携帯電話の仕組み
携帯電話の仕組みの概要を示す。携帯電話の特徴を示すことが目的なので、技術的には正確性を欠いている。
携帯電話がつながる仕組み
- 携帯電話網の構成
固定電話ではいくつもの交換局(電話局)が地域別に階層的に設置されているが、携帯電話でも同様に携帯電話用の交換局が階層的に設置されている。固定電話では電話と末端の交換局が有線で接続されているが、携帯電話では、末端の交換局からさらに基地局(上図写真)に分かれ、電話機と基地局の間は無線で接続される。
- セル方式
携帯電話は無線機である。無線機により電波を発信するには電波法の規制がある。無免許・無届出でも使えるためには、信号が微弱であることが条件になる。信号が微弱だと到達距離が短い。一つの基地局がカバーする通信可能な範囲をセルというが、携帯電話機の基地局のセルは数百mから数kmである(携帯電話に比べてPHSはさらに微弱でセルが狭い。それで携帯電話の方式をマクロセル方式、PHSの方式をマイクロセル方式という)。
- 無線と有線の組み合わせ
携帯電話は、電話間のすべてが無線で接続しているのではない。電話機と基地局までは無線だが、その基地局と相手の電話機の近辺にある基地局までは、有線回線で接続されている(この有線部分をマイクロウェーブのような無線を使いこともあるが、これは固定電話でも同じである)。
- 相手の位置認識
固定電話では電話番号が電話機が設置されている電話局を示している。ところが携帯電話ではどこにいるのかわからない。電話機に電源が入ったり、ある基地局がカバーする地域に入ると、電話機は自動的に基地局に信号を送り、最終的には移動通信制御局に送られる。ここには電話番号と現在位置の対応表があると思えばよい。
電話番号をかけると、その対応表を見て相手の交換局がわかる。その交換局は、それの配下にある全基地局から一斉に電話機呼び出し信号を発信する。
- 周波数域と通信方式
無線は携帯電話だけでなく放送や機器制御などにも使われている。それらの用途を互いに妨害しないためには周波数を分離する必要がある。携帯電話では、800MHz帯、1.5GHz帯、1.7GHz帯、2GHz帯の周波数が用いられている。
同じ基地局に同じ周波数帯域を用いて電話をすれば、混信したり盗聴されてしまう。ごく初期には、電話機ごとに周波数帯域を占有する方式があったが、それでは周波数がネックになり普及できない。それで、同じ周波数帯域を複数の人が共有できる仕組みが必要になる。また、携帯電話の機能が多様になると、通信速度の向上が重要になる。そのような仕組みが通信方式であり、その方式の発展が携帯電話の世代区分になっている(後述)。
- ハンドオーバー
接続利用中に、ある基地局のセルから他の基地局のセルへと移動することをハンドオーバーという。特に高速移動中での大量データの受信では、瞬間的な途切れでも大きな影響を生じる。そのときの切り替えを円滑に行う仕組みが必要になる。
初期の頃には、移動中の切断が多かった。特にPHSではセルが狭くハンドオーバーが頻繁に起こるので「PHSはすぐ切れるのが欠点」とされていたし、携帯電話も自動車で使うとよく切れたものである。
携帯電話の特徴
携帯電話を他の通信機器と比較すると次の特徴がある。
- 通常の固定電話は有線回線を接続することにより交信するのに対して、携帯電話は無線通信であり、周波数を一致させることにより交信が可能になる。
- 親子電話も無線を用いているが接続相手先が固定しているのに対して、携帯電話は不特定多数の相手先がある。
- アマチュア無線も不特定多数の相手先があるが、受信者が発信者の周波数に合わせることにより交信できる。それに対して、携帯電話では発信者が受信者を指定する。
- 一般の無線電話は設置場所が固定しているのに対して、携帯電話では送信機も受信機も存在場所が一定ではないし、しかも移動している。
- ポケットベルも移動体通信ではあるが、単に信号を送るだけであり、双方向の音声通信をするものではない。
携帯電話は、電子メールやWeb閲覧などに利用されている。しかし、通常のパソコンとは次のような違いがある。
