スタートページ主張・講演マーフィーの法則

マーフィーの法則(3)リタイア時代
Murphyology on Information Technology (vol.3) 2020s
改題:Murphyology by a retired

マーフィーの法則(1)~1990s 汎用コンピュータ全盛時代
マーフィーの法則(2)2000s,2010s インターネット時代
マーフィーの法則(3)2020s リタイア時代


ご挨拶

1938年生、男性。60歳で民間企業定年退職。教職につくが後期高齢者になってからは完全な年金生活者。以降、預金残高と余命の関係が最大の関心事。
趣味はなく、無名のWebサイト kogures.com の管理がライフワークになる。
本ページは、そのコンテンツの一つです。老人仲間が酔いながら一席ぶっている状況を設定しています。認知症が進行している老人の創造(想像、妄想)による虚言ですので、著者の精神分析、検証や反論の類はご遠慮ください。


はじめに

vol.1vol.2を書いた当時は現役でしたが、現在はリタイアしており、IT関連の業務やグループから遠ざかってしまいました。そのため、vol.3 はITに限定せず、極めて独断的なエッセイになっていることをお許しください。

人生、枯れるのは難しい。

「人生七十古来稀なり」は、「人生百歳稀ならず」になった。私は「七十にして己の欲するところに従うてその矩を踰えず」どころか「天命を知る」こともなく、馬齢を重ねている。
これら名言は、「十有五にして学を志す」から足し算での法則であり、平均寿命を前提としていた。平均寿命が延びている現在では、平均余命-X歳のように引き算で考えるべきであろう。
未だ天命や矩に達しない私は、心ならずも人生を持て余すことになる。それで Murphyology を続けることになる。

己を顧みず他を論うのは老人の特権

高齢者は、現在の社会に不満を言いたがる。しかし、現在の社会は、高齢者自身が社会に影響を与えていたときの行動の結果であり、因果応報だ。もし、現在社会に問題があるとすれば、高齢者こそ加害者であり、責任をとるべである。
高齢者は、年金が少ないと不満を言う。しかし公的年金制度は積立預金ではない。年金は社会からの「施し」なのだ。年金受給者は被保護者であり、搾取者である。社会にとって高齢者は不要な存在だといえる。

だから「老人は不満などいう立場にはない」という正論には弁明のしようがない。でも、盗人にも三分の理がある。しかも、老人の社会批判は、古代エジプトのヒエログリフにも記述があるという。伝統のある既得権だ。

馬齢を重ねている私にとって、グチや不満(三分の理)をいうのが、ボケ防止にもなっている。愛情をもってご理解を。

量子コンピュータに関するマーフィーの法則を発見するのは難しい。

IT実務から離れると、ITの技術やシステムの運用などの裏側(本質)は見えなくなる。
個人趣味でパソコンやインターネットで遊んでいる状態では、新しい情報技術に触れる機会がないし、あえて突っ込んで研究する必要もない。
法則に気付いても、査読(ツッコミ)をする仲間がいない。法則にまで昇華できない。

社会から遠ざかると、社会を論じるようになる。

現役のころは、社内外の関係者との駆け引きや家庭サービスなど、いやでも関心を持たざるをえない分野が多かったが、リタイアしてそれらから解放された。その反面、社会から落ちこぼれるようになった。
メディア(テレビ、新聞、インターネットなど)と過ごす時間が長くなる。これらのメディアが伝える情報は多様だが、時代に乗り遅れた高齢者にとって、比較的変化の緩やかで理解しやすい分野は社会分野である。
すなわち、社会の関する話題に限定される。


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マーフィーの法則

談義(放談)