スタートページ> (主張・講演、 Web教材) 歴史> 周辺機器の歴史
日本で本格的にコンピュータ導入が始まったのは1860年代である。現在では、データやプログラムを作成してコンピュータに入力するには、ディスプレイ付のキーボード(パソコン)を用いているが、1970年代中頃までは、紙のテープやカードを穿孔して、コンピュータに入力していたのである。紙テープはテレタイプ、カードはパンチカードシステムで用いた機器が使われていた。
ここでは、汎用コンピュータの初期において、タイプライタ、テレタイプ、カードパンチシステムなどの先行技術が、どのように生かされたか、どのように消滅していったかを取り扱う。
関連ページ:
「タイプライタの歴史」、
「テレタイプの歴史」、
「パンチカードシステムの歴史」
米国では、コンピュータ以前にパンチカードシステムが普及していた。そのため、カードはホレリスカードが標準仕様になっており、カード穿孔装置は広く用いられていたし、カードの読取機構は多様な機器に組み込まれていた。
通信ではテレタイプが普及していた。テレタイプでは紙テープが用いられており、テープ穿孔機能、テープ読取機能をもつタイプライタが使われていた。それをそのままコンピュータに利用することができる。
紙テープ装置は、カード装置より早期に国産化した。1960年代の初頭には実用機だ出揃い、それ以降は高速化が進んだが、磁気テープや磁気ディスクの普及により、紙テープ出力が不要になったので、特記する事項はない。
紙テープは安価であるが、エラーがあったときは修正が面倒である。エラーの部分を探すのが大変だし、修正するにはその部分を鋏で切り取り、穿孔し直したものを接着テープで貼りつけるという手作業で行う。再度読み取らせると接着部分でまたエラーになる・・・・。
コンソールとは制御卓のことである。コンピュータへの指示やコンピュータからのメッセージ表示に、通信機能付きのタイプライタが使われた。その代表的なものが、1961年にIBMは発売したタイプボール式電動タイプライタ IBM Selectric typewriterである。IBMコンピュータだけでなく、国産機でも初期にはこれを採用するケースが多かった。
日本でTSSが広く活用されるようになったのは1980年代であり、その頃には端末はディスプレイ付の端末やパソコンが使われていた。それ以前の試行的なTSS利用や計算センターによるTSSサービスでは、Teletype社のASR-33(1963年)や携帯用のTSS端末Texas Instruments社のSilent 700(1976年)などが使われていた。
大量データのオフライン入力機器としての穿孔装置は、磁気テープや磁気ディスクに直接入力する機器へと移行した。これらの機器は、データエントリサービス会社で普及したが、一般企業ではこれらの機器を利用するような大量データエントリは外注するのが通常であった。
1964年 MDS(Mohawk Data Sciences)社、最初のKey to Tape装置発売
1970年 INFOREX社、「1301 Key to disk system」
1972年にIBMは、ターミナル表示装置サブシステム「IBM 3270」を発表した。これは、コンピュータとのコミュニケーションを行う装置で、表示・制御装置、リモート制御装置、プリンタなどの集合体であり、コンソールタイプライタや高速のデータ入出力装置として使用する。
その表示・制御装置が「IBM 3279」であり、コンソールタイプライタ、TSS端末、紙テープ・カード穿孔装置に置き換わるものである。
国産各社もこれに類似した装置を開発。それにより、ディスプレイ付キーボードへの移行は急速に進んだ。
さらに1980年代になると、パソコンがビジネスに普及するとともに、オンライン端末がパソコンに移行する。
1981年 富士通「FACOM 9450」
1981年 NEC「N5200」
1983年 IBM「IBM 5550」