主張・講演情報化投資の費用対効果

成功事例は役に立つか

「○○企業は△△分野を情報化することにより収益を向上した」というような成功事例は,雑誌やインターネットに満ち溢れています。これらが自社の参考になるのはいうまでもありません。しかし,実際に自社で試みようとすると多くの限界にぶちあたるのも現実です。


成功事例企業の特徴

成功事例を分析すると,どうも一般の企業とは異なる背景があるようです。

自社環境とのギャップ

成功事例の記事を見ると,
   経営者が積極的なリーダーシップを発揮し,
   能力を持つ推進リーダが超人的な努力をして,
   共通の問題意識のもとで全社一丸となって
達成したというような内容がほとんどですね。このように,成功するには成功するだけの環境があるか,あるいはスーパーマンの存在が必要なようです。

そのような記事を読んでも,ヒントを得るどころか,「自社との環境がかなり違う。このような環境があるのなら苦労はしない」とあらためて挫折感を認識することになりかねません。
 ウチの経営者はあまり情報化には関心を持っていない。関心を持つのは「いくらかかるのか,それでどれだけ儲かるのか」ということだけだ。それ以外の質問をしたことがない・・・。
 利用部門も文句をいうだけで建設的な意見はいわないし,プロジェクトに参加するのも渋っている。経営者から一般社員までを総取替えしなければダメだ。
 とはいえ,自分が経営者や利用部門に働きかけて環境を革新するべきなのかもしれないが,成功する確乎たる自信も信念もない。強引に経営者や利用部門を説得するだけの覇気はない。説得しようにも孤立無援だし,下手をすれば反対者を作るだけだ。もし失敗したらスケープゴートにされかねない。リストラが進行している時代では,リスクを避けたほうが安全だ・・・。
 「凡社・凡人が情報化で成功した事例」がほしいのだが,それほど甘いものではないようです。

成功企業は元気印

成功事例のほとんどは元気印の企業です。倒産直前の企業が情報化投資を行ったことにより倒産を免れて細々ながら維持できたという事例はあまり聞きません。
 元気印の企業は,情報化投資により企業収益が向上したのかもしれないが,その投資をする以前でも「成功」企業だったのではないか。逆にいえば,収益のよい企業は情報化投資をする余裕があったのだともいえます。いくつかの投資は失敗しても,そのなかでヒットした投資があったので,全体として収益が向上したのかもしれません。または,ある投資が失敗しかけたときに,多くの人材や費用をつぎ込むことができたために,成功へと転換できたのかもしれません。

参考になる失敗事例

成功事例はそのまま自社に取り込むのにはギャップが大きいのに対して,失敗事例は,企業のレベルに関係なく参考になります。当然ながら,成功事例が豊富であるのに対して失敗事例は稀です。しかも,本当の原因はオブラートに包まれているのが通常です。数少ない例として,日経コンピュータ誌では「動かないコンピュータ」を連載しており,それを整理した単行本『動かないコンピュータ』(日経BP社,2002年)が出版されています。また,私は他社の情報システム部門の人たちと親しくお付き合いさせていただいていますが,私自身の失敗と同様なことが,先進企業でも発生しているようです。

進んでいる企業でも個々の事項では対処に取りこぼしがあります。その欠点は自社では通常のことなのかもしれません。マーフィの法則が示すように「失敗する可能性があるときはかならず失敗する」のですから,成功するためには,まずそれを回避することが効果的です。

ベンダやコンサルタントもあてにならない

ついでですが,ベンダやコンサルタントもあてにならないようです。多くの企業は,これまでに付き合ってきたコンピュータやソフトウェアのベンダから,情報技術動向の説明を受けたり,自社の情報化に関して提案を受けたりしています。ときには,経営や情報のコンサルタント会社に経営戦略や情報化戦略の指導を受けています。
 彼らは経営情報戦略のプロを多数抱えてます。情報機器は売るほど持っています。それなのにベンダのほとんどが不況にあえいでいます。著名なコンサルタント会社が不正会計に手を貸して崩壊していますし,ITコーディネータや中小企業診断士も資格は得たが仕事がないとこぼしています。すなわち,自分たちの経営すらマトモにできない連中なのです。それが他人の会社の経営を成功させられるとは思えません。
 本来ならば,それらの失敗や限界を糧として,適切なアドバイスをしてくれればよいのですが,どうもそこまでは成熟していないようです。

好スパイラルと悪スパイラル

このような成功企業は,ある日突然に成功する環境が出現したのではありません。どんな企業でも収益のよいときと悪いときがあります。好収益のときにそれをチャンスだと認識して適切な行動をしたことが成功する秘訣だと考えられます。

