ここでは、ASP(Application Service Provider)、SaaS(Software as a Service)、クラウドコンピューティング(Cloud Conputing)の歴史を扱うが、その経営への影響については割愛する(参照:「SaaS/クラウドコンピューティング」)。また、個人を対象とした分野も割愛する(参照:「個人向けクラウドサービス」)。
用語の推移
これらの概念は単純にいえば、「プロバイダが所有する情報資源をインターネットを介して利用すること」であり、ハードウェアやソフトウェアを自社で「所有」する形態から、インターネットの向こう側にあるものを必要に応じて「利用」することである。
ASPの時代では、その狙いはよかったのだが、インターネット環境やソフトウェアのオンライン作成・改訂技術が未熟だったため、効果的な利用が困難だった。それらの制約がかなり解決した時代に出現したのがSaaSである。そして、さらに環境が整備されて、データすらインターネットの向こう側に置かれ、自社にはWebクライアントだけがあればよい、すなわち、「所有から利用へ」が現実的になった状況がクラウドコンピュータなのだと捉えればよかろう。
研究者や企業が新しい概念や製品を発表するとき、単に従来の発展形態だというより、新用語を創造するほうがインパクトがある。また、古臭い用語を使っていると、その業務自体が時代遅れと思われるので、同じ業務をしていても、新用語に乗り換えるのは当然である。そのため、あるときは流行語になった用語が、新用語の出現により死語になるのは、どの分野でもよくあることだ。そのような短期間で消滅する用語をバズワード(buzzword)というのだそうだ(参照:「ハイプ曲線(hype-cycle)」)。
ASP→SaaS→クラウドコンピューティングと「用語」の変遷があるが、本質的にはそれらを区別する決定的な要素はなく、発展に応じて用語も変化してきたと理解するのが適切である(反論も多いと思うが)。
ASP以前
- 計算センター時代
企業にコンピュータが導入されるようになった1960年代では、最初から自社にコンピュータを導入する企業は限られていた。多くの企業は、給与計算や決算処理などを社外の計算センターに委託していた。
自社にコンピュータが設置されても、科学技術計算やORなど、非定例的に高負荷がかかったり、特殊なソフトウェアを必要とする用途では計算センターを利用していた。
- ユーティリティコンピューティングの概念
電話や電力・水道などのように、計算センターにあるハードウェアやソフトウェアを、通信回線で接続して、利用した分だけ課金するような形態のことをユーティリティコンピューティング(Utility computing)という。
この概念は、既に1961年にジョン・マッカーシー、1964年にマーティン・グリーンバーガーが提唱していた。1964年に開発されたTSS用OS「Multics」もユーティリティコンピューティング的な利用を意図していたといわれる。
- TSSでの社外機利用
ユーティリティコンピューティングは、研究所や大学では実用されたが、一般企業までには普及しなかった、それが、1970年代の中頃から、TSSを用いてオンライン計算サービスを行う計算センターが出現した。小規模な処理に限定されたが、ユーザは自社に設置したTSS端末から、センターが提供するソフトウェアや自分が作成したソフトウェアを実行することができるようになった。
- ホスティングサービス
1980年代末頃からのダウンサイジング、1990年代中頃からのインターネットの急速な普及により、多様なサーバが設置されるようになった。それに伴い、プロバイダのサーバ資源をサービスするホスティングサービスが出現した。
当初は、ディスク容量の貸し出しやサーバの運用だけのサービスであったが、すぐにプロバイダが用意したアプリケーションも提供するようになった。ASPの出現である。
ASP・SaaS・クラウドの「用語」の歴史
現在でもASP的なサービスが行われているが、そのようなサービスでも現在ではクラウドコンピューティングと称している。ここでは、それらの用語がいつごろから使われ広まったのかを振り返る。
「ASP」の歴史
- ASPの起源
上述のように、1990年代後半には、ASP的なサービスが広がってきた。IT業界では、ISP(Internet Service Provider)、CSP(Contents Service Provider)、MSP(Management Services Provider)など、多様なxSPが存在している。ASPもそれらとの連想で自然に名づけられたのであろう。
