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オフィスソフトの歴史


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代表的なオフィススイートの歴史

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代表的なオフィススイート、オフィスソフト

開発メーカースイート名ワープロ表計算プレゼンテーションその他
Micro Pro単体
 
WordStar
(1978)

 

 
 
 
Dan Bricklin、Bob Frankston単体
 
 
 
Visi Calc
(1979)

 
 
 
Microsoft単体
 
 
 
Multiplan
(1982)

 
 
 
WordPerfectWordPerfect Office
(1982)
WordPerfect
(1982)
Quattro Pro
 
Presentations
 
 
 
AppleAppleWorks
(1984)
WordProsessing
 
SpredSheet
 
Presentation
 
 
 
LotusLotus SmartSuite
(1989)
WordPro
(1988)
Lotus 1-2-3
(1983)
Freelance
(1986)
Organizer,Notes
 
MicrosoftMicrosoft Office
(1989)
Word
(1983)
Excel
(1985)
PowerPoint
(1987)
Outlook
 
キングソフトWPS Office
(1989)
Writer
(1989)
Spreadsheets
 
Presentation
 
 
 
CorelCorel WordPerfect Office
(1991)
WordPerfect
 
Quattro Pro
 
Corel Presentations
 
 
 
ジャストシステムJUST Office
(1999)
一太郎
(1985)
三四郎、Calc
 
花子、Focus
(1987)
Shuriken
 
Sun MicrosystemsStarOffice(StarSuite)
(1999)
Writer
(1985)
Calc
 
Impress
 
 
 
AppleiWork
(2005)
Pages
(2005)
Numbers
(2007)
Keynote
(2003)
Mail
 
GoogleGoogle Apps
(2006)
Google Docs
(2006)
Google Docs
(2006)
Google Docs
(2007)
Gmail
 
The Document FoundationLibreOffice
(2010)
Writer
 
Calc
 
Impress
 
 
 
ApacheApache OpenOffice
(2012)
Writer
 
Calc
 
Impress
 
 
 

関連年表

1973年 CP/M 最初のパソコン用OS
1977年 AppleII  Apple-DOS(CP/Mベース) VisiCalcを搭載
1981年 PC-DOS 1.0 マイクロソフトが86-DOSをIBM用にカスタマイズ
    IBM5150(IBM-PC)PC-DOS(MS-DOS)
    MS-DOS 1.0 PC-DOSをマイクロソフト版として発表
1986年 漢字Talk1.0
1987年 OS/2(IBM、Microsoft共同開発)
1987年 MacintoshII、MacOS
1990年 DOS/V (PC-DOSの日本語表示)
1992年 Windows 3.1 GUI環境のWindows
1995年 Windows 95 Microsoft Office搭載
2001年 Windows XP:64bitOS
    MacOS X:UNIXベース
2008年 iPhone OS:スマートフォン用OS、後にiOSとしてiPad用にも
    Android[Google」:スマートフォン用OS
2015年 Windows 10

オフィスソフトの歴史

発表年などの時代は、本文では、「参考URL」からいただいたので正確だと思いますが、(個人的回想)では私の記憶によるもので、年代的に矛盾があるかもしれません。

初期のオフィスソフト(~1980年代初頭)

1980年代になると、パソコンが広く利用されるようになっていた。ワープロソフトや表計算ソフトはビジネスに不可欠なツールである。そのため、パソコンがビジネスに利用されるとすぐに開発された。むしろ、ソフトを利用するために。そのソフトを搭載したパソコンが売れるという状態でもあった。
 米国ではサラリーマンが自分で所得税申告を行うため、AppleIIが普及したともいわれている。

1980年代初頭でのパソコンOSは、CP/M(Apple系に多い)とMS-DOS(Microsoft.IBM系に多い)の2つが主流になっていた。
 それぞれのパソコンを対象に、多様なオフィスソフトが出現した。しかし、当時は未だスイートという概念はなく、個々のソフトとして販売された。

プレゼンテーションソフトは、未だ普及していなかった。

オフィスソフトの百花繚乱(1990年代前半)

 発表年  スイート名     ワープロ    表計算    プレゼン 
1982年 WordPerfect Office WordPerfect  Quattro Pro Presentations
1984年 AppleWorks     WordProsessing SpredSheet  Presentation
1989年 Lotus SmartSuite  WordPro    Lotus 1-2-3 Freelance
1989年 Microsoft Office  Word      Excel    PowerPoint