好スパイラルを加速する成功企業

情報化投資には,ハードやソフト,通信ネットワーク,データベース,社員教育などのインフラ整備のための投資と,販売システムや経理システムなどの個別アプリ投資があります。一般に情報化投資にはリスクを伴うし効果がでるまでの期間が長いが,特にインフラ投資ではそれが顕著です。
 成功企業では,収益がよいときにインフラ投資を積極的に行ないました。その結果,その上に構築する個別アプリを他社よりも安価で構築することができるし,成功する確率も高くなります。それが企業収益を向上させて余裕を生むので,さらにインフラ投資ができるのです。
 有名な成功企業は,1980年代のSISのときも1990年代のBPRの頃もてはやされた企業です。彼らはこの好スパイラルをうまく回しているのです。しかも,マスコミがこの企業の情報化が優れていると宣伝してくれれば,経営者や利用部門の情報システム部門を見る眼が変わります。情報システム部門もマスコミの記事に負けないようにがんばります。それが好スパイラルを加速しているのです。

悪スパイラルになったら手遅れ

それに対して,凡庸な企業は好収益のときに利益をゴルフ会員権や絵画あるいは飲食に消費して,情報化インフラ投資をしませんでした。そのような企業では,個別アプリ開発にも多大な費用と時間がかかります。社員の情報リテラシーや経営者のプロジェクト管理能力も低いので,成功確率が低くリスクが大きくなります。不況になってからではインフラ投資をする余裕はありません。悪スパイラルに陥ったのです。
 衰弱した病人には大外科手術はできません。悪スパイラルに陥っている企業こそ情報化投資が必要なのですが,もはや手遅れです。深刻な悪スパイラル企業が,成功事例を見てマネをしようとするのは危険です。おそらくその情報化投資が致命的な打撃になりましょう。そもそも現状の問題点は,好収益時での無能な経営のツケがまわってきたのですから,経営者は静かに追放され,企業はいさぎよく倒産するのが最良の手段なのです。

「必要は発明の母」といいますが,現実には「余裕は改革の父」なのです。どんな企業もある時点では余裕がある。あるいは将来になって振り返ったときに現在が余裕があった時期かもしれない。手遅れにならないうちに悪スパイラルを好スパイラルに切り替えることが必要なのです。

成功事例や専門家の利用法

ここまで成功事例や専門家の悪口をいってきましたが,これらが貴重な存在であることはいうまでもありません。そこ活用法を理解しておくことが必要なのです。それには,経営者(あるいはスタッフ)が,経営や情報に関してある程度の能力を持つこと,常に問題意識を持つことが求められます。

ベストプラクティス

優れた方法で他社にも応用できる方法をベストプラクティスといいます。成功事例はベストプラクティスの宝庫です。成功事例を分析すれば,成功させるための背景が整理できます。それの実現を目標として何をするべきかがわかります。いかに自社とのギャップが大きいとしても,そのなかには,背伸びをすれば追いつくことができることも多いはずです。
 また,多くの事例を知ることにより,自社にも応用できるアイデアが発見できます。とかく私たちは同業他社の動向だけに関心を絞りがちですが,全然異なる業種での成功事例が自社の懸案事項の解決にも役立つことがあります。すなわち,いかにアンテナを張り,感度をよくするかによって,成功事例が貴重なものになるか,グチのもとになるかが決まるのです。

専門家を専門分野で活用する

ベンダやコンサルタントが紺屋の白袴だとはいっても,彼らは高度な知識と豊富な経験を持っています。しかし,専門が高度になるほどその範囲は狭くなるのは当然です。特に優秀な業績をあげた人は,逆にその成功方法を環境が違っても適用できると思いがちです。
 脳外科の権威に風邪を治してもらうの不適切ですし,マラソンの金メダル選手をフィギュアスケートの試合に出すのも不適切です。ところが,情報技術にうとい経営者は情報ならば何でも同じだと思って,専門家に丸投げしてしまう危険があります。
 専門家のほうも「オレは脳外科が専門なので,内科については素人同然だ」とはなかなかいわないのですね。ひょっとしたら自覚していないのかもしれません。さらには,ベンダやコンサルタントの企業がある分野での能力が高いといっても,実際に自社を担当する人もその分野での専門家だとはいえません。当然,不得手のところは内部での応援を求めるでしょうが,主治医が自分が不得手だと自覚していないと,それも不十分になる危険があります。
 ですから,患者のほうが医者を適切に選択して組み合わせる能力が必要になるのです。自社の経営や情報について,ある程度の知識を持つことは絶対に必要なのです。

蛇足ですが,専門家の専門分野が狭いのであれば,程度の低い専門家(?)ならば範囲が広いだろうと思うのは誤りです。彼らは専門分野で劣るだけでなく,経験も少ないので,専門の範囲も低いのが通常です。何でも屋の藪医者にはかからないほうが安全です。


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