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電動計算機

電動計算機とは、機械式計算機でクランクを手で回す操作をモーター駆動にしたものである。しかし、電子式計算機(電卓)のように計算処理には電子素子による論理回路は組み込まれていない。すなわち、機械式計算機と電子的計算機の中間的な存在である。
 米国では、1920年代から30年代にかけて出現し、40年代で機能的に完成し普及した。日本では戦後、輸入機の利用は進んだが、国産機が普及する以前に、1960年代の電子式計算機の時代になった。
 電動計算機のメーカーでは、モンロー(Monroe)、フリーデン(Friden)、マーチャント(Marchant)が有名である。
関連ページ:「機械式計算機の歴史」「パンチカードシステムの歴史」「電卓の歴史」


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電動計算機とは

電動計算機は、機械式計算機と電子式計算機(電卓)の中間的な存在である。すなわち、機械式計算機でハンドルを手回しする操作がモーターで駆動され、数値のセットをフルキー、演算指示を「+」キーを操作できるようにしたものであり、論理回路により計算処理を行う電子式計算機とは異なる。
 フルキーとは、数値を指定するのに各桁(10桁が多い)に0~9のキーがあるものをいう。現在の電卓のように全体で0~9キーが1組しかないものをテンキーという。電動計算機ではフルキーが用いられているのが特徴である。

電動計算機の区分

計算機能による区分
   加減算しかできないもの
   加減乗算はできるが除算はできないもの
   四則演算すべてができるもの
自動化レベルによる区分
   半自動(semi-automatic)
   全自動(fully-automatic)
 初期の段階でも加減乗算はできた。しかし、乗算のときに位取りでシフトバーを手で操作するなど半自動のものが多かった。30年代になると四則演算すべてができ、全自動になった。

付加機能による区分(ここでの電動計算機)
  (狭義の)電動計算機では、印刷機能をもたないのがほとんどである。
  幅の狭い巻紙の用紙に印字するものもあったが、その多くは電子式になってからである。
  幅の広い帳票用紙に印字するもの:一般には会計機と呼ばれ電動計算機とはいわない。
  大規模なシステム:タブレータ、カードパンチシステムの分野である。
  その他、金銭登録機(レジスター)など特殊用途のものは電動計算機とはいわない。


電動計算機の歴史

電動計算機の出現

1922年 モンロー「Monroe KA-161」
1932年 マーチャント、「Marchant Silent Speed Model 10D」
1934年 フリーデン、「Friden Model C10」

初期の電動計算機は1920年代から1930年代にかけて出現した。機種により機能の違いはあるが、部分的に手作業が残っており、semi-automaticの段階であった。形状はどれも似たようなもので、桁ごとに0~9のキー(full-key)と「+」や「×」の演算指定キーがあり、入力値の表示欄(短い方)と計算結果の表示欄(長い方)がある。

操作方法
Monroe KA-161を例にする。 最初に右下の赤いクリアボタンを押して、すべてを0にする。
加算(123+45=168)
  右詰めで123と入力して「+」を押すと、入力欄に123と表示される。
  右詰めで45と入力して「+」を押すと、入力欄に45、結果欄に「168」と表示される。
乗算(123×45=5535)
  右詰めで123と入力して「+」を押すと、入力欄に123と表示される。
  「45」は2桁なので、シフトキーを用いて表示盤の位置を2に合わせる。
  「+」キーを4回(入力表示欄が4になるまで)押す(押し続ける)。
  シフトキーにより、表示盤の位置を1に合わせる。
  「+」キーを5回押すと結果表示が「5535」になる。
この機種では、「×」キーはなく、機械式計算機で回す回数だけ「+」キーを押す操作になり、シフトも手操作で行う。
その後のMarchant Model 10DやFriden Model C10など、「×」がある機種では、「4」を入力して「×」、「5」を入力して「×」とすればよいが、「45」と入力して「×」とすることができず、シフト作業が必要なものが多かった。
なお、当時の機種では「÷」キーはなく、除算は手動で行うのが通常だった。

全自動の電動計算機

1930年代 Marchant Silent Speed Model 10ACT
1939年 フリーデン、「Friden Model ST」
1940年代 モンロー、「Monroe Model CSA-10(MonroMatic)」

1930年代後半になると、電動計算機は全自動(fully-automatic)になる。semi-automatic時代でのシフトキー操作は不要になり、「クリア」「123」「+」「45」「×」の操作で計算できるし、除算も「÷」キーで行えるようになった。

フリーデンは、乗除算について独自の工夫をした。乗算値入力のテンキーを設けたのである。「123」を右手でフルキーに入れて「×」キーを押し、「45」を左手でテンキーに入力して「Acc Mult」により累計計算をすることが容易になる。
 さらに、1952年には平方根(√)計算もできるModel SRWを開発した。

日本での電動計算機

国産電動計算機

1936年 タイガー高速自動計算機
1964年 タイガー、「E64-21」

戦前では、日本の機械技術が不十分だったので、輸入品に対抗できなかった。戦後、1960年代になると、十分に対抗できるレベルに達したが、時すでに遅く、個人用では電卓、ビジネス用ではコンピュータの時代になり、広く普及することはなかった。

輸入機の利用

戦前は、電動計算機の利用はあったものの、一部の業種に限られ、個人や通常の企業では機械式計算機が用いられていた。また、太平洋戦争開始以前から輸入が行われなくなった。

国内で電動計算機が普及し始めたのは、進駐軍が大量に持ち込んだからである。演算のスピード、特に乗除算の速さに驚き、需要が急増した。そして、国内代理店により輸入販売された。
 輸入元は、イタリアの「オリベッティ」やデンマークから「コンテックス」などもあったが、熾烈を極めた販売競争が行われ、1950年代後半には、
  モンロー(丸善)
  マーチャント(文祥堂)
  フリーデン(ドッドウェル)
が御三家といわれる状態になった。

1950年頃の電動計算機の価格は40万円程度で、当時の大学大卒初任給の40ヵ月分以上に相当したという。
 1946年に、電動計算機を使う米陸軍兵士と、ソロバンを使う日本逓信院職員が公開試合を行った。結果は乗除算を含む問題で4対1でソロバンが勝利した。当時、大きな話題になった。

電動計算機の終焉

1960年代になると、個人用では電子式計算機(電卓)に、ビジネス用には汎用コンピュータによって、電動計算機は終焉してしまった。

  • 1957年 カシオ、リレー式計算機「14-A」
    試作機は1954年に開発。歯車機構を一切持たず、すべて電気回路で処理した。
  • 1961年 Bell Punch(英)「ANITA Mark VIII」
    Bell Punch社が開発し、Sumlock Comptometer部門が販売。世界最初の電子式卓上計算機。演算部を真空管による回路にして、表示部を電気表示にした。フルキーや演算キーは電動計算機と同じ外観である。
  • 1964:早川電機工業(現シャープ)「CS-10A」
    早川電機、キャノン、カシオ、大井電機などが日本に於ける電子式計算機(電卓)一号機を発表
  • 1964年 IBM「IBM system 360」
    汎用コンピュータは、既に第3世代へと入る。日本でも本格的なコンピュータ導入が行われるようになっていた。