LotusとMicrosoftの競争

1983年頃から、本格的なオフィスソフト開発競争になった。米国では、Lotusが先行し、Microsoftがそれを追うという構図になる。
 ロータス社(Lotus Development Corporation)は、1982年にケイパー(Mitchell David Kapor)とザックス(Jonathan Sachs)によって創設された。1983年にLotus 1-2-3を発売した。IBM PCやIBM互換機用の表計算ソフトにはすでにMicrosoft Multiplanが16ビット移行していたが、Lotus 1-2-3は機能の豊富さや高速性により、急速にシェアを伸ばした(世界的にはLotus 1-2-3のほうが優勢だったが、日本では、MultiplanがビジネスパソコンのIBM5550に搭載されたこともあり、Multiplanのほうが優勢だった)。
 その後、ロータスは企業買収を重ねて、Freelance Graphics、Ami Pro、Approach、Organizerなど多様なオフィスソフトを販売する。
 一方、マイクロソフトは1982年のMultiplan、1983年のWord、1985年のExcelなどによりロータス社に追撃する。これらは当初IBM互換機に対抗するApple社向けに開発され、その後自社のMS-DOS用に移植された。しかし、1980年代ではロータスのシェアを崩せるまでには至らなかった。

国内オフィスソフトの事情

国内でもオフィスソフトへの対応は素早く、LotusやMicrosoftの動きに即応したが、日本では独自の特徴があり、それが国内市場に大きく影響した。
 ワープロソフトでは日本語の取り扱いのため、海外製品普及の障壁になり、国産製品の普及を促進した。1978年に最初のワープロ専用機(東芝)が発売された。1980年には、NEC「文豪」、富士通「OASYS」、翌年にはシャープ「書院」が発売されるなど急速な普及をしていた。
 パソコン用ワープロソフトでは、当時国民機といわれるほどのシェアをもつNECパソコンを対象にした松(管理工学研究所)と一太郎(ジャストシステム)が先行した。その成功に刺激され、他のパソコンメーカーもワープロソフトの開発に参入する。
 日本語では、ローマ字やカナから漢字に変換するEFPが大きなウエイトをもつ。JIS漢字コードが普及する以前に各社が独自のEFPを開発しており、互換性に乏しかった。
(EFPではMicrosoftのMS-IMEが広く使われているが、初代のMS-IMEは日本のエー・アイ・ソフトが自社の日本語入力システムのために開発したものをMicrosoft Windows 3.1のためにOEM納入したものである。)

日本ではオフコン(オフィスコンピュータ)の影響が大きい。汎用コンピュータへの取り組み以前の1961年に小型事務用計算機として始まり、1970年代にはオフィスコンピュータとして独自の高度発展をしていた。そこでは、帳票作成機能から発展した表計算ソフト類似のソフトやワープロソフトがあった。
 NECのN5200ではLANシリーズ、富士通のFACOM9450ではEPOシリーズというワープロ、表計算、グラフ作成などを統合したオフィススイートになっていたのである。
参照:「オフィスコンピュータの歴史」

NECは、1982年にPC-9801(OSはMS-DOS)を発表。以降、PC-9800シリーズは日本のパソコン業界で圧倒的なシェアを持つようになった。1980年代前半では、「PC-9800で、ワープロソフトはジャストシステムの一太郎、表計算ソフトはLotus1-2-3を使う」ことがビジネスパソコンでの典型であった。
 富士通のワープロソフト OASYS は、オフコン用に開発されたのであるが、パソコン用に移植された。富士通は汎用コンピュータで大きなシェアをもっており、その端末としてパソコンが使われるようになり、その日本語入力としても OASYS が利用された。独特の機能をもち、ワープロ技能試験などでは OASYS が好評だった。しかし、 OASYS は富士通以外に移植できないことから、普及は限定的であった。

Microsoft Officeのデファクトスタンダード化(1990年代後半)

世界の動向

1990年代当初からパソコンは32ビットになってきた。Microsoft Officeは32ビットに即応したのに対してロータスは遅れをとり、次第に優位性が低下してきた。それを決定的にしたのが、1995年のWindows95の出現である。Windows95は急激に普及して、Apple以外のほとんどのパソコンがWindows95を搭載するようになった。そして、Windows95を搭載機の多くがMicrosoft Officeをプレインストールした。これによりMicrosoft Officeのシェアは絶対的なものとなり、WordやExcelがデファクトスタンダード化したのである。

