参考URL
レジスターとは
ここでは、レジスターを、現在、スーパーやコンビニで用いられているPOSレジスターと、POS普及以前に用いられていた金銭登録機(キャッシュレジスター)に区分する。POSレジスターと金銭登録機を比較すると次のような違いがある。
- 現金保管機能
売上金や釣り銭を保管する簡易的な金庫としての機能は、引き出しが前面へ飛び出す操作が簡便化したが、基本的には金銭登録機もPOSレジスターも同じである。
- レジ入力機能
POSでは、スキャナでJANコードなどのバーコードを読み取り、PLUと呼ばれるデータベースを参照して金額や商品名を得る仕組みになっている。昔はバーコードはなく、金額を手入力していた。現在でもバーコードが読めない場合や割引など特殊な処理をする場合にはキー入力をしているが、Enterキーを用いて複数の入力をする。それに対して、機械式レジスターでは、1回ごとにハンドルを回す操作が必要だった。
- 金額表示機能
顧客に合計金額などを表示する方法は、表示方式の違いはあるが基本的には同じである。
- 自動釣銭機能
POSレジスターでは、これができるのは当然であり、入金も釣銭も自動で操作できるものもある。しかし、釣銭計算の機能をもつ金銭登録機が出現したのは、かなり後の段階である。
- レシート印刷機能
個別商品と合計の金額は表示できたが、JANコードがない時代では商品名は印刷できなかった。また、印刷体裁(文字、フォント、形式など)も貧弱なものであった。
- 販売記録機能
POSデータを高度に活用するために、これがPOSシステムでの重要な機能になっている。金銭登録機では、商品金額を入力するたびに商品区分や部門区分をキー入力する必要があった。そのキーの数はせいぜい8個とか20個程度であり、その程度のグループ分けしかできなかったのである。
- コンピュータ処理機能、通信機能
これらの機能はPOSシステムでは不可欠であるが、当然ながらコンピュータ利用が普及する以前の金銭登録機ではその機能はなく、すべてレシートのコピーを手作業で処理するだけだった。コンピュータが普及すると、レシートの文字(OCRフォントという)をコンピュータで読み取るようにしたり、パンチした紙テープを得られるようになった。
金銭登録機の時代
レジスターの発明と普及(第1次世界大戦開戦まで)
最初のレジスター
- 1878年 「Ritty's Incorruptible Cashier」
レジスターを発明したのはリティ(James Ritty)だとされている。その最初のレジスターは、長針でセント、短針でドルを表示する置時計のような形状であった。単に押しボタンの操作で金額表示して客と店員が確認するだけの機能であり、現金を格納したり、記録をとる機能はなかった。
- 1879年 ペーパー・ロール式レジスター
その後、リティは、レジスターの機能を追加していった。金額を入力すとベルが鳴り、ロール紙にピンで穴をあけて記録するようにした。
- 1883年 「Detail Adder」合計器つきレジスター
さらに、売上金を入れる引き出しが付き、個々の売上金額とともに合計金額が記録できるようになった。
初期のレジスター
- 1884年 パターソン、NCR創立
パターソン(John H. Patterson)は、リティからレジスターの販売権利を買い取り、NCR社(National Cash Register Company)を創設、レジスター事業に乗り出した。その後多くのレジスターメーカーが出現したが、NCRは、先行したこと、経営手腕が優れていたことにより、1912年には、米国内市場の95%のシェアを握り、独占禁止法に抵触するまでになった。NCRの歴史がレジスターの歴史であるといってよい。
- 1892年 79号レジスター(レシート発行のレジ第1号機)
売上合計、客数、分類、レシート発行機能などが追加されていった。NCR初期のヒット製品が、初めてレシート発行機能をもった79号レジスターである。
- 真鍮製レジスターの時代
初期のレジスタは、実用もさることながら、ステータスを示す店内装飾品でもあった。パターソンが最初に製作した最初のレジスタは磨かれた木製であったが、1888年以降は真鍮製や鋳鉄製になった。その時代を「the Brass Era of Cash Registers」という。当時のレジスタは、現在、骨董品として大きな市場になっている。しかし1914年からの第一次世界大戦により真鍮の需要が高まり、その後のレジスタは他の事務用製品と同様のスチール製になってしまった。
電動レジスター
最初の電動レジスターは、1906年にケタリング(Charles F. Kettering)が製作した。数年後に製造された「National Cash Register Class 1000 Autographic」はベストセラーになったという。しかし、当時は電動式と手動式は共存しており、電動レジスターが本格的に普及するのは、第1次世界大戦後となる。
第1次世界大戦後から第2次世界大戦まで
第1次世界大戦後の発展