- 一般の電子メールの受信では受信者がサーバに取りに行くプル型であるのに対して、携帯電話ではサーバがメールアドレスから電話番号を得て強制的に送りつけるプッシュ型である。
- Webブラウザの機能が制限が多い。スタイルシートやスクリプト機能がは一部を除き利用できない。
- 全般的に携帯電話会社の独自方式に縛られている。電子メールやブラウザのソフトは変更できない。サービスでも電子メールでは文字数や添付ファイルサイズの上限が異なる。絵文字など特殊文字の違いがある。Web閲覧では、携帯電話会社が承認する公式サイトがあり、一般のWebサイトと区別されている。
携帯電話の世代区分
携帯電話は、主に通信方式の発展により、4つの世代に区分される。なお、第3世代から第4世代に移行する間に連続的な発展があり、3.5世代(2004年頃)、3.9世代(2008年頃)などとされた時期もある。
| 第1世代(1G) | 第2世代(2G) | 第3世代(3G) | 第4世代(4G) |
時期 | 1980年代 | 1990年代 | 2000年代 | 2010年代 |
主な用途 | 通話のみ | +インターネット | +マルチメディア | +ユビキタス |
主なデータ | 音声 | +基本データ | +マルチメディア | +高品質マルチメディア |
回線 | アナログ | デジタル | デジタル | デジタル |
交換方式 | 回線交換 | 回線交換 | パケット交換 | パケット交換 |
多重方式 | FDMA | TDMA/CDMA | CDMA | OFDM? |
通信方式 | NTT大容量方式 TACS | PDC(docomo固有) cdmaOne(au採用) | IMT-2000(ITU規格) W-CDMA(docomo) CDMA2000(au) | IMT-Advanced (LTE-Advanced,WiMAX 2) |
通信速度 | | 28.8kbps | 384kbps | 50Mbps-1Gbps |
NTTドコモ サービス名 | アナログmova | デジタルmova | FOMA | Xi(?) |
携帯電話の区分と主な機能
出典:
TDK「あっとデバイス ユビキタス時代に向けて携帯電話はさらに進化する」
2010年代は携帯電話の第4世代とされている。ところが、2007年にはAppleがスマートフォンiPhoneを発表した。また、2008年にはGoogleがスマートフォンOSのAndroidを発表して2010年には国産各社がスマートホンを生産するようになった。2011年には出荷台数で携帯電話を超えた。携帯電話からスマートフォンへの買い替えが進むので、2015年ころには契約数でも超えるだろうと予測されている。
参照:「スマートフォンの歴史」
多重方式と通信方式
多重方式とは、限られた周波数域において、多数の通話を行うための方式である。また、同じ多重方式を用いているが、帯域幅や基地局間同期の方法が異なる仕様がある。それを通信方式という。歴史的にドコモとauは異なる方式を採用している。
- 第1世代:FDMA
アナログ通信時代に採用された方式。通信ごとに基地局が異なる周波数帯域を割り当てる方式。通話中はその周波数を占有するので、周波数利用効率が悪い。
主な通信方式
NTT大容量方式
TACS(モトローラ開発)
- 第2世代:TDMA
個々の通信に短い時間(タイムスロット)の単位で順番に繰り返し割り当てることにより、一つの周波数域を共同で利用できる。音声・データの両方を多重でき、デジタル通信に向いた方式である。
主な通信方式
PDA(ドコモ採用)
cdmaOne(TACSの発展、au採用)
第3世代:CDMA
スペクトラム拡散方式と呼ばれる。個々の通信に異なるコード(拡散コード)を割り当てることにより、さらに周波数利用効率の改善ができる。W-CDMAとCDMA2000の多元接続方式として採用された。
主な通信方式
総称としてIMT-2000があり、その下にいくつかの仕様がある。
W-CDMA(ドコモ)
CDMA2000(au)
主な携帯電話事業者の変遷
現在では、携帯電話のプロバイダは、NTTドコモ、au、ソフトバンクモバイルが3強になっているが、複雑な合併や買収が行われてきた。
主な携帯電話事業者の変遷
