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(携帯電話全般に関しては、 「携帯電話の歴史」を参照されたい。)
ポケベルとはポケットベルの略称で、ポケットベルはNTTの名づけた愛称であり、その事業を引き継いだNTTドコモはクイックキャストと名称変更した。世界的にはページャ(Pager)あるいは無線呼び出し(Wireless call)という。
単純にいえば、電話の着信ベルだけを小型の携帯端末に送る仕組みである。機能を追加して、電話から十文字程度のデータを端末に送信し表示することもできるようになった。携帯電話での電子メールと似ているが、ポケベルは一方方向であり、ポケベルから発信することはできない(双方向のポケベルも出現したが、日本では普及しなかった)。
下図は、最も進んだ時期でのポケベルの通信システムで、図中の受信機がポケベルである。
ポケベルの起源は1958年に米国で開始された「ベルボーイ」サービスだそうだが、ここでは日本に限定する。
日本でサービスが開始されたのは1968年である。1986年頃から急速に普及した。1996年にピークに達し契約者数は1,078万人(うちNTTドコモ649万人)になった。その後、携帯電話やPHSにおされて急激に減少し、2007年にサービスが終了した。
ポケベルにデータを送ることにより、送信者の電話番号や用件分類を伝えることができる。すなわち、不特定多数の電話とポケベルの間のネットワークが出現したのである。
これに飛びついたのが女子高生である。彼女らは、数字しか利用できない環境でも、「0840=おはよう」のような語呂合わせや、仲間内での略語を作り出して、かなり複雑な会話を行っていた。携帯電話での「メル友」に相当する、「ベル友」ブームが出現した。
1996年には、ポケベルの加入者数はピークの1,078万人になった。
1995年からPHSサービスが開始された。PHSは、携帯電話に比べて料金が安いこと、ポケベルに比べて双方向の通話やメールができることから、急速にポケベル利用者がPHSに移動するようになった。女子高生はPHSを「ピッチ」と呼び愛用するようになった。
携帯電話の普及も急速で、1996年にはポケベル加入者のピーク数を超え12,400万人に達した。そして、1997年には、メールサービスも開始された。
ポケベルが競争力を失った最大の弱点は、双方向ではない(ポケベルから発信できない)ことにあった。1995年に米国で「ReFLEX方式」による簡易双方向通信サービスが開始されたのだが、この双方向ポケベルは、日本では上記の理由により実用化されなかった。
ポケベル側は、漢字表示機能(1996年)、基本料無料(1999年)などの対策を講じたが、急激に加入者数は急激に減少し、2007年に最大の事業者であるNTTドコモはサービスを終了した。これにより、商用ポケベルは事実上消滅したことになり、防災分野や無線LAN環境での特殊用途に限られるようになった(3470=さよなら)。なお、PHSも2008年にサービスを終了した。