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OSの歴史(UNIX系)


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UNIX

1960年代からミニコンが出現した。ミニコンでは、汎用コンピュータOSのような大規模OSを搭載するのは困難であり、ミニコンに適したOSが必要になる。ミニコンOSで最もポピュラーなのがUNIXである。現在では、オープンソースになっているUNIXが多く、パソコンから汎用コンピュータまで多くのコンピュータで利用できるOSになっている。

UNIXの誕生

  • 1969年 UNIXの誕生
    AT&Tベル研究所のケン・トンプソン(Ken Tonpson)、デニス・リッチー(Dennis MacAlistair Ritchie)らがUNIXを開発。DECのミニコンPDP-7に実装。
    1964年から、MIT、ベル研究所、GEの共同でTSSのOS開発のMulticsプロジェクトが行われた。しかし、それがあまりにも巨大になったので、トンプソンらは、それから機能をそぎ落として、「Unics」とした。これがUNIXと改称された。
  • 1973年 カーネルがC言語に
    デニス」・リッチーは、UNIXのカーネル(制御システムなどの中核部分)をCで書き直した(それまではアセンブラで記述)。これにより、移植性が向上し、多機種で用いられるようになった。
  • 1974年頃 ソースコード頒布進む
    当時、AT&TはIT産業への進出を禁止されていた。それで、UNIXは大学や研究所に実費でソースコードが頒布された。最も流布したのが、1974年のUNIX V5である。

多様なUNIXの出現

●AT&TとBSD

ソースコードが公開されていたため、多数の団体が独自にUNIXを発展させた。そのなかで有名なのが BSD UNIXである。
カリフォルニア大学バークレー校は、それまでにも同校開発のソフトウェア配布活動を行っていた。それをBSD(Berkeley Software Distribution) という。BSD UNIXは、AT&TのUNIXに可能記憶方式やTCP/IPを取り込むなど機能強化した。

本家のAT&Tも機能強化を行ってきた。1980年代になると、AT&Tの業務制限が緩和され、ソフトウェア業務を行うことができることになった。そしてUNIXを商品化することになり。BSDとの間で著作権をめぐる対立が深刻になった。
その結果、BSDは、AT&Tのソースコードを排除して、すべて独自に作り直した。これが4.4BSD-Lite2である。  また、サン・マイクロシステムズはAT&Tに協力して、System-V Release4 (SVR4) を開発した。SVR4とBSDは似たような機能になった。

          AT&T   BSD
   1974年  UNIX-v5   BSD UNIX開始
   1979年  UNIX-V7   3 BSD(仮想記憶)
   1982年  System-Ⅲ
   1983年  System-V  4.2 BSD(TCP/IP)
           ↓      ↓
   1989年  SVR4    ↓
   1992年         4.4 BSD

●UIとOSF

SVR4の開発は、AT&Tとサンとの連携を強化し、1998年にSVR4開発・普及を目的としたUI(Unix International)を設立した。サンは、自社のマイクロプロセッサSPARCに、当初は 4.2 BSD を採用して SunOS としていたのだが、これを機会にSVR4を用いた Solaris に移行した。
 この動きに、IBM、DEC、HPなどの有力メーカーが反発して、同年、OSF(Open Software Foundation)を設立、統一UNIXの開発(OSF/1)と普及を図った。すなわち、二つのUNIX統一運動になったのである。

UNIXの統合

UNIXの標準化が重要であることは以前からも認識されていたが、1990年代になって、標準化の動きが活発になった。公式には、1996年のSUSにより「UNIX」が一元的に定義された。

  • 1993年 COSEイニシアティブ
    COSE(Common Open Software Environment)。当時の主なUNIXベンダーが参加、事実上UIとOSFの統合。両者は1994年、合併してOSFとなる。
    さらにノベルはCOSEに移管。
  • 1993年 X/OpenコンソーシアムへUNIXの商標管理移管
    X/Openコンソーシアムは、1984年に設立された欧州でのUNIX系OSの標準化を意図した団体。
  • 1996年 The Open Group設立
    OSFとX/Open の合併。UNIXの商標管理を引き継ぐ。POSIX標準を拡張した公式のUNIXの定義であるSUS(Single UNIX Specification)の策定。
  • 1998年 Austin Group によりSUS3が策定された。

●UNIXの定義

POSIX(Portable Operating System Interface)とは、IEEEが策定した実装の異なるUNIXでのアプリケーションの移植性を高めるためのインタフェース規格。
 SUSは、「UNIX」をを名乗ることができるOSの標準規格全体を総称したもの。IEEEととThe Open Groupの標準化作業の結果に基づくもので、Austin Groupが開発および保守を行っている。

公式には、「UNIX」とはThe Open GroupよりSUSの仕様を満たすことの認証を受けたOSだけを指す。しかし、現実には多数の派生OSがあり、UNIX系OSとかUNIXライクOSなどと呼ばれている。

UNIXの著作権

オープンソースであることは著作権を放棄したのとは違う。UNIXライセンスとは、UNIXのソースコードを得て自社製品用に改良して販売する権利である。それに対して、UNIX資産とは著作権も含むと考えられる。
 UNIXは、ソースコードとして流布して歴史が長く、しかも、開発者や推進団体などが複雑にからみあっており、その著作権をめぐってトラブルが絶えなかった。2010年にUNIXの著作権がノベルにあることで最終結審になった。