(拡大図)
(かなり概念的であり、詳細は記述していない)
- NTTドコモ
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1985年 日本電信電話公社(電電公社)が民営化されNTTに
1992年 NTTの移動通信部門が分離してNTTドコモに
- au(KDDI)
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- (旧)KDD(国際電信電話株式会社)
1953年 電電公社から国際電気通信業務を分離、郵政省管轄の特殊会社として設立
1997年 国内電話事業への進出が可能になる
1998年 特殊会社から民間企業になる
- TWJ(日本高速通信株式会社)
1984年 道路施設協会(日本道路公団)とトヨタ自動車により設立
1986年 東名高速,名神高速道路沿いに東名阪間光ファイバーケーブル敷設
- KDD(ケイディディ株式会社
1998年 国際電信電話株式会社と日本高速通信株式会社が合併し社名をケイディディ株式会社とする。
- DDI(第二電電)
1985年 京セラを中心に、三菱商事やソニー、セコムなど25社の出資で設立
1989年 関東・中部圏(これらはIDO)以外のエリアで地域別の移動体通信子会社「○○セルラー電話」設立
1999年 ツーカーセルラー3社吸収
- IDO(日本移動通信)
1987年 トヨタ自動車・日本道路公団・東京電力・中部電力が中心
- au by KDDI
2000年 DDIセルラーグループとIDOがブランド名称をauに統合
2001年 KDDとDDIが合併、KDDIとなる
なぜ「au by KDDI」というのだろうか?
KDDIが発足する前に、沖縄セルラー電話を除いたセルラーグループが合併して「株式会社エーユー」となり、そこでのブランド名をauとした。それがさらにIDO、KDDと合併してKDDIとなった。また、2005年にKDDIはKDDIグループで別会社だったツーカーグループ3社を吸収合併した。
それで、auとツーカーを「au by KDDI」「TU-KA by KDDI」と区別して呼ぶようになった。2008年に「TU-KA by KDDI」は「au by KDDI」に取り込み、営業は終了したのだが、単に「au」や[KDDI」よりもカッコよいのだろうか、その後も「au by KDDI」といっている。
なお、沖縄地区では沖縄セルラー電話が株式を上場していたので、KDDIが株式の過半数を所有する子会社ではあるが、統合されないままになっている。それで「au」だけになっているものもある。
- ソフトバンクモバイル
-
- 日本テレコム
1984年 国鉄の鉄道通信を母体とする通信会社として設立
1989年 鉄道通信株式会社と合併
1991年 東京デジタルホン設立。順次、東海、関西にも
- ツーカー
1992年 日産自動車、DDI、京セラにより、関東甲信、東海、関西にDDI系のツーカーセルラー3社設立。
- デジタルツーカー
1996年 日本テレコムと、日産の合同事業として、関東甲信、東海、関西以外の地区に
- J-フォン
1999年 日産がデジタルツーカー株を日本テレコムに譲渡。ツーカーセルラー3社はDDIに譲渡。デジタルホンとデジタルツーカー「J-フォン」に名称変更。
- ボーダフォン
2001年 J-フォンが英Vodafoneの傘下へ
2003年 J-フォン株式会社がボーダフォン株式会社に社名変更
- ソフトバンクテレコム
2006年 英Vodafoneの国内事業がソフトバンクグループ傘下へ
2006年 ボーダフォン株式会社がソフトバンクモバイル株式会社に社名変更
2006年 日本テレコムがソフトバンクテレコム株式会社に社名変更
2012年 ソフトバンク、米スプリントの買収を発表
1970年代まで:携帯電話前史
- 1949年 米国セントルイスで150MHzバンドの手動式自動車電話登場(世界初)
- 1969年 ベル研究所、自動車電話IMTS開始
ITMS(Improved Mobile Telephone System)。これが発展して1983年に本格的なAMPS(Advanced Mobile Phone System)になる。
