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現在、「ワープロ」というと、Wordのようなパソコンで稼働する文書作成ソフトを連想するが、以前には、文書作成専用のハードウェアがあったのである(現在でも、高度な文書作成に用いられているが)。ワープロの正式名称は「ワードプロセッサ」(Word Processor)であるが、ハードウェアであることを意味している。
日本語では漢字があり文字種が多いので、欧米のようなタイプライタにするのが困難であった。それで、漢字の活字を一つずつ拾って印字する「和文タイプライタ」があったが、操作性の悪いものだった。それが、ITの発展により、現在のように英文タイプライタ(キーボード)から漢字入力ができるようになったのである。
ところが、それを円滑に行うには、漢字の辞書や同音異語からの選択論理などのために、大量の記憶容量と高速な処理速度が要求され、初期のパソコンでは限界があり、文書作成専用機が必要になったのである。それが「ワープロ」である。逆に、パソコンの性能が改善されるのに伴い、ワープロはパソコンとの競争に敗れてしまった。
日本語では漢字があるので文字種が多い。活字を平面の箱に並べておき、それを一つずつ探して取り出し印字する方式であった。その後、箱の形状や取り出し方法の改善が行われたが、基本的には変わらない。そのため、ある程度の速度でタイプするには熟練が必要であり、企業では専任のタイピストを採用していた。
杉本京太のタイプライタ 出典: 特許庁「杉本京太の代表的発明(邦文タイプライター)」 |
後年のタイプライタ(日本タイプライター製 SH-280) (拡大図) 出典: Wikipedia「和文タイプライター」 |
ここでは、ローマ字変換やかな変換などの操作方法ではなく、いかにして英文タイプライタやキーボードから漢字等を特定するかを対象にする。1970年代から多様な研究が行われ、それを実装する試みが行われてきた。
単漢字入力
漢字1文字(そのコード)を指定する入力方法で、漢字直接入力ともいう。字種の多い漢字を少ないタッチ数で特定することが必要になる。無連想方式と連想方式に区分される。
無連想方式とは、JIS漢字コードを入力するのが最も単純ではあるが効率が悪い。それで、キーボードの表示文字には関係なく、左手と右手のキーの組合せで漢字を特定する方式が取られる(T-codeなど)。
連想方式とは、漢字を特定の2文字の読みに固定する方式である。例えばKIS方式では、「漢」はチャイナの連想から「チナ」、「字」はレターから「レタ」というように、語呂合わせや関連性のある表現にする。
漢字との対応を暗記するのは大変であるが、2タッチで漢字が特定できるし変換確認の必要がないので、習熟すれば非常に効率がよい。大量入力を行う専門の人は、現在でもこれらの方式を利用している人がいるとのこと。
文節入力
ある長さの文章を入力し、一括して変換する方法である。
日本語は単語の区切りがないこと、同音異語があることが大きな問題になる。そのために、文章を単語に分解する形態素分析や、文脈から最も適切な漢字を特定するための知識工学の応用が重要である。これらの技術を実装するには、大容量化と高速化が必要であるが、それらの実現とともに発展してきたし、現在でも研究が行われている。
東芝は、1974年に京都大学と形態素解析による仮名漢字変換の研究を開始。1978年(昭和53)、日本初の実用的な仮名漢字変換システムを完成。最初の日本語ワードプロセッサとして発表した(これ以前1977年に、シャープが試作機を公開したが、商品化したのは本機が最初である)。
価格:630万円~ 入力方式:かな漢字自動変換方式 (文節指定(分かち書き)方式) 文字種:6,800字 登録語数:最大8万語 表示装置:32字×14行 印刷速度:35字/秒 ディスク:40字×40行×200ページ |
1980年になると、多くのメーカーがワープロ専用機を開発した。これらは、シリーズ名称として長く用いられることになる。各社ともその後、ビジネス用の高機能機、家庭用も含む低価格機、持ち運びが可能な小型機など多様な機種を提供してきた。
1980年代の初頭に、ITを活用してオフィス業務の生産性を向上させようというOAの概念が普及した。1980年代中頃になると、ワープロ専用機が急速に普及し、社内文書が手書き文書からワープロ文書に移行した。しかも、ワープロが、単なる文書清書の機械ではなく、文書を検討するためのツールであり、文書の標準化、文書の保管・再利用に役立つことが認識されたのである。
それに応えるために、ワープロは多様な進化をした。
1980年代中頃から、パソコン用のワープロソフトが出現し、1980年代後半には、ワープロとパソコンの間での攻防戦が始まった。
ビジネスでのパソコンは、表計算ソフトの利用が盛んであり、汎用コンピュータやオフィスコンピュータの端末として利用されていた。そのため、二重投資を避けるために、従来のワープロをパソコンに移行する動きがでてきた。一方、ワープロは専用機であることの利点を生かして、高度な辞書やAIを活用した高度変換機能を装備したり、罫線、特殊フォント、図表など体裁の優れた文書作成など、パソコンソフトとの差別化を図って対抗した。
ワープロソフトというと、Wordや一太郎などが有名であるが、これらが直接に漢字変換しているのではない。ローマ字やかなを入力して漢字に変換しているのは、MS-IMEやATOKなどであり、それをIM(Input Method)という(以前には[漢字入力]FEP(Front End Processor)と呼ばれていた)。このIMがあるから、Wordや一太郎に関係なく、パソコンに漢字を入力できるのだ。
Wordや一太郎は、IMを用いて複雑な文書を簡単に作成するためのソフトウェアなのである。WordはMS-IME、一太郎はATOKを標準IMとしているが、WordでATOKを用いることやその逆も可能である。
1990年代の当初ではダインサイジング、中頃からはインターネットの急速な普及により、パソコンがコンピュータの主流になってきた。そのような環境に対応するするために、ワープロも Windows などのOSを採用して、パソコンとの互換性を高めた。
このような対応にも関わらず、1990年代になると、ワープロ専用機はパソコンとの競争に敗北して出荷台数は次第に減少した。そして、2000年初頭に各社がワープロの生産を終了した。
家庭でも2000年にワープロの普及率はパソコンに抜かれた。また、2000年代後半にはメーカーのサポート業務も終了してしまった。
参照:村田 修「東芝、ワープロ専用機のサポートを3月末で終了」(写真も)
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最期の Rupoシリーズ JW-G7000 |