧が最大の利用形態であろう。それを実現しているのが、Webページの記述言語であるHTMLと、それを閲覧するソフトウェアであるブラウザである。これらの基礎は1990年代前半に確立した。

WWW

  • 1989年 ハイパーテキストの提案
  • 1991年 WWWの仕組み公開
    CERN(Centre Europeen de Recherche Nucleaire、スイスのヨーロッパ素粒子研究所)のバーナード・リー(Tim Berners-Lee )は、ハイパーテキストの提案をした。これは、ある文書から他の文書を相互参照できる仕組みである。さらにバーナード・リーは、ハイパーテキストをネットワーク上に接続されたコンピュータ間で利用する仕組みであるWWW(World Wide Web)を開発した。これには、ハイパーテキストの記述言語HTML(Hyper Text Markup Language)と、ハイパーテキストを伝送するプロトコルHTTP(Hypertext Transfer Protocol)、受け取ったハイパーテキストを表示するWebブラウザを含むものであり、Web閲覧の基本技術である。
  • 1994年 W3C設立
    W3C(World Wide Web Consortium)は、WWWで用いられる技術の標準化、相互運用性の確保を目的とする団体である。HTMLなどの標準化は、このW3Cで策定されている。国家や政府に関係なく、WWW技術に関わりの深い企業、大学・研究所、個人などが参加する形で運営されている。

初期のブラウザ

  • 1993年 Mosaic
  • 1994年 Netscape
  • 1995年 Internet Explorer
    バーナード・リーが開発したブラウザでは、画像表示を想定していなかった。米イリノイ大学のUCSA(Center for Supercomputing Applications、国立スーパーコンピュータ応用研究所)は、非常に簡単なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) を備え、画像表示もできるWebブラウザNCSA Mosaicを公開した。これが、インターネットの利用を広めた。
    Mosaic開発の中心人物であったマーク・アンダーセン(Marc Andreesen)は、Mosaic Communications Corporationを設立し、Mozillaというコードネームの新しいブラウザを作ったが、NCSAと法的問題が生じて、社名を社名をNetscape Communications、ブラウザ名をNetscape Navigator(NN)と改めた。
    1995年にMicrosoftは、Windows95を販売した。それにはブラウザInternet Explorer(IE)が同梱されており、インターネット利用者を爆発的に増大した。

1990年代後半:インターネットの爆発的普及

【動向】インターネットの爆発的普及

1995年に発売されたWindows95はIEが標準装備されていたため、Windows95によりインターネットを利用するようになったり、インターネットを利用するためにパソコンを購入する人が急激に増大した。世界的なブームを引き起こし、日本でも1995年には「インターネット」が流行語大賞を受賞したほどである。一般利用者の観点では、1995年がインターネット元年だといえる。

  • 1995年 NFSNET終了。インターネットの完全商業化。
  • 1998年 ICANNの設立
    ICANN(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers):インターネットのIPアドレスやドメイン名などの各種資源を全世界的に調整・管理することを目的とした民間の非営利法人。

【技術】ブラウザ戦争

1990年代後半は、多数のブラウザが発表されてはいたが、Netscape Navigator(NN)とInternet Explorer(IE)がブラウザのシェアを独占していた。NNは1994年でIEは1995年であったため、NNが先行的に独占体制にあったが、IEの急激な追い上げで1999年には逆転し、2000年代の初期には独占に近い状況になった。
 この間、両者ともバージョンアップを繰り返し、激しい競争に突入した。NNは原則有料であった(90日の無料期間を繰り返せば実質的に無料になる)のに対して、IEはOSと同梱されており無償であった。それが不当であると提訴するなどの騒ぎもあった。このような状況を(第1次)ブラウザ戦争という。
 2000年代に入ってから、IEと、Firefox、Opera、Safari、Google Chromeなどとの間に新しいブラウザ戦争が起こり、IEのシェアは次第に低下してきた。


ブラウザのシェア推移 (拡大図)
出典:Wikipedia「ブラウザ戦争」

【影響】失われた10年

1980年代末から1990年代初頭にかけて、大型汎用コンピュータによる集中処理からネットワークで接続した多数のパソコンによる分散処理への移行が進んだ。それをダウンサイジングという(参照:「ダウンサイジング」)。そして、1990年代中頃からはインターネットが普及した。これらは、IT環境に抜本的なパラダイムシフトになった。
 日本は、1980年代末の土地・株バブルの崩壊、それに続く長期の平成不況により、企業はIT投資に消極的になった。ま、政府は、IT革命(後述)の動向への適切な対策が不十分であった。これが、日本の国際競争力を低下させ国家経済を低迷させた原因の一つだといわれている。1980年代までは世界一であった国際競争力は、1990年代を通して低下し、米国はおろか、北欧、東アジア諸国・諸地域にも追い抜かれてしまった。これを「失われた10年」という。
参照:「デジタルエコノミーと失われた十年」


2000年代前半:IT革命

IT革命

  • 2000年 九州沖縄サミット
    インターネットによる社会や経済の影響を重視し、発展途上国へのIT支援が大きな話題になった。
  • 2000年 IT基本法成立
    IT革命に対処し高度情報化社会を実現するための基本方針を示す。2001年、本法により設立されたIT戦略本部は、2005年までに日本をIT先端国家にするための5ヵ年計画e-Japan戦略を策定し推進した。