●ノベル・BSD裁判

  • AT&Tは、UNIX開発とライセンス業務のために子会社USL(UNIX Systems Laboratories)をもっていた。
  • 1992年に、ノベルはUSLを買収。UNIX資産もノベルに引き継がれた(しかし、USLの研究設備等はHP(Hewlett-Packard)が引き継ぐ)。
    同年、ノベルはBSDに 4.3BSD Net/2 の公開停止を求めて提訴。
  • 1993年に和解成立。BSDは、NET/2の公開を取りやめることとなったが、BSDの新シリーズAT&T UNIXの依存部分を取り除いた4.4BSD-Liteを公開できることになった。

●ノベル・SCO裁判

  • SCOの経緯
    旧SCOとは、The Santa Cruz Operation社のこと。そのSCOブランドを2001年にCaldera Systemsが買収し、SCOgroupと社名変更した。旧SCOは、1995年にノベルからUNIXの権利とUnixWareビジネスを譲り受けていた。その権利を(新)SCOが買収した。それで、SCOはUNIXの諸権利を所有していると主張。サンやHPなどがSCOとのUNIXライセンス契約をした。それをSCO UNIXという。
  • 2003年、CSOがIBMに対して、UNIXのソースコードの一部をSCOとのライセンス契約なしにLinuxに使用したとして提訴。IBMはノベルに多額の資金援助をしており、密接なパートナー関係にある。ノベルは、UNIXの著作権は当社にあると主張。
  • 2004年、SCOがノベルを提訴。2005年、ノベルがSCOを提訴
  • この間に、SCOは多数のLinuxユーザに対しても権利を主張。それに対してIBMは、SCOがLinuxの頒布規定であるGPLに違反していると提訴するなど、騒ぎが拡大した。
  • 2007年、ユタ連邦地裁、UNIXの著作権はノベルにあると判決。SCOは控訴。なお、SCOが破産。長引く裁判による負債増加が原因とされる。
  • 2010年、控訴裁の命令による地裁再審査で、UNIXの著作権はノベルにあるとし結審。

これで、UNIX(およびLinux)の著作権について一応の決着をみたが、OSS(オープンソースソフトウェア)では、ライセンス関連のトラブルが懸念される(参照:「オープンソースソフトウェア」)。


Linux

Linuxとは

「Linux」というとき、UNIX系OSのカーネル(kernel)のことを指す場合と、OSとして実装するためのソフトウェア群、機能を拡大するためのソフトウェア群をパッケージ化したものを指す場合がある。ここでは前者をLinux、後者をLinuxディストリビューションという(混同することもある)。
カーネルとしてのLinuxは、GNUでのOSS(参照:「オープンソースソフトウェア」)としてソースコードが公開されている。無料で入手できる場合が多い。Linuxの著作権は、多数のLinux開発者が自分の書いたコードに対する著作権を保有している。
Linuxディストリビューションでは、Debian GNU/Linuxのように、フリーソフトだけを集め無料提供するものもあるし、Red Hat Linuxのように、ライセンスは無料だが、サポートが有料の商用のものもあるし、商品としての有料ソフトウェアを同梱したものなど多様である。

Linuxは、OSSの特徴を生かして、世界中のプログラマや企業が参画して改善・拡張が行われてきた。また、導入・運用コストが安いこと、特定メーカーの独占を回避できること、移植性が高いことなどの理由により急速な普及をしており、代表的OSの一つになっている。

Linuxの歴史

Linuxは、1991年に、ヘルシンキ大学の学生リーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds)により開発された。
トーバルズは、当初、個人用のOSを作りたいと思っていた。当時、教育用のUNIX系OSとして、Minixが用いられていたが、機能が乏しかった。AT&TやBSDのUNIXは、著作権のために、勝手に改変するのに手続きが面倒だった。それで、最初から自分で作ろうと考えた。
最初に、大学のサーバーに公表したLinux(Version 0.01)のソースコードは約1万行で、機能も性能も不十分なものだったという(2008年の版では600万行を超える)。

当時、既にGNU Projectは活動していたのだが、肝心のOSカーネルを開発しておらず、UNIXベンダはGNU活動に消極的だった。Linuxは、すべてトーバルズが独自に開発したのであり、本人がGNU活動をしていたので好都合である。すぐに多数の参加があり急速に発展した。しかも、当時は32ビットパソコンが安価になり普及し始めており、それに自分たちで勝手に改造できるOSを搭載しようと期待する人たちが多かったことも、この動きを加速した。
 そのような動きのなかで、有志はメーリングリストKLML(Linux Kernel Mailing List)を組織した。これがLinux開発の拠点となった。

1997年には、エリック・レイモンド(Eric Raymond)は、「伽藍とバザール」を著してLinuxの開発の有効性を示した。またその頃から、IBM、HP、インテルなど企業の専門プログラマがLinux活動に参加するようになる。このように、Linuxは市民権を高めていく。

2000年代になると、政府・自治体でのLinux採用が進んだ。欧州ではマイクロソフトへの反発もあり、多くの公的組織が積極的にLinuxを採用するようになった。米国ではベンダの圧力もあり中立の立場に立っているが、中立であること自体がLinux推進でもある。日本では、電子政府・電子自治体でOSS推進政策をとっており、Linux採用がその主体になっている。
参照:比屋根一雄、飯尾 淳、谷田部智之「世界各国政府のオープンソース採用動向」2005年
    http://thinkit.co.jp/free/trend/2/1/1.html