スタートページ> (主張・講演Web教材歴史コンピュータ出現以前

パンチカードシステムの歴史

コンピュータ出現以前に、特に米国では、紙カードを用いた大量データ処理が行われていた。それをパンチカードシステムとかタビュレーティングマシンという。そこでのカードやカード穿孔・読取装置は、コンピュータシステムでも、ディスプレイ付のキーボードが普及する1970年代中頃まで用いられていた。


参考URL


パンチカードシステムとは

パンチカードシステム(PCS:Punch Card System)は和製英語で、米国ではタビュレーティングマシン(Tabulating machine)という。コンピュータ出現以前に、大量の事務処理に活用された形態である。

その特徴は、穿孔されたカードが記憶媒体になっていることである。すなわち、穿孔されたカードをソート/マージ/仕分けしたり、集計して編集し印刷したり、計算結果を新しいカードに穿孔したりすることにより処理するシステムである。
 その処理は、個々の処理のために作られたカード分類機(カードソーター)や作表機(タビュレーター)などの機械群を通すことで行われる。また、個々の機械の処理を指示するプログラムは配線板の配線を行う(プラグボード制御盤に差し込み穴の配列があり、これらの穴を導線でつなぐ)ことで実現していた。

コンピュータの実用化により、パンチカードシステムは使われなくなったが、これらの機器は補助機器として残った。特にカード穿孔機やカード読取機(カード装置と総称する)は、ディスプレイ付のキーボードが普及する1970年代後半まで、汎用コンピュータのプログラムやデータの作成のために重要な周辺機器となった。

カードを多数の機器群で用いるので、カードの形状や穿孔コードの標準化が重要である。IBMはパンチカードシステム時代の発展期に大きなシェアを獲得した。そしてIBMが採用していたカード仕様が、コンピュータ時代に継承されたのである。

パンチカードシステムでの主な機器群


カード穿孔機:IBM 026 keypunch(1949)とカード

カード分類機:IBM 082 card sorter(1949)とボード部

作表機:IBM 407 Accounting Machine(1949)とボード部(配線)
出典: Columbia University Computing History IBM 026IBM 082IBM 407
(いずれも図をクリックすると拡大図が表示される)

パンチカードシステムの歴史

パンチカードシステムの始まり


ホレリスのカード穿孔機(左)と操作部拡大図(右)
出典: kyo_oomiya「ホレリスのパンチカード穿孔機」

Hollerith Census Tabulator(1890) (拡大図)
出典: Columbia Univ.「Hollerith Census Tabulator」

パンチカードシステムの発展

1900年~1950年の間がパンチカードシステムの実用期であった。主要メーカーは、
  ホレリス系:Tabulating Machine →C-T-R Company → IBM
  パワーズ系:Powers → Remington Rand (→Unisys)
の2社である。

IBMの設立

  • 1896年 ホレリス、Tabulating Machine社設立
    米国国勢調査での実績により、パンチカードシステムの効果が認識され、民間企業を含む需要が増加。
  • 1911年 C-T-Rカンパニー設立
    タビュレーティング・マシーン・カンパニー、コンピューティング・スケール・カンパニー(秤のメーカー)、インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー(タイムレコーダーメーカー)が合併、C-T-R(Computing-Tabulating-Recording)カンパニーとなる。IBMでは、この年を同社創立の年としている。
  • 1914年 ワトソン・シニア(Thomas John Watson, Sr)が初代社長に就任
  • 1924年 社名をIBM(International Business Machines)に変更
    この間に、ホレリス系のパンチカードシステムが先行独占的な地位を獲得した。

パワーズの挑戦

  • 1910年 国勢調査にパワーズ機を採用
    国勢調査局とホレリスの関係はうまくいかず、ホレリスの初期の特許は20年を超えて消滅していた。国勢調査局はパワーズ(James Powers)にタブレータの改良を行わせ、印刷機能をつける改良が行われた。そして、1910年の国勢調査にパワーズのタブレータを使用した。
  • 1911年 パワーズ、Powers Accounting Machine社を設立
  • 1914年 Powers Tabulator開発
    パワーズの代表的なタブレータである。印刷機能との連携、穿孔でのタイプライタと同じキーボード、誤り防止の機能などが採用されている。
  • 1927年 レミントンランド、Powers Accounting Machine社を吸収。
    レミントンランド(Remington Rand)は、第一次世界大戦中の拳銃製造、汎用コンピュータUNIVACでも有名。1955年にスペリー(Sperry)と合併し、さらに1986年にバローズ(Burroughs)に吸収合併されユニシス(Unisys)となった。

