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米国のデジタルエコノミーと日本の失われた十年

キーワード

米国の「ニューエコノミー」、日本の「失われた十年」、IMD


ITの発展と国際競争力

企業の収益性は国家経済や国際競争力に影響します。企業の収益向上にはITの寄与率が大きいことが指摘されています(参照:「情報化投資と企業収益との関係」)。すなわち、IT活用は、国家経済や国際競争力に影響するといえます。

ITの分野では、1980年代末にダウンサイジング(大型汎用コンピュータによる集中処理から、多数のパソコンをネットワークで接続した分散処理への移行)、1990年代中頃からのインターネットの急激な普及がありました。このようなITの発展は、身の回りの生活から国家経済にまで広範囲に急激な影響を与え、2000年頃にはIT革命といわれました。

米国の「ニューエコノミー」

1970年代から1980年代にかけて低迷していた米国経済は,1990年代になると急速に復活しました。米国経済復活の原動力になったのが積極的なIT投資、IT関連企業の成長、BPR(ITを活用した業務改革)の普及など、IT革命に即応できたのが大きな要因だといわれました。
 当然,ITの活用は一時的な大量失業者を発生しましたが,それによる企業の立ち直りやインターネットの急激な普及によりIT分野での求人が増大して,比較的短期間に失業率は急激に低下しました。しかも,失業率が低下したり経済が急速に発展すると,一般的には物価が上昇するのでが定説ですが,情報機器価格の急速な低下や情報を活用した合理化により,インフレなき経済発展が見られたのです。 (図表)
 その現象を従来の経済理論では説明できないとして、ニューエコノミーとかデジタルエコノミーといいました。これは、2000年のITバブルの崩壊、2001年9月の同時テロ事件により米国経済が打撃を受けるまで続きました。 (参照「米国のITバブル崩壊」

北欧・東アジアの競争力向上

1990年代に入ると、フィンランド、オランダ、デンマークなどの北欧諸国は、旧ソ連の崩壊による経済不況からの脱却、西欧との競争などが起こりました。シンガポール,オーストラリア、台湾,香港、韓国などは、日本のバブル期に東京にあった海外事業所が物価上昇を避けて移転したこと、バブル崩壊後の日本の競争力低下により市場に空隙が生じました。
 このような状況において、これらの国や地域は、ITの将来性を認識し、IT関連の投資を積極的に行いました。それが、1990年代後半のIT革命の波に合致し、急速に競争力を高めたのです。

日本の「失われた十年」

1980年代までは「Japan as No.1」(Ezra Feivel Vogel、1979)で「21世紀は日本の世紀」といわれるほど日本製造業の国際競争力は優越していました。ITの分野でも、従来から日本は「電子立国」を旗印に、米国に次ぐ大国になっていました。
 それが1980年代末になると、バブル経済の崩壊,それに続く金融不祥事や不適切な政策などによる長期的な平成不況に陥りました。ちょうどその時期が,ダウンサイジングやインターネットなどITの変動期だったのですが,多くの企業がIT投資を抑制したのです。 (図表)

1990年代でも日本のIT投資はそれほど下がっていない。ITの投資分野や活用方法が不適切で競争力に寄与できなかったのだ。すなわち、企業経営や国の政策に問題があったのだという指摘もあります。

不況とIT革命対応が企業の競争力の遅れ、経済の低迷になり、国際競争力の低下につながってしまいました。IMDの国際競争力ランキングによると,1990年代当初までは,日本は連続して1位だったのですが,1992年から順位が下がりだし,1996年以降は急激に下がってしまいました。米国だけでなく、北欧や東アジアにも遅れをとってしまいました。その後、この1990年代の遅れは「失われた十年」といわれるようにもなりました(2000年代になっても続いており「失われた20年」だという指摘もあります)。 (図表)


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