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家庭内や自社同一建物内での通信をLAN(Local Area Network:構内通信網)という。事業所内での内線電話網やコンピュータと端末、パソコン間などの接続はLANであり、他人との関係がないので、規制はほとんどなく、自由な形態にすることができる。LANに関しては別ページで取り扱う。
LAN以外の通信では、一般的に他社が敷設した通信回線を利用する。それには公衆回線(公衆通信回線)と専用回線(特定通信回線)がある。
公衆回線とは、通常の電話回線のように、不特定多数が物理的に同じ回線を共有して利用する回線である。公衆回線網は、アナログの固定電話機を結ぶものとして、1890年に東京-横浜で電話サービス開始して以来、急速に全国に回線網が設置された。そして、1990年代にはISDNによるデジタル通信が普及し、2000年代にはブロードバンド網が整備されるようになった。
専用回線とは、本社と支店や工場との間など特定の接続先のみで通信できる回線で、次のような特徴を持つ。日本初の専用線電話サービスは、1906年に、日本銀行と横浜正金銀行本店間で開始された。
しかし、1990年代になるとインターネットが普及し、通信コストの面では専用回線のほうが割高になった。2000年代になるとVPNなど公衆回線の仮想専用化によりセキュリティの確保が可能になった。このようなことから、専用回線へのニーズは減少している。
通信の利用に大きく影響を与えた事象として、1985年の「通信自由化」と1990年代中頃からの「インターネットの普及」がある。
1970年代から1980年代にかけて、企業間オンラインでデータ交換を行う電子商取引、オンラインによる情報提供サービスなどの新規事業、通信事業民生化による自由競争および発展などへの要望が高まってきた。
当時は、日本電信電話公社(電電公社)通信事業を独占していた。このような組織体制は、電話の普及のようなインフラ発展途上段階では効果的だが、とかく保守的になる傾向があり、データ通信や企業間接続など新しい分野に関して「原則No」の立場で規制をしていた。
それで、1985年に通信自由化、回線開放、民営化などと呼ばれる法的改革が行われた。これにより、「原則No」から「原則Ok」へと大変換したのである。
2000年頃になると、インターネットが普及しIT革命といわれるようになった。国は、それに対応して、IT基本法を定め、IT戦略本部を設置して、IT推進政策を進めた。
通信回線では、ブロードバンドの常時接続が一般化した。その環境に応じた多様なサービスが出現した。そして、電話や放送なども含む通信全体が、インターネット技術により統合される動向になってきた。
さらに、情報処理の分野でもインターネットを前提とした環境になり、すべてのICT分野がインターネットを基盤として融合する状況になってきたのである。
1885年 逓信省創設
1891年 逓信省電務局電気試験所設立
逓信省(ていしんしょう)は、1885年に農商務省から駅逓局(郵便業務)と管船局を、工部省から電信局と燈台局を承継、駅逓の逓と電信の信をあわせて逓信省とした。〒は「テイシンショウ」の「テ」を図案化したもの。
通信は、産業や国防など広い分野のインフラになることから、国の管理下に置かれた。技術面も重視され、電気試験所は創立直後より新技術を短期間で国産化するだけでなく、世界初とされる無線電話を開発するなど、研究開発において欧米に匹敵する技術力を持っていた。
第二次世界大戦開戦に伴い、通信の重要性が高まるとともに、その民間利用は厳しく制限された。
戦後、1949年に逓信省は廃止され再編成される。それに先立ち、1947年に電気試験所の電気通信部門は、逓信省電気通信研究所として発足した。これがNTTの研究開発本部になる。
コンピュータを有効に活用するには、本社と支店を通信回線で接続するオンライン処理が必要になる。1960年代中頃になると、先駆的なオンラインシステムが出現した。
しかし、一般企業でのオンライン化が進んだのは1970年代以降であり、当時はファイル転送など限定された処理だけであった。通信回線を用いてコンピュータを共同利用するTSSが普及したのは、さらに遅れて1970年代末から1980年代になる。
データ通信が行われるようになると、それまでの電話の接続方式とは異なる方式が求められる。電話では、対話の間は、絶え間なく双方向に情報が流れており、その回線を独占的に確保する必要がある。それを回線交換方式という。
それに対してデータ通信では、瞬間的には一方通行でよく、データ全体が送信された時点で完全であればよく、その間の経過については問われない。それで、データ通信やインターネットでは、一つの回線に多数のデータを相乗りさせる多重伝送方式が必要であり、それには、データを小さなブロックに分割して番号と宛先を付けだパケットして送り、受信側はそれを番号順に並べて再現すればよい。この方式をパケット交換方式という。
パケット交換方式は、インターネットを含むデータ通信の基礎になった技術である。インターネットの前身であるARPANETでも採用されている。
