主張・講演情報システム部門の戦略部門化とアウトソーシング

情報システム部門のアイデンティティ喪失

情報技術の発展の歴史は,コンピュータ利用の大衆化の歴史,すなわちエンドユーザ・コンピューティングの発展の歴史であるといえます。これを裏返しにいえば,情報システム部門のアイデンティティの喪失の歴史であるともいえます。それをやや誇張して示します。

時期事象喪失アイデンティティ
1970年代後半
1980年代前半
TSS
パソコン,OA
プログラム作成,コンピュータ利用
コンピュータの保有,情報技術
1980年代後半 SIS,CIO ITガバナンス,社内地位
1990年代前半 CSS
グループウェア
システム資源
運営主体
1990年代後半

2000年代
インターネット
ERPパッケージ
ASP
情報システムの変化
情報システム部門の支援不要
メインフレームも不要

インターネット以前

TSSと情報検索系システム
1970年代末からTSS(Time Shearing System:時分割方式)により,汎用コンピュータを共同利用ができるようになりました。それにより,エンドユーザが端末から汎用コンピュータにアクセスして公開ファイルを任意に検索加工する情報検索系システムが普及しました。これは1980年代の情報検索系システム,1990年代のデータウェアハウスへとつながります。
 それまではCOBOLが書ける,必要な情報を取り出せるということで情報技術者としての地位を確保できました。それが(簡単なものに限られるにせよ)エンドユーザもできるようになったのです。
 また,それまでは基幹業務系システムが唯一の情報システムであり,すべての情報資源は情報システム部門が独占していました。当時は情報検索系システムは基幹業務系システムの不足を補う付録的な位置づけだったのですが,現在では主要な用途は情報検索系システムであり,それに正確なデータを供給するのが情報検索系システムであるというように,主客が逆転するようになりました。基幹業務系システムの相対的重要性が低下したとともに,それを管理している情報システム部門の地位も低下しました。
パソコン,OA
1980年代になるとパソコンがビジネスでも利用できるようになり,オフィス業務の生産性向上を目的としたOA(オフィスオートメーション)のコンセプトとともに急激に普及しました。エンドユーザは小規模ながら自分の管理下にあるコンピュータを入手したのです。
 1台の能力や価格は小さいものの,全体としては汎用コンピュータを凌駕します。もはや,「コンピュータを所有しているのはユーザ部門」になったのです。
 さらに,情報システム部門がパソコンの活用にうろうろしている間に,エンドユーザはパソコンに関する知識を高めました。それで,「情報システム部門は専門家,エンドユーザは素人」の図式が崩壊しました。
SIS,CIO
1980年代中頃には,SIS(Strategic Information System:戦略的情報システム)の概念が普及しました。これは情報システム部門を戦略部門にするということで,一見,情報システム部門の地位が向上するように思われますが,現実にはそれと逆の状況になったのです。
 経営の観点から情報システムを運営することが重要であるとされ,CIO(Chief Information Officer:情報担当役員)が情報システム部門を管理するようになりました。情報システムに関する審議・決定機関としてCIOを委員長とし,各部門の部長クラスを委員とする経営情報委員会(名称は多様ですが)が設置されました。
 それまでは,情報化戦略の策定,情報化案件の取捨選択,予算作成などは情報システム部門が行ってきたのに,これにより,それらの機能は第三者の経営情報委員会に移され,情報システム部門はその事務局として,発言権のない実施部門になったのです。営業部門や経理部門など通常の部門では,自部門の主権に関する事項を他部門からなる委員会に移すことはまずありませんね。情報システム部門は企業の中で最も権限のない組織になったのです。パソコンにより「情報システム部門は専門家,エンドユーザは素人」が崩壊したので,「それでは情報システムに関する行政部門になろう」としたのですが,その夢も砕かれてしまいました。
 この風潮は「プログラマあがりをSEにするな。SEあがりを情報システム部長にするな」という情報技術蔑視の文化大革命へとエスカレートしました。それで野心のあるプログラマやSEは,コンピュータマニュアルをゴミ箱に入れて,経営書を読み漁るようになり,自分が情報技術が高いことをひた隠しして,粛清から逃れる画策に走ったのです。
クライアント・サーバシステム
1980年代末になると,パソコンと汎用コンピュータの価格性能比の差が大きくなり,ダウンサイジングが進みました。これにより,情報システム部門よりも利用部門のほうが圧倒的に大きなコンピュータ資源を持つことになり,しかも,サーバやLANの直接的な管理までも行うようになりました。
グループウェア
CSS環境での利用で最も顕著なのが電子メールや電子掲示板で代表されるグループウェアです。これにより,コンピュータは計算機から情報伝達機としてのコミュニケータへと変化しました。グループウェアは従来のシステムとは異なり,エンドユーザが自らの意思で発信しなければ,システムそのものの意義を失うシステムです。ユーザの自発的運営が主であり,情報システム部門の介入の必要性がありません。すなわち,情報システム部門を必要としない巨大な分野が出現したのです。しかもこれのほうが従来のシステムよりも利用度が大きいのです(特に経営者はそうでしょう)。