ASPという言葉は、米国では1998年頃に使われはじめ、1999年5月に「ASP Industry Consortium」が創設された。日本では同年11月に、ASPIC(ASPインダストリ・コンソーシアム・ジャパン)が創立された。創立メンバーは85社に及び、日本でのASPへの関心が高かったことを示している。
2000年には雑誌・新聞に取り上げられ、急速に認識が高まった。多くの計算センターやデータセンターがASPを名乗るようになった。
- ASPの消滅
「ASPが所有するサーバにあるアプリケーションをインターネットで利用する」ことは、当時の状況ではかなり困難であった。
インターネット回線料金の低減、ブロードバンドの普及が実現したのは2003年頃である。それまでの環境では、業務に不可欠なITを全面的にインターネットにゆだねることはできなかった。特に、大量のデータ転送を必要とする自社コンピュータの既存アプリケーションと連携するのは困難だった。
オンラインでのシステム変更技術が未熟だった。ASPが提供するアプリケーションを自社用にカスタマイズするには、プロバイダに依頼してバッチ的に行う必要があった。
そのため、ASPの利用とはいっても、インターネットでの商取引(BtoBやBtoC)などの分野、グループウェアの分野などに限定されることが多かった。
このような事情により、2000年代中頃には初期のASPは冷めてしまった。その頃、SaaSが話題になり、ASPは死語になった。
「SaaS」の歴史
- SaaS出現の背景
1990年代中頃から、ERPパッケージが急速に普及した。ERPパッケージは、それまで自社固有の仕様で個別に構築していたのを、標準的で優れた統一的な観点で開発された市販パッケージにすることであり、情報システムの調達を「MakeからBuyへ」に移行するものである(参照:「ERPパッケージ」)。
ERPパッケージは、会計、人事、販売などのレベルではモジュール化されていたが、あまりにも広範囲なレベルであり、非常に高価であった。2000年代になると、廉価化の一環として、受注、在庫管理、配送、売掛金管理のような細かいレベル(この単位をサービスという)に分割する必要があった。
1999年、Salesforce.comはERPパッケージ「Salesforce CRM」を発表した(CRM=Customer Relationship Managemant、参照:「SFAとCRM」)。ここでは、アプリケーションを細分化しており、利用者は必要な部分だけを組み合わせて利用することができた。
この好評により、多くのERPパッケージが追従した。
- 初期のSaaS
Salesforce.comは2005年に「AppExchange」2006年に「Apex」を発表した。
AppExchangeは、Salesforce CRMサービスと同じインフラ上にパートナー企業やユーザが新たなアプリケーションを構築して公開する仕組みで、それらを組み合わせることにより、業務にマッチしたシステムを選択しやすくなる。そのためのAPI「Apex WebサービスAPI」も公開した。
Apexは、Javaに似たオンデマンドプログラミング言語でサーバ側で動作する。これとApex WebサービスAPIを組み合わせることにより、アプリケーション開発や改訂が容易になる。従来のASP時代でのカスタマイズの困難性が低減された。
この頃から「SaaS」という用語が使われるようになってきた(筆者からのお願い:「SaaS」の命名者を調べているのですがわかりません。ご教示くだされば幸甚です)。
システム工学の分野では、ソフトウェアのモジュール化と再利用が重要である。古くからサブルーチン、オブジェクト指向、コンポーネント指向など概念が発展するのに伴い、モジュールの粒度が大きくなってきた。2000年代中頃には、受注とか出荷など業務レベルの単位にまで大きくなってきた。この単位をサービスといい、その方法論をSOA(Service-Oriented Architecture)といわれるようになった。このサービスのレベルで提供するという意味でSaaS(Software as a Service)といわれるようになったのだろう。
- SaaSからクラウドへ
2006年、Microsoftは「Software Plus Service」戦略を発表、ここでは「SaaS」だけになっているが、2007年7にSalesforce.comが「SaaSからPaaSへ」というコンセプトを発表。その後、多様なXaaSが提唱される。