- 1968年 ポケットベルサービス開始
ページャ、無線呼び出しともいう。電話の着信ベルだけを小型の携帯端末に送る仕組み。
参照:「ポケベルの歴史」
- 1970年 大阪万博で携帯電話を展示実演
1980年代:第1世代:アナログ電話
自動車電話→ショルダーホン→携帯電話
- 1979年 自動車電話サービス開始
移動電話としては、自動車搭載電話から始まる。通信エリアは都市部に限られ、新規加入料8万円、月額基本料3万円、通話料6.5秒で10円という高額料金だった。
- 1985年 ショルダーホンサービス開始
車載電話を取り外して持ち歩けるようになった。とはいえ、3kgもあり、肩から掛ける形式なので「ショルダーホン」と呼ばれた。重量のほとんどがバッテリーなのに、通話時間は約40分だった。
- 1987年 NTTが携帯電話サービス開始
重さが1kgを切り、片手で持てる大きさになった。最初の携帯電話は松下(現パナソニック)/NEC製のTZ802bである。
- 1991年 アナログムーバ
急速に小型化が進んだ。アナログムーバは230gになり、当時世界で一番小さくて軽い携帯電話になった。この頃から携帯電話が一般用に普及するようになった。
1990年代:第2世代:デジタル化とインターネット結合
デジタル化→第2世代へ
- 1993年 NTTドコモ PDC方式でのデジタル化開始
- 1998年 DDIセルラー、cdmaOne開始(IDOは1999年に開始)
PDC (Personal Digital Cellular) は、FDD-TDMAの第二世代携帯電話の通信方式の一つである。日本で開発され、日本国内で利用されている
利用効率の高いデジタルの国際規格がいつまでも登場しなかったため、やむなく電波利用効率の高い暫定的デジタル方式としてPDCを開発した。最初の計画通り一切海外への営業や特許利用許可を出さなかったのでPDCは日本のローカル規格となった。
- 1999年 NTTドコモとIDO、アナログ方式終了
- 2000年 DDIセルラー・IDO、アナログ (TACS) 方式終了
これにより第1世代のアナログ方式はすべてサービス終了
- 2010年 au、ソフトバンク、第2世代携帯電話サービス終了
- 2013年 NTTドコモ、第2世代携帯電話movaサービス終了予定
mova(ムーバ)
- 1991年 アナログムーバ開始
- 1993年 デジタルムーバ開始
- 1999年 アナログムーバ終了
- 2012年 デジタルムーバ終了予定
movaは、1990年代を代表するNTTドコモの携帯電話機シリーズ名およびサービス。第1世代機をアナログムーバ、第2世代機をデジタルムーバという。
DDIセルラーグループは、モトローラが開発したTACS方式を採用し、モトローラ製の小型(容積300cc)携帯電話を用いていた。NTTドコモはそれに対抗して、松下通信工業(パナソニック)、NEC、三菱電機、富士通の4社と共同で容積230ccのTZ-804型を開発した。これがmova(アナログムーバ)の初期機である。
なお、デジタルムーバは101番から始まり、iモード対応機は500番台になっている。
携帯電話の売り切り制
自動車・携帯電話機はレンタルだったが、1994年に売り切り制が認められた(固定電話は1985年)。これにより、自由競争が激しくなり、初期費用、回線利用の料金が大幅に値下げされた。
液晶端末
当初の携帯電話の表示面は、ポケベルのように、単に電話番号などの英数字を数行表示するだけだった。それが1999年になると液晶画面になり、すぐにカラー化された。その後は、解像度の向上、画面サイズの拡大が行われてきた。
- mova-P(1991)最初の携帯電話
- デジタルムーバ N501i(1999,NEC)日本初のブラウザ付きiモード対応。モノクロ
- J-フォン SH02(1999、シャープ)初の256色カラー液晶
- FOMA端末 N904i(2007、NEC)初のVGA(640×480)
- ソフトバンク 931SH(2008、シャープ)ハーフXGA(1024×480)
iモード