パワーズ系のパンチカードシステムは国勢調査局との関係やPowers Tabulatorなどの新規工夫により、一時はホレリス系を追撃したのであるが、ホレリス系の圧倒的な実績、ワトソンの経営力には勝てず、この分野での勢力を失っていいった。

レミントンランドでは、Univac用のカードにホレリスカードではなく、90欄丸穴のカードを採用していた。しかし、コンピュータの分野でもIBMとの競争に敗れ、この90欄カードも使われなくなった。


Univacの90欄カード (拡大図)
出典: Wikipedia「パンチカード」

パンチカードシステムの衰退

米国でのパンチカードシステムは、1950年代までに広く普及した。第二次大戦終戦以降も経済の米国集中による活況により需要が増大した。
 1960年代になると、コンピュータが実用化されてきた。パンチカードシステムでは、個々の機械は単一処理しかせず、一連の処理をするには、機械の間を大量のカードを人手で受け渡ししなければならない。コンピュータを用いれば、いったんカード読取装置からコンピュータに入力すれば、一連の処理はコンピュータ内で行われるし、データの記録も磁気テープや磁気ディスクが利用できる。その優劣は明白であり、パンチカードシステムは急速にコンピュータシステムへと移行した。

パンチカードシステムを構成したいた機器のうち、タブレータのような計算処理や印刷を行う機械はコンピュータに置き換わった。しかし、カード穿孔装置はコンピュータの入力機器として、ますます需要が増大した。ソーターなどは穿孔から入力までの補助装置として用いるというように、特に必要ではないがある間は有効に使うような機器もある。このように、一斉に置き換わるのではなく、自然消滅していったのである。

日本でのパンチカードシステム

川口式電気集計機

1920年(大正9年)の第1回国勢調査にパンチカードシステムを利用すべく、早期から開発が行われた。
 1905年に、逓信省技師の川口松太郎は川口式電気集計機を開発した。これが日本初のパンチカード・システムとされる。1890年の米国国勢調査に用いたホレリスの機械と類似した機構になっている。
 この機械は、「明治37年人口動態統計調査」の集計に実際に利用されたのだが、1923年の関東大震災により11台中10台が焼失し、国勢調査はホレリス式の機械を輸入して処理された。

戦前はほとんどが輸入

川口式電気集計機や逓信省電気試験所による改良機など国産化も試みられたが、ほとんどがホレリスとパワーズの輸入であった。
1923年 パワーズ:内閣統計局、鉄道省、横浜税関等が採用
1925年 パワーズ:日本生命
1925年 ホレリス:日本陶器
1934年 バロース:日本生命
1934年 ホレリス:帝国生命
1937年 ホレリス:住友生命
1938年 ホレリス:第一生命
1938年 ホレリス:川崎飛行機

1920年代では、米国でパワーズが活躍した時代であり、日本でもパワーズがほとんどであった。特に鉄道省の規模は世界最大といわれた。
 それが、1930年代になると米国でIBMが独占的地位を得るとともに、輸入機もホレリスになっていくとともに、日本での活動を行うようになった。
1925年 森村組、IBMの日本代理店になる
1937年 日本ワットソン統計会計機械株式会社設立
(1950年 日本IBMに社名変更)

戦後は、コンピュータへ

戦後になると、
1947年 塩野義製薬、IBM 1948年 厚生省統計調査部、レミントン・ランド など、いくつかの例があるが、まもなく時代はコンピュータの時代になる。

すなわち、日本でのパンチカードシステムは、利用企業は公官庁や保険業が主であり、一般の企業ではパンチカードシステムを体験せずにコンピュータの導入をした。メーカーでは、パンチカードシステムとしての機器の国産化は定着せず、汎用コンピュータの入力装置としてのカード穿孔装置やカード読取装置の開発が行われることになった。