参照:「通信技術 パケット交換」
1970年代初頭までの通信回線は、電電公社がすべて管理しており、民間で独自に通信回線を用いることは許されていなかった。また、当時では通信回線とは電話(音声)だけを想定しており、データ通信は考慮されていなかった。
データ通信は、自社内だけで特定通信回線だけを用いるときだけに限定されていたのである。そのため、専用回線を用いた社内でのデータ伝送やTSSの利用は可能であったが、他社利用を目的とした計算センターなどがオンラインでサービスすること、他社とのデータ交換、自社内でも専用回線が引かれていない事業所からの利用は原則としてできなかった(個別申請で許可されるケースもあったが条件が厳しかった)
これでは、コンピュータの高度利用ができない。米国などのネットワーク活用例などを知るに伴い、このような規制を撤廃すべきだとの意見が高まった。
そのような動きにより、第1次(1972年)、第2次(1982年)、第3次(1985年)と逐次的に規制緩和が行われてきた。特に第3次は抜本的な通信回線の開放が行われ、それを通信回線開放、通信自由化、通信民営化などといっている。
TSS(Time-Sharing System)とは、通信回線で接続した多数の端末から、1台のコンピュータを共同利用する利用形態である。そのための技術は、1960年代から研究され実地に適用されてきた。しかし、一般企業の汎用コンピュータでTSSが実用化されるのは、1970年代後半である。
一般企業でのTSS利用は、当初はIT部門でのプログラム開発に採用された。これまで、紙カードや紙テープにパンチしてバッチ処理をしていたのが、端末ディスプレイでコーディングでき、コンパイルを命令すれば即時に結果が得られる。この環境によりプラグラマの生産性が画期的に向上した。
さらに、1970年代末から1980年代にかけて、ユーザ部門に設置されたパソコンを端末にして、エンドユーザが汎用コンピュータをTSSで用いるようになる。
オンライン計算サービスの初期例に、電電公社による「公衆データ通信システム」がある。
電電公社は、一般の加入電話網を使って電子計算機を共同利用するサービスを提供、「公衆データ通信システム」とした。
1970年代になると、通信の活用が個人生活及び企業活動にとって不可欠のものだと認識されるようになった。郵政省は、我が国の通信に関する現状を広く国民に理解させることを目的に、毎年「通信白書」を刊行することになった。昭和48年版(1974年3月発刊)は最初の版なので、それまでの歴史的解説が多い。郵政省の所管業務を網羅しているため、郵便など非IT分野の比重も多いが、通信に限定せず、コンピュータの利用なども記述されていた。
2001年の中央省庁再編により、総務庁、郵政省、自治省を統合して総務省になったのに伴い、平成13年版から通信白書は情報通信白書となり、いわゆるICT(Information and Communication Technology)全般を取り扱うようになった。
通信白書も情報通信白書も、総務省のサイト(
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/)に全文が掲載されている。
NTTはさらに機能や地域により分割が行われた。
1988年 NTTデータ設立
1992年 NTTドコモ設立
1999年 東西NTT分割
DDX(Digital Data Exchange)網は、データ通信専用に端末間のすべてをデジタル化したネットワーク。当初は電話網とは独立のネットワークであったが、その後、網間接続によって電話網と網間接続もできるようになり、最大通信速度は9600bps。データ通信にはパケット交換型が適しており圧倒的に多かったが、ISDNに吸収されることになる。
1980年代初期までは、パソコンと通信回線の接続には音響カプラが用いられ、その速度は300bps程度であった。音響カプラとは、電話機の受話器を取り上げ、相手側の電話番号を回し接続できたら、パソコンと接続して、パソコンのデジタル信号を音声に変換して通信する方法である。
写真のSilent 700は、Texas Instruments 製で1970年代から1980年代にかけてのポータブル端末の名器だった。移動先事務所などから商用TSSを利用するのに用いていた。ところが、重いのと不安定なのに難儀したものだ。
本体だけでも重いのに、持ち運び用のケースも重く、若い男性でも持って歩けるような代物ではなかった。コマーシャルでは、ハイヒールの金髪美人が颯爽と持ち運んでいる写真があったのだが・・・
雑音を拾ってしまい、コマンド送信が誤送される。私の記憶では、1回のコマンド送信で正しく伝えられる確率は1/2以下だった。何もしないのに、勝手にノイズが送信されることもザラだ。誤送でコマンドが受け付けられないのは再入力すればよいのだが、誤処理になったり、打ち切られたりするのにはまいった。
1980年代になると、モデムの出現と改良により次第に高速になってきた。仕様が決定されたのは上の通りであるが、一般に普及したのは数年遅れている。アナログ公衆回線を用いた通常利用での通信速度はおよそ次の通りである。