1999年にNTTドコモはiモードサービスを開始した。当初は第2世代環境での提供であったが、FOMAの開始とともに、第3世代携帯電話の代表的な仕様となった。機番が5xxiの機種がiモードに対応している。
- インターネットとの接続
インターネットと接続して、電子メールの送受信やWebページ閲覧ができるようになった。
携帯電話では画面が狭いので、Compact HTMLと呼ばれるHTMLのサブセットでコンテンツを記述する。スタイルシートやスクリプトの機能が貧弱である。
- Javaが使える
Javaでプログラムが作れる。他人が作成したJavaアプリケーション(iアプリ)の動作環境がある。
- 「iアプリ」サービス
これにより、多様な情報提供サービスやゲームなどが提供された。また、銀行や証券会社、クレジットカード会社、旅行会社、チケット販売会社など様々な業種の企業がiモード向けのサービスを提供するようになった。
これは大成功し、NTTドコモの利用者は急増した。他社もこれに追従した。NTTドコモは、諸外国の携帯電話サービス会社に対してiモードの技術とライセンスを供与して国際的展開を図ったのだが、海外では普及しなかった。
第3世代
- 1999年 IMT-2000規格策定
- 2001年 ドコモ、FOMA開始
- 2002年 au、cdma2000開始
IMT-2000(International Mobile Telecommunication 2000)とは、ITU(国際電気通信連合) 勧告による通信方式であり、高い通話品質と高速データ通信を実現している。その方式を用いた携帯電話を第3世代携帯電話という。
IMT-2000でも一つの方式に統一できず、W-CDMA (Wideband Code Division Multiple Access) 方式やCDMA2000方式などがある。W-CDMAは、NTTドコモとノキアやエリクソンなどの欧州の携帯電話機器メーカーによる共同開発がベースになっており、日本ではNTTドコモやソフトバンクが採用しており、CDMA2000は、米国クアルコム社による第2世代のcdmaOneとの関係を重視しており、日本ではau(KDDI)が採用している。
FOMA(Freedom Of Mobile multimedia Access)は、W-CDMA仕様に機能追加をしたNTTドコモのサービス商品名である。初代FOMA端末にN2001(NEC)やP2101(松下通信工業、現パナソニック)がある。なお、2006年にNTTドコモは第2世代のMOVAを発売終了。
携帯電話の多機能化、ガラパゴス現象
- 1999年 DDIポケット、京セラ製、世界初のカメラ付き携帯電話(PHS)「VP-210」
- 2000年 Jフォン、シャープ製、現在の形態のカメラ付き携帯電話「J-SH04」
- 2001年 Jフォン「写メール」発売。他社も追随
参照:「カメラ付き携帯電話の歴史」
- 1996年 NTTドコモ、着メロディ搭載携帯電話「デジタルムーバ N103 HYPER」
- 2002年 au、着うた登場
- 2004年 着うたフル登場
- 2008年 着うたフルプラス
単音の着信音→着信メロディ→着うた(30秒間程度)→着うたフル→着うたフルプラス(1曲全体)と変化するのに伴い、目的が着信確認から楽曲鑑賞へと発展してきた。
- 2004年 おサイフケータイ
NTTドコモ、「SO506iC」などのiモード機種に日本で初めてのFelica対応機能(iモードFeliCa)を搭載。Edyなどの電子マネー、ポイントカード、乗車カード、クレジットカードとしての利用ができる。各社が追従した。
- 2006年 KDDIがGoogleと提携
- 2006年 ソフトバンクがYahho! JAPANと連携
- 2006年 ドコモ、検索でMSNなど9サイトと連携
携帯電話では、公式サイトの検索(ドコモ=iMenu、au=EZweb、ソフトバンク=Yahoo! ケータイ)が重要であるが、そのエンジンの強化やGoogleモバイルやYahho!モバイルなどの利用のために、検索ポータルとの連携が行われた。
- 2005年:ワンセグ対応
