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1960年代からミニコンが出現した。ミニコンでは、汎用コンピュータOSのような大規模OSを搭載するのは困難であり、ミニコンに適したOSが必要になる。ミニコンOSで最もポピュラーなのがUNIXである。現在では、オープンソースになっているUNIXが多く、パソコンから汎用コンピュータまで多くのコンピュータで利用できるOSになっている。
●AT&TとBSD
ソースコードが公開されていたため、多数の団体が独自にUNIXを発展させた。そのなかで有名なのが BSD UNIXである。
カリフォルニア大学バークレー校は、それまでにも同校開発のソフトウェア配布活動を行っていた。それをBSD(Berkeley Software Distribution) という。BSD UNIXは、AT&TのUNIXに可能記憶方式やTCP/IPを取り込むなど機能強化した。
本家のAT&Tも機能強化を行ってきた。1980年代になると、AT&Tの業務制限が緩和され、ソフトウェア業務を行うことができることになった。そしてUNIXを商品化することになり。BSDとの間で著作権をめぐる対立が深刻になった。
その結果、BSDは、AT&Tのソースコードを排除して、すべて独自に作り直した。これが4.4BSD-Lite2である。
また、サン・マイクロシステムズはAT&Tに協力して、System-V Release4 (SVR4) を開発した。SVR4とBSDは似たような機能になった。
AT&T BSD
1974年 UNIX-v5 BSD UNIX開始
1979年 UNIX-V7 3 BSD(仮想記憶)
1982年 System-Ⅲ
1983年 System-V 4.2 BSD(TCP/IP)
↓ ↓
1989年 SVR4 ↓
1992年 4.4 BSD
●UIとOSF
SVR4の開発は、AT&Tとサンとの連携を強化し、1998年にSVR4開発・普及を目的としたUI(Unix International)を設立した。サンは、自社のマイクロプロセッサSPARCに、当初は 4.2 BSD を採用して SunOS としていたのだが、これを機会にSVR4を用いた Solaris に移行した。
この動きに、IBM、DEC、HPなどの有力メーカーが反発して、同年、OSF(Open Software Foundation)を設立、統一UNIXの開発(OSF/1)と普及を図った。すなわち、二つのUNIX統一運動になったのである。
UNIXの標準化が重要であることは以前からも認識されていたが、1990年代になって、標準化の動きが活発になった。公式には、1996年のSUSにより「UNIX」が一元的に定義された。
●UNIXの定義
POSIX(Portable Operating System Interface)とは、IEEEが策定した実装の異なるUNIXでのアプリケーションの移植性を高めるためのインタフェース規格。
SUSは、「UNIX」をを名乗ることができるOSの標準規格全体を総称したもの。IEEEととThe Open Groupの標準化作業の結果に基づくもので、Austin Groupが開発および保守を行っている。
公式には、「UNIX」とはThe Open GroupよりSUSの仕様を満たすことの認証を受けたOSだけを指す。しかし、現実には多数の派生OSがあり、UNIX系OSとかUNIXライクOSなどと呼ばれている。
オープンソースであることは著作権を放棄したのとは違う。UNIXライセンスとは、UNIXのソースコードを得て自社製品用に改良して販売する権利である。それに対して、UNIX資産とは著作権も含むと考えられる。
UNIXは、ソースコードとして流布して歴史が長く、しかも、開発者や推進団体などが複雑にからみあっており、その著作権をめぐってトラブルが絶えなかった。2010年にUNIXの著作権がノベルにあることで最終結審になった。
●ノベル・BSD裁判
●ノベル・SCO裁判
これで、UNIX(およびLinux)の著作権について一応の決着をみたが、OSS(オープンソースソフトウェア)では、ライセンス関連のトラブルが懸念される(参照:「オープンソースソフトウェア」)。
「Linux」というとき、UNIX系OSのカーネル(kernel)のことを指す場合と、OSとして実装するためのソフトウェア群、機能を拡大するためのソフトウェア群をパッケージ化したものを指す場合がある。ここでは前者をLinux、後者をLinuxディストリビューションという(混同することもある)。
カーネルとしてのLinuxは、GNUでのOSS(参照:「オープンソースソフトウェア」)としてソースコードが公開されている。無料で入手できる場合が多い。Linuxの著作権は、多数のLinux開発者が自分の書いたコードに対する著作権を保有している。
Linuxディストリビューションでは、Debian GNU/Linuxのように、フリーソフトだけを集め無料提供するものもあるし、Red Hat Linuxのように、ライセンスは無料だが、サポートが有料の商用のものもあるし、商品としての有料ソフトウェアを同梱したものなど多様である。
Linuxは、OSSの特徴を生かして、世界中のプログラマや企業が参画して改善・拡張が行われてきた。また、導入・運用コストが安いこと、特定メーカーの独占を回避できること、移植性が高いことなどの理由により急速な普及をしており、代表的OSの一つになっている。
Linuxは、1991年に、ヘルシンキ大学の学生リーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds)により開発された。
トーバルズは、当初、個人用のOSを作りたいと思っていた。当時、教育用のUNIX系OSとして、Minixが用いられていたが、機能が乏しかった。AT&TやBSDのUNIXは、著作権のために、勝手に改変するのに手続きが面倒だった。それで、最初から自分で作ろうと考えた。
最初に、大学のサーバーに公表したLinux(Version 0.01)のソースコードは約1万行で、機能も性能も不十分なものだったという(2008年の版では600万行を超える)。
当時、既にGNU Projectは活動していたのだが、肝心のOSカーネルを開発しておらず、UNIXベンダはGNU活動に消極的だった。Linuxは、すべてトーバルズが独自に開発したのであり、本人がGNU活動をしていたので好都合である。すぐに多数の参加があり急速に発展した。しかも、当時は32ビットパソコンが安価になり普及し始めており、それに自分たちで勝手に改造できるOSを搭載しようと期待する人たちが多かったことも、この動きを加速した。
そのような動きのなかで、有志はメーリングリストKLML(Linux Kernel Mailing List)を組織した。これがLinux開発の拠点となった。
1997年には、エリック・レイモンド(Eric Raymond)は、「伽藍とバザール」を著してLinuxの開発の有効性を示した。またその頃から、IBM、HP、インテルなど企業の専門プログラマがLinux活動に参加するようになる。このように、Linuxは市民権を高めていく。
2000年代になると、政府・自治体でのLinux採用が進んだ。欧州ではマイクロソフトへの反発もあり、多くの公的組織が積極的にLinuxを採用するようになった。米国ではベンダの圧力もあり中立の立場に立っているが、中立であること自体がLinux推進でもある。日本では、電子政府・電子自治体でOSS推進政策をとっており、Linux採用がその主体になっている。
参照:比屋根一雄、飯尾 淳、谷田部智之「世界各国政府のオープンソース採用動向」2005年
http://thinkit.co.jp/free/trend/2/1/1.html