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ポケベルの歴史


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(携帯電話全般に関しては、 「携帯電話の歴史」を参照されたい。)


ポケベルとは

ポケベルとはポケットベルの略称で、ポケットベルはNTTの名づけた愛称であり、その事業を引き継いだNTTドコモはクイックキャストと名称変更した。世界的にはページャ(Pager)あるいは無線呼び出し(Wireless call)という。


ポケットベル(NTTドコモ、1987年
出典:Nippon Style「ポケットベル 数字表示タイプ」

単純にいえば、電話の着信ベルだけを小型の携帯端末に送る仕組みである。機能を追加して、電話から十文字程度のデータを端末に送信し表示することもできるようになった。携帯電話での電子メールと似ているが、ポケベルは一方方向であり、ポケベルから発信することはできない(双方向のポケベルも出現したが、日本では普及しなかった)。
 下図は、最も進んだ時期でのポケベルの通信システムで、図中の受信機がポケベルである。


クイックキャストシステムの接続メカニズム
出典:NTTドコモ「クイックキャスト(ポケットベル)ネットワーク」

ポケベルの歴史

ポケベルの起源は1958年に米国で開始された「ベルボーイ」サービスだそうだが、ここでは日本に限定する。
 日本でサービスが開始されたのは1968年である。1986年頃から急速に普及した。1996年にピークに達し契約者数は1,078万人(うちNTTドコモ649万人)になった。その後、携帯電話やPHSにおされて急激に減少し、2007年にサービスが終了した。

~1985年:初期のポケベル

  • 1968年 電電公社(現NTT)、東京23区でサービス開始。
    その後、全国展開、高速化が行われたが、当初のポケベルは、一般の電話からポケベルへ一方向に呼び出し信号を送るだけであり、受信者は、それを見て、近くの公衆電話から送信者へ電話をかけるという利用方法であった。すなわち、電話の着信ベル機能だけをモバイルにしたようなものである。そのため、利用者は外出の多い営業部員や経営者、医療関係者に限られていた。
  • 1978年 回線のデジタル化
    回線のデジタル化は、一般電話、携帯電話に先だってポケベルで行われた。

1985年~1996年:ポケベルの急激な普及

  • 1985年の通信自由化によりIDO(日本移動通信)、DDI(第二電電)(いずれも現KDDI)参入。1986年から87年にかけて、各地域に新規参入しサービスを開始した。
  • ポケベルへのデータ送信機能
    一般電話(プッシュホン)から10文字程度の数字列を送りポケベルに表示できるようになった。これはその後、カナや漢字まで使えるようになった。

ポケベルにデータを送ることにより、送信者の電話番号や用件分類を伝えることができる。すなわち、不特定多数の電話とポケベルの間のネットワークが出現したのである。
 これに飛びついたのが女子高生である。彼女らは、数字しか利用できない環境でも、「0840=おはよう」のような語呂合わせや、仲間内での略語を作り出して、かなり複雑な会話を行っていた。携帯電話での「メル友」に相当する、「ベル友」ブームが出現した。
 1996年には、ポケベルの加入者数はピークの1,078万人になった。

1996年~2007年:ポケベルの衰退と消滅

1995年からPHSサービスが開始された。PHSは、携帯電話に比べて料金が安いこと、ポケベルに比べて双方向の通話やメールができることから、急速にポケベル利用者がPHSに移動するようになった。女子高生はPHSを「ピッチ」と呼び愛用するようになった。
 携帯電話の普及も急速で、1996年にはポケベル加入者のピーク数を超え12,400万人に達した。そして、1997年には、メールサービスも開始された。

ポケベルが競争力を失った最大の弱点は、双方向ではない(ポケベルから発信できない)ことにあった。1995年に米国で「ReFLEX方式」による簡易双方向通信サービスが開始されたのだが、この双方向ポケベルは、日本では上記の理由により実用化されなかった。

ポケベル側は、漢字表示機能(1996年)、基本料無料(1999年)などの対策を講じたが、急激に加入者数は急激に減少し、2007年に最大の事業者であるNTTドコモはサービスを終了した。これにより、商用ポケベルは事実上消滅したことになり、防災分野や無線LAN環境での特殊用途に限られるようになった(3470=さよなら)。なお、PHSも2008年にサービスを終了した。