そこでの定義が云々されている間に「クラウド」が出現。SaaSはクラウドのコンポーネントの位置に転落した。
「クラウドコンピューティング」の歴史
- クラウドの命名者
「cloud=雲」であるが、従来からインターネットを図にするとき雲のような図形を用いていた。それで、インターネットを高度に活用した環境をクラウドコンピューティングというのは自然な発想だともいえる。
クラウドコンピューティングという言葉は,1997年に南カリフォルニア大学(当時)のチェラッパ(Ramnath Chellappa)により提唱されたが当時は普及しなかった。
2006年にGoogleのCEOであったエリック・シュミット(Eric Emerson Schmidt)がこのコンセプトを再度提唱し、自社のサービス群を「クラウドコンピューティング」と呼んだ。これが、急速に認識度を高めたのだという。
- クラウド製品の続出
2000年代後半、特に2008年・2009年にはクラウド関連技術が急速に普及した。
・2006年 Google App Engine(限定版)
・2006年 Amazon EC2(β版)
・2008年 GAE(Google App Engine) 一般公開
・2008年 Amazon EC2 正式版
・2008年 Microsoft「Windows Azure」
「Microsoft Business Productivity Online Suite」
・2009年 Sunmicrosystems「Open Cloud Platform」
- 相互運用性への対応
クラウドコンピューティングを効果的に活用するには、一社のサービスに取り込まれるのでなく、各社のサービスのいいとこどりができる環境-相互運用性とそれを支える仮想化技術-が重要になる。そのための組織が続出している。
・2009年 OCM(Open Cloud Manifesto)
クラウドベンダの順守6原則を策定。
これを機会にクラウドの標準化についての議論が盛んになる。
Amazon、Google、Microsoftが不参加で話題に
・2009年 OSCI「Open Cloud Standards Incubator」
仮想化およびIaaSレイヤでの相互運用性の向上
・2009年 OCC(Open Cloud Consortium)
複数のクラウド・サービスを利用する際の相互接続性の向上を目的
産学協同の大規模実証実験プロジェクト
・2011年 NIST(アメリカ国立標準技術研究所)クラウドコンピューティングの定義
- 「クラウド」は死語になるか?
2012年現在、IT関連の話題は「クラウド」一色である。マスコミでは電力や水管理など社会インフラの統合管理システムまでクラウドというなど「IT=クラウド」の状況になっている。
自社内オンラインシステムはプライベートクラウドと呼ばれ、個人利用での電子メールログや画像ファイルの保管サービス、共有サービスはパーソナルクラウドと呼ばれる始末である。
いつかはクラウドも死語になろうが、現在ではその予兆はない。
公的機関での用語の推移
用語の知名度があがってから採用するためか、上記の時期とはやや遅れている。「SaaS」は2007年頃に「ASP・SaaS」と併記されるようになり、そのうち「ASP」が外れるようになった。2009年頃から「クラウド」が採用されている。
- ASPIC
ASPICは、特定非営利活動法人として、ASPなどの推進に関して中央官庁に協力している。
1999年 「ASPインダストリ・コンソーシアム・ジャパン」の名称で発足
2007年 総務省と合同で「ASP・SaaS普及促進協議会」を設置
2008年 「ASP・SaaSインダストリ・コンソーシアム」に名称変更
2010年「クラウド・ASP・SaaSイノベーションシンポジウム」開催
- 中央官庁
国は、中小企業IT推進にASPやクラウドの活用を奨励している(参照:「国のSaaS推進政策」)。経済産業省の公表資料の名称は次のように変化してきた。
2008年 「SaaS向けSLAガイドライン」
総務省「ASP・SaaS における情報セキュリティ対策ガイドライン」
2008年 「中小企業向けSaaS活用基盤整備事業」を開始。2009年J-SaaS開始
2009年 「クラウドコンピューティングと日本の競争力に関する研究会」設置、2010年報告
2011年 「クラウドサービス利用のための情報セキュリティマネジメントガイドライン」
参考URL