インターネット以降

これまでにも,情報システム部門は多くのアイデンティティを喪失してきましたが,それでの情報システム部門の存在そのものは当然のこととされてきました。ところが,インターネット以降の劇的な変化は,情報システム部門そのものを不要とする状況になってきたのです。

インターネット
1990年代の後半から,インターネットの爆発的な発展がありました。これまでは,企業での情報化は情報システム部門が準備した範囲でしか利用できなかったのですが,インターネットはユーザが独自で世界中の情報にアクセスし,情報を発信する環境を実現しました。このような環境では,インターネットの世界がベースであり,社内のシステムはむしろローカルなシステムだと位置づけられます。
情報システムの変化
この頃になると,基幹業務系システムは,企業間連携やWeb技術の活用などで,通常の情報システム部員には手が出せないような高度で複雑なものになってきました。特にWebシステムの開発方法や運用方法は,従来の方法と大きく異なります。それで,利用部門とベンダが情報システム部門を除外して開発するようになりました。情報システム部門が参加するにしても,これまでのように主体となって設計するのではなく,利用部門とベンダの間の通訳や仲介者の位置づけになりました。
ERPパッケージ
1990年後半には,ERPパッケージの出現により,情報システムは個別に開発するものではなく,出来合いのシステムを購入するものだという風潮が強くなりました。「MakeからBuyへ」の時代になったのです。トップと社外コンサルタントが方針を決めて,エンドユーザとパッケージベンダー技術者が詳細を詰めることにより,情報システムが完成します。
 すなわち自社内ではエンドユーザが情報システムを構築したことになります。しかも,情報システム部門はリスク回避の文化で育ってきたために,出来合いのブラックボックスのシステムを使うのに危惧を感じます。それを指摘すると「情報システム部門は改革に反対する保守反動派だ」とされて,ERPパッケージの導入には情報システム部門を蚊帳の外におこうということすらありました。
 これまでは,いかにベンダのほうが技術力が高くても,自社の情報システムは情報システム部門が最もよく知っているというのが強いアイデンティティであった。だからこそ,利用部門は情報システム部門に新規開発や改訂,あるいは情報出力提供を依頼していたのであり,これまでは,「社内の情報システムに関しては最もよく把握している」ことが情報システム部門の最大のアイデンティティでしたが,それさえも失うことになったのです。
ASP
通信回線網の発展やインターネット技術の進歩により,情報システムの処理をあえて自社内のコンピュータで行う必要はなく,外部の専門業者が持つコンピュータで処理するほうが費用的にも安価である状況になりました。特にインターネット取引の分野では,加入者が個別のコンピュータで処理するよりも,そのセンター内で処理するほうが効率的です。このようになると,自社内ではユーザ部門にクライアントのパソコンだけがあればよいようになります。情報システム部門が最後のよりどころとしていた汎用コンピュータすら失ったのです。

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