300bps:1980年代前半(音響カプラと併存)
1200bps:1980年代後半
2400bps:1990年代初頭
9.6kbps:1990年代前半
28.8kbps:1990年代中頃
ところで、相手の電話番号を機械的に接続する装置をNCU(Network Control Unit)という。現在のモデムはNCUを内蔵しているが、当初は独立した機器であり、モデムもNCUも大きな図体であった。多くの端末と接続しているコンピュータ室では、その設置棚が大きな場所をとっていた。
これまでの通常の通信回線である電話回線は、アナログ回線であり、コンピュータのデジタル信号をモデムによりアナログ信号に変換して通信していた。それに対してISDN(Integrated Services Digital Network、サービス総合ディジタル網)では交換機・中継回線・加入者線まで全てデジタル化したものである。INS(Information Network System)はNTTによるサービス商品名
通常の電話と同じ銅線を使い、Bチャネル(64kbps)2本とDチャネル(16kbps)1本からなる「INSネット64」と、光ファイバーを使い、Bチャネル(64kbps)23本とDチャネル(64kbps)1本からなる「INSネット1500」の二つがあった。従来の電話線と比べて高速であり、パソコン通信やインターネットで広く利用されたが、ブロードバンドの出現により減少した。
1990年代には、電話回線で28.8Kbpsモデムが使われるようになった。しかし、回線の状態に応じて低速で動作する仕組みになっており、最大速度を得るためには、モジュラージャックとの位置を工夫したり、ケーブルを短くするなど、多様なノウハウが必要だった。それに対してISDNは安定的に64kbpsが得られ、ISDNにすることに優越感を持ったものである。
それでも、現在のブロードバンド環境と比較すれば、kとMの違いがある。それで、電子メールでは「気候のあいさつなどを省略して、用件だけを簡潔に書け」とされ、Webページでは「必然性のない画像を入れるな」といわれたものだ。現在のようなスパムメールの洪水や動画のスタートページは、当時では存在できなかったのである。
フレームリレー(frame relay)もセルリレー(cell relay)も、パケット交換方式を高速化させたデータ伝送方式である。NTTコミュニケーションズにより提供されてきた。
フレームリレーはデジタル回線の品質が高品質になったので、パケット通信での誤り訂正の再送制御を簡略化して高速化を図った。セルリレーは、高速伝送技術である(Asynchronous Transfer Mode:非同期転送モード)方式を用いたサービスで、フレームリレーのフレームよりもさらに簡潔なセル構造と、複数端末からのデータを早い者順で回線に乗せていく非同期転送方式により高速化している。
特に、離れた場所にある事業所間でのデータ伝送に適しており、法人向けのデータ通信サービスとして提供された。1990年代末には約10万回線の利用があったが、ブロードバンドやVPNの普及により減少、2011年にサービスを終了した。
参照:NTT「NTT技術史料館」
http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/index.html
フレームリレーサービスの役割
http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/library/H2/P06.html
セルリレーサービスの役割
http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/library/H2/P07.html
専用回線やフレームリレーは、接続する拠点を指定して利用するのに対し、VPN(Virtual Private Network)は高速な公衆回線(バックボーン網)を用いながら、特定の接続先を仮想的に限定(閉域化)できる。すなわち、公衆回線の低料金と専用回線の利便性を組み合わせた方式であり、企業内事業所間、関係会社や特定取引先間の高速ネットワークとして用いられる。
この技術は、2000年代になると、IP-VPN、広域イーサネット、インターネットVPNへと発展する。
参照:フリービットクラウド「企業ネットワーク(VPN)講座」
http://cloud.freebit.com/service/column/vpnbasic00.html
公専接続とは、企業などが保有・占用する専用回線を、片方の端点でNTTの一般公衆回線と接続すること。例えば、東京本社と大阪支店の間を専用回線で接続し、さらに大阪支店から公衆回線に公専接続しておけば、本社から大阪支店の顧客に通信するとき、NTTには大阪支店からの料金のみを払えばよい。
また、東京と大阪のそれぞれから公衆回線に接続する形態を「公専公接続」という。これにすれば、本社からでも支店からでもそれぞれの顧客に公衆回線分の料金で通信できる(これを発展すれば、顧客間通信を格安にサービスすることも可能にはなるが、それを業とするには通信事業者になる必要がある)。