1914年に第1次世界大戦が起こり、真鍮や白銅が軍用に重要であり民用には使えなくなった。また、低価格のレジスターが求められるようになった。それで、現在のようなスチール製になった。
その後、レジスターは多様な機能をもつようになった。NCR社製品を例とする。
- 1916年 スチールキャビネット採用
- 1919年 取引明細と合計を表示したレシート発行
- 1925年 レシート印刷にインク・リボンを採用
- 1931年 部門別合計の自動算出機能
- 1933年 8部門別、4取引別の合計器をもち、精算表の自動作成
日本のレジスター産業
- 1897年 日本初のレジスター輸入
横浜の貿易商・牛島商会が、NCRからレジスター輸入して販売を開始したという。
- 1926年 日本最初のレジスター開発
間宮精一は間宮式加減算機を発明し、これをベースに1926年に日本で初めてレジスターを独自開発した、
- 1928年 藤山愛一郎、日本金銭登録機を設立
しかし、レジスタの事業化には相当の事業資金が必要であった。藤山愛一郎は日本金銭登録機株式会社を設立、藤山が社長、間宮が技師長に就任。
- 1935年 米NCRとの提携。日本ナショナル金銭登録機となる。
現実には、米NCRの現地工場、販売拠点となった。
- 1940年 外資排除により東京芝浦電気(現東芝)が買収して同社大仁工場となる。
しかし、戦時中は、レジスター生産はほとんど行われなかった。
第2次世界大戦後のレジスターメーカー
米国NCRの浮沈
- 1952年 CRC(Computer Research Corporation )買収。コンピュータ分野に参入
- 1974年 NCR Corporationに改称
- 1982年 パソコン分野に参入
- 1991年 AT&Tにより買収され子会社化
同年に買収されたテラデータと合わせて「NCR部門」に
- 1997年 NCR部門がAT&Tから独立。再度「NCR」と改称
- 1999年 汎用コンピュータ生産から撤退
- 2000年 その後、流通業と金融業向けのソリューション提供とATM生産に集中
- 2007年 テラデータの分社化
戦後もレジスター市場でのNCRの独占的地位は変化せず、時代をリードする新製品を開発していた。コンピュータ(汎用機)やパソコンの分野にも進出。高性能機に特徴があり、特に金融業界でのシェアを高めた。寺データとの統合により、超並列プロセッサ分野でのシェアも高めた。ところが、汎用機市場ではIBM、パソコン市場ではコンバック(現HP)などとの競争に敗れてしまった。
また、1970年代からレジスターは電子化され、機械的な工作のノウハウが重視されなくなり、電卓メーカーなどの参入が容易になった。さらに1980年代後半からは、POSシステムが情報システムの主要な一部となり、レジスターはPOSレジスターへと移行する。それにより、コンピュータメーカーやパソコンメーカーの参入が多くなってきた。現在の米国のPOS市場では、NCRは善戦しているが、IBMが首位になっている。
日本NCRの経緯
- 1946年 日本ナショナル金銭登録機株式会社再開
- 1951年 米NCR70%出資による連携。戦後初の外資導入企業になる。
- 1957年 大磯工場竣工。独自生産を始める。
- 1961年 ベストセラー「22号レジスター」発売
- 1971年 世界初の電子式レジスター(ECR)「NCR 230 ECR」
- 1973年 日本NCRに改称
- 1976年~1980年頃 業種別に特化したECR多数
- 1994年 米NCRがAT&T傘下になったことから、日本AT&T情報システムに改称
- 1996年 日本NCRに再び改称
- 1998年 米NCRが株式の97.5%を取得。事実上の子会社に
米NCRは、コンピュータ業界、さらにパソコン業界に参入したが、その後の競争で低迷。1990年代に入ると急速に業績悪化して、パソコン・汎用機の製造から撤退した。
日本NCRは、1970年代までは米NCRレジスター日本版の生産・販売で、レジスター業界のトップ企業であったが、レジスターの電子化に伴う国産勢の進出により、次第に劣勢になり、現在ではレジスター生産は海外に移転してしまった。
東芝テックの経緯
- 1950年 企業再建整備法により大仁工場が分離独立。東京電気器具株式会社に
- 1952年 東京電気株式会社に会社名変更
- 1957年 金銭登録機の生産再開
- 1964年 電動加算機「トステック」シリーズ生産開始
- 1971年 電子レジスター「マコニック」生産開始(BRC-30B)
- 1979年 東芝テック、初の国産メーカーによるレジスター米国輸出
- 1986年 酒販店向POSシステムをサントリーと共同開発・販売
- 1992年 セブン-イレブン次世代型POSシステム納入
- 1994年 「株式会社テック」に改称
- 1994年 オープンPOSレジスター「ST-5000シリーズ」生産開始
- 1999年 「東芝テック株式会社」に改称
日本NCRとくらべて、本格的な生産は遅かった。しかし、電子時代になると急速に発展し、POSレジスターの時代になると、トップ企業になった。