日本での動向

日本では、1990年のDOS/V、その利用環境としての1993年のWindows3.1が大きな転機である。それまでは、日本のオフィスソフトは、日本語の壁、非互換性により市場が安定していた。それが、どのパソコンでも(海外機でも)日本語が自由に扱えるようになったのである。
 海外のオフィスソフトは、これまでにも日本語対応をしてきていたが、パソコンごとに対応する必要があり、不十分なものだった。国産パソコンも独自路線ではなく、IBM互換機(すなわちDOS/V機)へと移行するようになった。そのような変化により、WordやExcelが急速に選択の対象になった。

1990年後半になると、ワープロ専用機からパソコンへの移行が顕著になった。オフコンも次第にパソコンへと移行した。そのためパソコンでのオフィスソフトがさらに重視されるようになった。
 1990年代後半では、ジャストシステムとMicrosoftの競争になった。表計算ソフトの三四郎はExcelに負けていたが、ワープロソフトの一太郎(EFPのATOK)は圧倒的多数の利用者をもっていた。しかも当初のWord(MS-IME)は日本語変換が幼稚だった。しかし、次第にWordの改善が進み、WindowsOSやOffice全体との関係からWordが優勢になり、数年の間に、日本でもMicrosoft Officeがデファクトスタンダード化した。

Wordへの変換での苦労(個人的回顧)
私の所属していた会社でも、多様なEFPが乱立しており、Word に統一する必要があった。使い勝手の苦情もあったが、苦労したのは情報資産であるファイルをWord 形式に変換する作業だった。社内の力関係により、変換作業をシステム部門に押し付けられることが多かった。
幸い、多様な変換ソフトが提供されていたので、通常の文章は比較的容易に変換できたのだが、罫線のような特殊形式は変換できす、手作業で書き直す必要があった。その作業量があまりにも多く「罫線は非行の始まり」と嘆いたものだった。

Microsoft Officeの歴史

 OfficeWordExcel 
1982  MultiplanExcelの前身
1983 1.0 for DOS  
1985 2.0 for DOS1.0 for MacExcelはMac版が先行した
1989 1.0 for Win1.0 for WinWindows対応
1992   Access発表
1993 Word4.0 for Win最初のOfficeスイート
19944.2 for Win6.0 for Win5.0 for Winこの版がヒット、PowerPoint発表
199595 for Win95 for Win95 for WinWindows95対応、Accessが入る
1997   Outlook発表
19992000 for Win2000 for Win2000 for WinHTMLとの連携
2001XP2002 for Win2002 for WinWindowsXP
200320032003 for Win2003 for Win 
200720072007 for Win2007 for WinXMLベースに( 注)
2011Office 365(注2)
201920132019 for Win2019 for WinWindows10

(注1)Windows 2007版から、ファイルの持ち方が大きく変わった。
95版から2003版までは、バイナリ形式だったのが、2007版からはファイルはZip 形式でもち、その内部は機能的に分割され、それぞれがOpenXML形式で記述される。
WordやExcelなどのコンポーネントには共通する機能が多いが、それを同じXMLデータにできるので、インタフェースが共通化され、使い方が同じになるし、コンポーネント間の連携が容易になる。
反面、互換性を失った。「純粋の」2007版では、2003版のファイルが使えなくなった(2007版の内部に2003版のオプションを持ち、カバーしているが)。

        2003版以前 2007版以降
 ファイル形式  バイナリ  OpenXML
 Word       doc    docx
 Excel       xls    xlsx
 PowerPoint    ppt    pptx

(注2)クラウド環境での定額化
パソコンへインストールするときに課金するのではなく、クラウド上にOffice利用環境を作り月単位で定額を課金する提供方式もサポートした。最低月額1,030円(当時)

Microsoft Office 互換スイートの出現(1990年代後半、2000年代)

1990年代後半にMicrosoft Officeがデファクトスタンダードの地位を得たのであるが、逆に。Microsoft Officeの価格があまりにも高く、暴利をむさぼっているとの批判が高まった。
参照:ITpro「本当に許されるのか,WindowsとOfficeの驚異的な利益率」
 そして、Microsoft Office対抗策として低価格やオープンソースのオフィスソフトが数多く出現するようになった。次第にシェアを高めつつあるが、未だMicrosoft Officeの販売は低下していないし、ほとんどのソフトがMicrosoft Officeとの互換性を重視するなど、デファクトスタンダードとしてのMicrosoft Officeの地位はかわっていない。