2006年に、携帯電話・移動体端末向けの地上デジタルテレビ放送1セグメント部分受信サービスが開始された。初めてのワンセグ対応携帯電話は、三洋電機(現・京セラ SANYOブランド)「W33SA」で、CEATEC JAPAN 2005で参考出品された。
多機能化や高品質化は、差別化に資する反面、コスト高になる。ところが、2000年代になると、先進国での需要が成熟し、発展途上地域での需要が急増する。特に発展途上地域では、機能や品質よりも低価格を求める。そのため、国内市場に特化した発展が、かえって国際競争力を低下させたと指摘されるようになる。これをガラパゴス現象という。
業界3強に統合、携帯電話の番号ポータビリティ
- 1992年 NTTの移動通信部門が分離してNTTドコモに
- 2000年 DDIセルラーグループとIDOがブランド名称をauに統合
- 2001年 KDDとDDIが合併、KDDIとなる
- 2003年 Jフォンがボーダフォンに
- 2006年 ソフトバンク、ボーダフォンを買収。ソフトバンクモバイルに
2006年、電話番号はそのままで携帯電話会社を変更できるようになった。それを番号ポータビリティという(メールアドレスは、ドメイン名により運営社を識別しているので、新しいアドレスに変更する必要がある。)。これにより、番号変更の煩わしさによる抱え込みができなくなり、携帯電話会社同士の競争が促進された。
参照:総務省「携帯電話の番号ポータビリティ」
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/mnp/index.html
ポータビリティ実施(2006年9月)以降のシェアの変化(%)
ドコモ KDDI ソフトバンク
2006年9月 55.5 28.1 16.3
2007年9月 53.3 29.4 17.1
1年間での増減 -2.2 1.3 0.8
出典:
電気通信事業者協会「携帯電話・PHS契約数」より計算
加入者数は飽和状態に
2000年には、移動電話(携帯電話+自動車電話+PHS)の加入台数が5,000万台を超え、固定電話を上回った。
2007年1月には、携帯+PHS契約台数が1億台を超え、12月には携帯電話だけで1億台を超えた。
このように、2000年代後半には、携帯電話の普及はほぼ飽和状態になり、買い替え需要や新規携帯電話保有年齢層の需要だけになった。
SIMロック解除の動向
SIM(Subscriber Identity Module)とは、携帯電話で利用者を識別するICカード。SIMロックとは、特定の通信事業者のカードしか利用できなくしている制限であり、これを解除することにより、通信規格が同じならカードを差し替えるだけで別の通信事業者に乗り換えられる。
日本では、販売店に多額の販売奨励金を出して携帯電話本体の価格を下げて利用料で回収する方式をとってきたため、利用者の乗り換え防止対策として行われてきた。欧米では一般にこのような制限は設けていない。
総務省は、自由競争のために、ロック解除を主張してきた。強制的ではなく、事業者が自主的に、2011年以降に発売される機種のうち可能なものから実施することを期待することとした。
それに応えて、NTTドコモは、2011年4月以降に出荷するすべての携帯端末に、SIMロックを解除できる機能を盛り込む方針を明らかにした。これには、iPhoneでも解除すればiPhoneをドコモの端末にできるとの狙いもあろう。
2011年:LTE(Long Term Evolution)
無線通信の規格。理論上は下り326.4Mbps(実際には100Mbps以下)の高速であり、モバイル環境で有線に匹敵する大容量のデータ伝送ができるようになった。規格は2009年に策定されたが、環境が整い利用できるようになったのは2011年である。
これをもって4G(第4世代)だという人もいるが、単に高速になっただけでいま3.9世代だという人もいる。
2011年:スマートフォンへの移行
2011年、日本でのスマートフォンの出荷台数が携帯電話を超えた。その後も携帯電話買替の際にスマートフォンに移行するので、2015年頃には契約者数でもスマートフォンが過半数ぬなると予測されている。
それで、携帯電話の歴史はここで終えることにする。