レジスターメーカーとしては、東芝テック、シャープ、カシオなどがシェアをもっていたが、現在での、POSレジスターメーカーとしては、東芝テックが50%、NECインフロンティアが25%近いシェアをもっている。
第2次世界大戦後~1960年代
金銭登録機の完成段階
- 1950年 NCR、「21号レジスター」
- 1953年 紀ノ国屋、日本最初のセルフサービスのスーパーマーケット開店
1950年代中頃から、日本でもスーパーが出現した。「21号レジスター」は小売業で最もポピュラーな手動型レジスタであり、日本でノックダウン生産に入った最初の機種だといわれている。この機種は、その後のNCR機の標準機になり、これをベースに多様な機能をもつレジスターが開発される。
- 1957年 大磯工場竣工
- 1961年 NCR「22号レジスター」
1960年代でのベストセラー機種である。日本NEC独自の仕様も加えて、国内向けに大磯工場で大量生産された。手動型のレジスターで、分類キーは8分類しかできなかったが、JANコードが策定されていない当時では、この分類キーにより、商品や部門を分類していたのであるが、そのキーには「ヨキミセサカエル」(良き店栄える」と表示されていた。
「ヨ」=利益率50%以上の商品、「キ」=利益率40%以上の商品
「サ」=生鮮品、「カ」=「菓子類」・・・
そして、「ヨ比率を高めよう」とか「サ商品の鮮度管理を~」というように店内共通語にすらなっていた。
入出力装置との連携
- 1963年 NCR「21号セールス・トロニック」
日本での小売業や流通業での本格的なコンピュータ導入は1970年代以降になるが、米国ではすでにコンピュータ利用が進んでおり、レジスターの売上データをコンピュータ入力できるようにする必要があった。この機種は、レジスターで紙テープにパンチする機能を搭載した。紙テープにパンチする方式はすでにテレタイプが普及しており、1963年にはASCIIコードが制定され、テレタイプがコンピュータ端末として利用される段階になっていた。その技術をレジスターに組み込んだものである。
- 1966年 NCR「21号NOFレジスター」
光学的に文字認識することをOCR(Optical Character Recognition)といい、認識を容易にするための特殊書体活字をOCRフォントという。NCRは、独自のOCRフォントと入出力方式を策定し、NOF(NCR optical font)と命名した。NOFレジスターとは、OCRフォントのレシートを印刷する機能と、レシートや値札に印刷したOCRフォントの文字を読み取るスキャナ機能をもつ電動レジスターである。NCRは、このNOFレジスターのシリーズを毎年生産した。なお、OCRフォントは、1976年にOCR-A/Bフォントとして規格化される。
1970年代:ECRの出現
- 1971年 NCR「230-101 ECR」
- 1971年 東芝テック「マコニック(BRC-30B)」
- 1971年 シャープ「ER-40」
- 1976年 カシオ、ECRに参入
1970年代になると、レジスターはECR(Electronic Cash Register)へと変化した。ECRとは、電子式レジスターのこと。従来の機械式レジスター、電動レジスターが歯車装置などで動作するのに対して、ECRは、ICなどの電子回路により動作し、データはメモリに記憶される。プログラムによる機能変更も可能になる。すなわち、コンピュータ的な機器に変化したのである。
そのため、従来のような機械機構が少なくなり、その技術をもたない企業が参入しやすくなった。むしろ電卓やコンピュータなどの業種が有利になってきたのである。
NCRは、すでにコンピュータ業界に参入していたため、このような変化にも対応できたが、新たな競争者を迎えることになった。特に日本では、シャープやカシオなど電卓メーカーが参入するし、東芝テックが強力な競争者になり、NCRの次第に日本でのシェアは低下していく。逆に、国産メーカーは、輸出産業としても急成長するようになる。
POSレジスターの時代
POSレジスターへの移行
POS(Point of Sale)システムとは、通商産業省(現経済産業省)は、「POSシステムは、光学式自動読取方式のレジスターにより、単品別に収集した販売情報や仕入れ、配送などの段階で発生する各種の情報をコンピューターに送り、各部門がそれぞれの目的に応じて有効活用できるような情報に処理・加工し伝送するシステム」と定義している。
- 1972年 ダイエーと三越百貨店、日本で初めてバーコードによる自動チェッキングシステム実験
この時点では商品にJANコードは印刷されておらず、この実験のためにバーコードを添付した。
- 1978年 JANコード制定
POSシステムに大きな変化を与えたのは、共通商品コードの制定である。米国では1973年にUPCコードが制定され、日本では1978年にJANコードが制定された。これにより単品管理が可能になった。そしてレジスターは、単なるレジ作業の合理化だけでなく、商品政策、在庫管理、発注管理など小売業での利益に直結するシステムの重要な機器であると認識されるようになったのである。