(注)アシスト(個人的回想)
アシストはビル・トッテンが1972年に設立した日本法人。初期は主に米国のオープンソフトを国産パソコンに移植して販売していた。「気にいったら購入してください、使わないならお金はいりません」という販売方式で顧客を獲得した。
同社が躍進したのは、1976年の簡易言語 EASYTRIEVE (後に「EASYTRIEVE PLUS」に拡張)である。当初、同社は監査目的としていたが、私はエンドユーザ用言語として、TSS環境でのエンドユーザが自らデータウェアハウスのような利用、ローカルシステム構築などに適用。エンドユーザコンピューティングを推進した。
次に私が注目したのは、1985年年の IDEAL(ADR社開発) だった。すでにRDB(リレーショナルデータベース)は知られていたが、当社のコンピュータ性能では無理があった。この IDEAL は安価だったし、制限はあるもののSQLが動いた。システム部門のRDB研究用と極小規模なファイルに限定したデータウェアハウスに適用した。
このように、1980年代において、アシストは日本のシステム部門に大きな影響を与えていた。
参照:アシスト「アシスト・ストーリー」https://www.ashisuto.co.jp/corporate/about/story/

オープンソースのオフィススィートが出現

StarOffice(StarSuite)をベースとして、OpenOffice.org、Oracle Open Office、LibreOffice、Apache OpenOffice などのオフィススィートが出現した。その過程で、これらのオフィススィートはオープンソースになった。

クラウド型オフィススィートの出現(2000年代後半)

従来のオフィススィートは、ソフトウェアを購入しインストールして利用していた。バージョンアップのたびに再インストールが必要になり、コストも労力もかかった。
 それに対してクラウド型オフィススィートでは、クラウド上のソフトウェアを、Webで利用できる。バージョンアップは自動的に行われので常に最新版が利用できる。
 課金は月(年)単位の定額制のサブスクリプションが適用される。金額はユーザ側の規模などにより多様なランクがある。

Googleドキュメント、 Google Apps For Business

Windows365


追補

Lotus Notes

1989年に Lotus社が発表(R1版)。Noteという文書ファイルをカード型データベースとして管理し、それを自身で検索したり電子メールで交換したりする機能を持つ。さらに、独自のスクリプト言語によりアプリケーションを開発できるという機能も持っていた。
 当時としては斬新的な機能であり、同社の表計算ソフト Lotus 1-2-3 の名声もあり、1990年代での代表的なオフィスソフトになった。Lotusは、1995年にIBMにより買収されたが、IBMも Lotusスイートとして引き継ぎ発展させた。

Notesの思い出(個人的回顧)
私が所属していた会社では、1990年代中頃にNoteを採用。掲示板とカレンダが重宝された。特に会議室や社有車の予約、会議招集などでは、所属や職位に関わらず原則として先着優先にしたことが好評だった。
カード型データベースでは、既に一部で FileMaker が利用されていたが、少数だったので Notes に移行した。
 1985年 初版(Forethought)
 1989年 FileMaker II, v 1.0(Claris) 日本語版
 1992年 FileMaker Pro 2.0 v1  Windows対応 当社では有志間で利用開始したと記憶している
Notes はその後改訂が行われたが、初期を除き改訂はせず旧版のまま利用。その後 Microsoft Office に移行したらしいが、既に定年退職していたので詳細は知らない。

このように発展してきた Notes であったが、大規模化に伴い欠点が顕在化してきた。ユーザが開発したアプリケーションは、Notesがバージョンアップした場合に動作は保証されず、改修が必要になることがある。古いバージョンを使い続けると、その後の機能・性能アップが得られない。
 この間に、Microsoft Officeが急速に普及し、そのグループウェア Outlook も普及してきた。

IBM はNotes/DominoをインドのHCL Technologiesに売却した。
  2018年 IBMは Notes/Domino の開発部隊を、インドのHCL Technologiesに移籍、
  2019年 HCL に全面移管。2018年V10、2019年V11、2021に V12 をリリース
 HCLでは、前述の非互換問題を解決、全体として軽くなったとしている。

Microsoft Outlook

スケジュール管理機能の変遷

Webメール Hotmail

メールソフト Windows Mail

OfficeコンポーネントとしてのOutlook