1990年代後半からのインターネットの爆発的な発展は、身のまわりの生活から国家経済にいたるまで広い範囲に、急激で深刻な影響を与えており、IT革命といわれるまでになった。日本は「失われた10年」を挽回して、国際競争力、国家経済を回復すべく、インターネットへの積極的な取り組みが重視されるようになった。

ブロードバンドの普及

国は、e-Japan戦略の一つの柱として、ブロードバンドの普及を掲げた。実際にはその目標よりも早期に高い普及をした。また、回線料金も急速に低廉化し、2000年頃から世界で最も安価な環境になった。
1990年代中頃では、インターネットやパソコン通信の接続には公衆電話回線を用いていた。伝送速度は2400bps(Mbpsでもkbpsでもない)で3分間10円(市内にアクセスポイントがあったにせよ)である。接続前に閲覧するページをすべて設定しておき、一挙に閲覧(ダウンロード)して、オフラインでじっくり読むという対策をとっていた。3分直前に回線切断をするノウハウが話題になったものである。
参照:「通信の歴史 ブロードバンド」

インターネット利用者の増大

このような環境の整備により、インターネット人口は急速に拡大した。2005年では、家庭でのインターネット接続は80%を超え、すでに飽和期に入ったといってよい。
 日本での特徴は、携帯電話でのインターネット利用(電子メール)が多いことである。携帯電話の利用頻度では電子メールが音声電話を超えており、インターネット人口の多くはパソコンと携帯電話の両方を利用している。


2000年代後半:インターネットの新時代

Web2.0

  • 2004年 第1回Web 2.0カンファレンス開会
  • 2005年 O'Reilly「What Is Web 2.0」を発表
    2000年の中頃になると、インターネットの利用環境は、1990年代と比較して大きく変化した。それをティム・オライリー(Tim O'Reilly)はWeb2.0と表現した。これは特定の技術や用途を指すものではなく、インターネットの第2世代というような意味である。

以降、O'Reillyの定義とは関係なく、2000年代で出現したインターネット利用環境の変化を列挙する。

  • ●Googleの出現
  • 2000年 Google日本語版サービス開始
  • 2004年 Gmail(電子メール情報保存サービス)開始
  • 2005年 Google Map、Google Earth提供開始
  • 2006年 YouTube(動画投稿サイト)買収
  • 2009年 Google Book Searchでの著作権論争
    Googleは、それまでの検索エンジンの概念を大きく変えた。
    ・他人サイトの検索だけでなく、人類の全情報のデジタル提供を企業目的
    ・他サイトからのリンクをランク評価の基本に
    ・多様な検索手段を提供
    ・利用者の情報の無料保管サービス
  • ●ソーシャルメディア
  • 2002年頃 ブログの流行始まる
  • 2004年頃 SNSの流行始まる
    Mixi、2004年サービス開始。会員1000万人以上を誇る国内最大のSNS。
    Facebook、2004年学生向けサービス開始。2006年一般開放。2010年、米国アクセス数でGoogleを抜く。
  • 2006年頃 twitterの流行
    従来のWebサイトは、情報の一方的な流れが主であった。それに対して、これらは、簡単に情報を発信できるだけでなく、それへのコメントなどのレスポンスを得ることを期待している。双方向性のあるWebサイトが増大している。
  • ●集合知の利用
  • 2001年 Wikipedia開始
    Wikipediaはwikiを用いた、不特定多数の著者によるオンライン百科全書。通常の百科全書や辞典にはない項目が豊富にある。信頼性が低いとの意見もあるが、その場合は多数の閲覧者からの指摘により修正されるので、むしろ信頼できるとの意見もある。
  • 2002年 フォークソノミー(folksonomy)
  • 2003年 ソーシャルブックマーキング
    フォークソノミー(folksonomy)インターネットのウェブサイト上の情報に、閲覧者が「タグ」を自由に付け加え、検索できるようにする方法。ソーシャルブックマーキングは自分のブックマーク(お気に入り)を公開共有する方法。これらは、多数の利用者により、情報検索の利便性を高めている。
  • ●クラウドコンピューティング
    対企業では、グループウェアや販売処理、会計処理などの業務システムを、Webで提供する(当然有料)サービスが行われるようになった。その形態には多様な呼び名があったが2006年に、Googleのエリック・シュミットが、「検索エンジン戦略会議」 で「クラウド・コンピューティング」と呼び、それが広く用いられるようになった。

【影響】インターネットの日常化

  • ●「こちら側から向こう側へ」
    個人利用でも企業利用でも、利用者はブラウザを搭載したパソコンを持っているだけでよく、サーバやソフトウェア、データは所有する必要はない。「所有から利用へ」と変化してきたのである。また、そのような変化を「こちら側(パソコン)から向こう側(インターネット=クラウド)へ」と表現することもある。
    「こちら側」の覇者はマイクロソフトであった。「向こう側」のトップランナーはグーグルである。これまでは、両者は互いの分野ですみわけをしていたのであるが、次第に競争関係が深くなってきた。
  • ●ユビキタス社会
    ユビキタス(ubiquitous)とは「(神のごとく)遍在する」という意味。ユビキタス社会とは,どこでも,いつでも,情報機器の存在を意識せずに利用できるほど日常生活に溶け込んだ状態のことで、2000年代中頃からユビキタス社会に突入したといわれるようになった。これにはインターネットが大きく影響していることは当然であろう。