2000年にIT基本法が成立。2001年の施行とともに、IT戦略本部が設置された。IT戦略本部は、「日本を2005年までにIT先進国家とする」ことを目標としたe-Japan戦略と名付けたIT推進5か年計画を策定した。その主要目標の一つが、超高速ネットワークインフラ整備であった。
そこでの目標は、2005年までに、
3000万世帯が高速インターネット網(ISDNを想定)
1000万世帯が30~100Mbpsの超高速インターネット網(ブロードバンドを想定)
で常時接続可能とする程度であった。
参照:「IT基本法とe-Japan」
国は、e-Japan戦略の一つの柱として、ブロードバンドの普及を掲げた。実際にはその目標よりも早期に高い普及をした。一般に、2001年をブロードバンド元年とし、当初の目標を達成した2003年をブロードバンドの普及年としている。
参照:BB Watch「年表で振り返るブロードバンドの歴史」
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/special/16691.html
2000年当時は、日本の通信回線料金は他国に比べて高く、それがインターネットの普及を妨げていると指摘されていた(注)。それが、ブロードバンド各社の競争の激化により、価格は急速に低下し、2003年には世界で最も安価な環境になった。
また、ブロードバンド利用では、常時接続の固定料金が適用されるので、インターネットを利用するときに、接続時間を気にする必要がなくなった。また、ブロードバンド回線がますます高速化した。極端にいえば、自分のパソコン内部の情報を見ることと、インターネット上での情報を見ることに大差がなくなったのである。このような環境は、インターネットでの販売(電子商取引)に適しており、急速に広まった。
(注)1990年代中頃では、インターネットやパソコン通信の接続には公衆電話回線を用いていた。伝送速度は2400bps(Mbpsでもkbpsでもない)で3分間10円(市内にアクセスポイントがあったにせよ)である。接続前に閲覧するページをすべて設定しておき、一挙に閲覧(ダウンロード)して、オフラインでじっくり読むという対策をとっていた。3分直前に回線切断をするノウハウが話題になったものである。
モバイル通信、デジタル放送、家電のIT化など、電波を利用するシステムが大きな変換期になっており、それを利用するための周波数帯域が必要になる。一方、電波は有限希少な資源である。
これまでは、異なる用途で隣り合った周波数帯を使用すると互いに干渉するトラブルが生じるとして、境界に無利用の帯域(ガードバンド)を設けていた。それが技術進歩により干渉の危険を防げるようになったので、それを「空白地帯」(ホワイトスペース)と位置づけ、別の通信方式に割り当てて、電波利用効率を高めようとなった。また、従来のアナログ放送をデジタル化することにより、一つの放送を狭い帯域にできるように、既存の割り当てを見直す必要もある。
これらは業界の利害に直結するので、政治的な調整が必要になる。このアクションプランは、毎年度実施される電波の利用状況調査の評価結果及び電波利用環境の変化等を踏まえ、逐次見直しを実施している。
「光の道」構想は、2015年ごろをめどに超高速ブロードバンド(100Mbps以上)の整備率を100%とし、日本のすべての世帯がブロードバンドサービスを利用することを目標とするもの。2000年代前半で、かなりのブロードバンド化を達成したが、今回は、より高速な回線を全国「すべて」に張り巡らそうという構想である。
取りまとめ案では、光の道構想の実現に向けて、
未整備地域における「ICT利活用基盤」の整備の推進
NTTのあり方を含めた競争政策の推進
規制改革等によるICT利活用の促進
を3本柱し、それぞれについて提言した。特に、NTT東西が保有する家庭へのアクセス回線などのボトルネック設備を、他社も同等に利用できることが必要と指摘。このために、NTT東西のボトルネック設備保有部門について、他の部門から人事や会計などの面で切り離す「機能分離」を行うことを提言している。
これに対してソフトバンクは、この国の案をA案とし、それよりもB案(民間のアクセス回線会社が、一気に効率よく既設のメタル回線を撤廃し光ファイバーに切り替える)のほうが現実的だし税金もかからないと主張するなど、実現までには紆余曲折がありそうだ。
NGN(Next Generation Network)とは、電話網とデータ通信、さらにはストリーミング放送を加えたトリプルプレイを、インターネット技術でのIPネットワークとして融合するための通信インフラである。速度や品質、セキュリティレベルを選択的に設定することができ、必要に応じて適切な回線を総合的に低価格で利用することができる。現行の公衆網を代替する次世代ネットワークとして注目されている。
日本では2000年代後半からサービスが開始され、2000年代末には全国展開されるまでになったが、それへの全面的移行はこれからである。