- 1979年 NCR、JANコード利用の店頭実験
JANコード対応スキャナーを開発し、たつみチェーンで実験
- 1982年 セブンイレブンPOSシステム導入による第2次総合店舗情報システム
セブンイレブンは、POSシステムの導入に積極的であった。POSレジスターの導入するのにあたり、商品納入業者にソースマーキングを要求した。それにより、JANコードを採用するメーカーが増大したといわれている。
この段階ではPOS導入は一部の店舗だけであった。セブンイレブンが本格的にPOSシステム導入をしたのは、1984年頃である。
- 1988年 ウォルマート、90%店舗レジにPOSを導入
米国でのPOSシステムの代表的な利用企業はウォルマートであるが、その本格的利用は、日本のセブンイレブンよりも遅れている。しかし、ウォルマートでの利用は、P&Gと共同して、受発注から支払までの業務全体を合理化するなど、企業間にまたがるPOS活用に特徴がある。
日本全体でのJANコード対応POSの導入は、セブンイレブンよりもかなり遅れている。離陸期は1980年代中頃で、急速に普及したのは1990年代中頃である。
オープンPOS
オープンPOSとは、オープン環境、すなわち端的にはWindowsをOSとするPOSのことである。それまでのPOSレジスターのソフトや周辺機器との接続仕様は、個々のメーカーあるいは機器により独自の仕様を採用した「専用型POS」であった。それが、1990年代になるとダウンサイジングが進み、パソコンが情報システムの中核機器になり、その大多数がWindowsをOSとしていた。POSもそれに合わせたほうが開発コストを格段に抑えられ、機器間の互換性が向上する。それを「オープンPOS」という。この普及により、レジスターメーカーではないソフトウェア会社がアプリケーション・プログラムを開発するようになった。
- 1994年 NCR、「Win POS」
- 1994年 東芝テック、オープンPOSレジスター「ST-5000シリーズ」
- 1996年 OPOS協議会「OPOS日本版仕様書第1.0版」制定
OPOSは、Microsoftの提唱するOLEやActiveX技術を利用して、POS周辺装置制御方式を標準化し、アプリケーションや周辺装置の制御ソフトの開発を汎用性のあるものにすることを目的した団体
- 1996年 NCR、Win POS21
- 1997年 東芝テック、「ST-5600」「WX-77」
OSにWindowsNT、データベースにはSQL Serverを採用。ST-5600はPOSレジスタ、WX-77はPOSシステム
- 1997年 三菱電機「M2 Win/T6500」
Windows95をOSとした、オープンPOS
- 2005年 Microsoft、「WEPOS」
Windows Embedded for Point of Service:Windows XPをベースにしたPOSレジスターの組み込み用OS
その後、OSをLinuxとするオープンPOSも普及するようになった。現在のPOSはほとんどがオープンPOSになっている。
WebPOS
2000年代にブロードバンドによるインターネット利用が普及すると、店舗のPOSレジスターと本部のサーバーをインターネットで接続したWebPOSが出現した。サーバーに全てのマスタやデータを保持して、POSレジスタには基本的にはWebブラウザだけを搭載する。通常のPOSに比べて安価になり、小規模なサービス業でも利用ができる。
セルフPOSの動向
セルフPOSとは、客が自らPOSレジスターを操作して商品をスキャンして支払をする仕組みである。支払方法は現金だけでなく、カードや電子マネーを用いることができる。客が操作するため、わかりやすさが重要になる。また、現在では、個々の商品のバーコードをスキャナーで読み取る方式であるが、将来は商品に添付されたRFID(無線チップ)により自動的にスキャンできるようになろう。
- 1997年 NCR、セルフPOSシステム「FastLane」、ウォールマート導入
2009年に「NCR SelfServ Checkout」と改称
- 2003年 日本NCR、FastLaneをイオンに導入
これが日本でのセルフPOSの最初だといわれる。
その後、国内では、日本IBM、東芝テック「WILLPOS Self」、寺岡精工「Web2300Self」、NECインフロンティア「TWINPOS5000」、富士通「TeamPoS/SR」などがセルフPOS市場に参入している。
米国では、セルフレジ導入が盛んで、2001年には19%、2002年には29%になり、2005年には過半数に達したと推定される。米国でのセルフPOSシェアは,NCRが過半数を占め、富士通とIBMがそれに次ぎ、3社の寡占状態になっている。
日本では、2003年頃から実証実験目的で導入され、2008年頃から実務的に使われるようになってきたが、POS全体から見るとまだ本格的な普及段階になっていない。