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スーパーコンピュータの歴史


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スーパーコンピュータの概要

スーパーコンピュータとは

スーパーコンピュータとは、演算処理速度がその時代の一般的なコンピュータより極めて高速なコンピュータのことである。気象予測、原子核、天文学、金融工学など、大規模な数値解析を必要とする研究に利用される。その性能は、1秒間で処理される浮動小数点演算の回数 FLOPS で表示され、PFLOPS(ペタ=1015、10P=京)のオーダーに達している。


スーパーコンピュータの処理速度の推移(赤は国産機)
出典:「参考URL」の記事から採録・図表化した

スーパーコンピュータの高速技術

単一CPUの速度向上
処理速度を向上させるには、CPUの速度向上が基本になる。高速な演算素子を用いるだけでなく、演算を細切れにして並列で処理するパイプライン方式や、次の命令を予測して先行処理する方式など、多様な工夫が行われている。
ベクトル型スーパーコンピュータ
単一のCPUでは、一般のコンピュータの性能を劇的に超えることはできない。それで、スーパーコンピュータでは、多数のCPUを用いて並列的に処理するのが通常である。
一般の演算処理は、単一のデータを個別に処理する方式であり、それをスカラー型という。ところが、スーパーコンピュータが対象とする科学技術計算では、ベクトルデータの処理や多項式演算など、複数のデータに同じ処理をすることが多い。それで、演算装置を複数持つ専用のCPUを用いることにより、異なるデータに同じ処理を並列的に行うのとにより高速化を実現することができる。これをベクトル型という。ベクトル型スーパーコンピュータは、1980年代までの主流であり、各メーカーは、それぞれ独自の専用CPUを開発し、性能向上競争をしていた。
スカラー型スーパーコンピュータ
1990年代になると、高級サーバーあるいはパソコン用のCPUの性能が急速に向上し低価格になった。これらはスカラー型ではあるが、ベクトル型の専用CPUを開発するよりも、スカラー型のCPUを多数内蔵して並行処理を行うほうが、全体として価格性能比がよくなる。それをスカラー型スーパーコンピュータあるいは超並列プロセッサという。
1990年代後半には、スカラー型スーパーコンピュータが主流になり、現在では、例外的なものを除き、ほとんどのスーパーコンピュータはスカラー型になっている。

スーパーコンピュータの歴史

~1970年前半:初期のスーパーコンピュータ

コンピュータの性能は急激に向上するため、スーパーコンピュータの評価基準を「高速」としたのでは、最初のスーパーコンピュータを特定するのは困難である。IBMは、同社の「Stretch(IBM 7030)」(1954年)をあげている(参照:ITmedia「IBM、スーパーコンピュータ「Stretch」誕生50周年」)が、一般にはCDC社の「CDC6600」あるいはイリノイ大学の「ILLIAC IV」を最初のスーパーコンピュータだとしている。

  • 1964年 CDC6600
    最初の商用スーパーコンピュータといわれている。スーパーコンピュータの父と称されるクレイ(Seymour Roger Cray)による設計で、主CPUを演算処理だけにしてメモリアクセスや入出力を周辺のハードにもたせること、命令をRISCのような単純命令にすることなどにより、CPUを高速化した。わずか3MFLOPS程度だが、当時としては画期的な速度であった。
    1969年 「CDC7600」パイプライン演算機構の採用
  • 1972年 イリノイ大学「ILLIAC IV」
    最初の(厳密ではないが)スカラー型のスーパーコンピュータ。単一のプロセッサの能力では限界があるため、256個のプロセッサを4つの制御ユニットで制御する構成にした。また、並列処理の効果をあげるために、専用のFORTRANやALGOLを開発した。
    価格性能比が悪く量産には至らなかったが、スーパーコンピュータで検討すべき課題を明確にしたことにより、その後の研究に大きな影響を与えた。

1970年代後半:CRAYの時代

1976年 クレイリサーチは「CRAY-1」を開発した。
 最初のベクトル型スーパーコンピュータ。クレイはCDCを退職して、スーパーコンピュータに特化したクレイリサーチ社を設立。その最初の製品がCRAY-1である。画期的な方法により高速化を実現した。
・ベクトル型CPUの開発
・配線の短距離化による高速化を図るために筺体を円筒形にした。
・高速化のため高電圧にすると発熱が大きくなる。その冷却のために液体フレオンを使用した。
 これらのために高額になり、初期の販売価格は800万ドルもした(本体の台座は座れるようになっており、「世界で最も高いイス」といわれた)が、80台以上販売された。


CRAY-1 (拡大図)
出典:Wikipedia「CRAY-1」

CRAYシリーズは続々と新機種が開発され、CRAYはスーパーコンピュータの代名詞になるほどであった。その後、日本メーカーやIBMとの競争で地位は低下したが、2009年には「Jaguar」で世界最高速を実現した。

1980年代前半:国産スーパーコンピュータの出現

1981年、通商産業省(現経済産業省)は「科学技術用高速計算システムプロジェクト(スーパーコンピュータプロジェクト)」を開始した。最新のコンピュータ技術を用いて、1989年までに10GFLOPSのスーパーコンピュータを製作、運転、評価を行い、その技術を確立することを目標としている。
参照:中村吉明、渡辺千匁「通産省の研究開発プロジェクトのマネジメントと効果 スーバーコンピュータプロジエクトのケースタディ」
   https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/5730/1/1999-1B07.pdf

当時の日本のコンピュータメーカーは、既に国際的競争力をもっていた。そして、スーパーコンピュータの研究により得られる先進的技術は通常の商業機への適用にも重要だと認識しており、既にスーパーコンピュータ開発を進めていたのである。が行われた。
 1982年には、富士通「FACOM VP-100/200」、日立「HITAC S-810」、1983年にはNEC「SX-1,SX-2」が開発された。これらが日本での本格的なスーパーコンピュータの最初だといえる。
参照:三輪 修「私のコンピュータ開発史 FACOM VP」
   http://homepage2.nifty.com/Miwa/10_FACOM%20VP/index.html

1980年代後半~1990年代:日本の優勢時代

1980年代後半になると、国産スーパーコンピュータは、世界でも最高の水準に達した。

  • 1987年 日立「HITAC S-820」3GFLOPS
  • 1988年 富士通「FUJITSU VP2000」5GFLOPS
  • 1989年 NEC「SX-3」22GFLOPS
    これは、世界で最高速になった。その後1990年代の中頃までの世界最高速機は日本の独壇場になった。
  • 1993年 富士通、航空宇宙技術研究所「数値風洞」
  • 1994年 Intel 「Paragon XP/S 140」
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  • 1994年 富士通、航空宇宙技術研究所「数値風洞」
  • 1996年 日立「SR2201」
  • 1996年 日立、筑波大学「CP-PACS」
  • 1997年 Intel 「ASCI Red」

米国は、軍事面や産業面での競争優位のためにスーパーコンピュータを重視してきたことや、コンピュータのリーダーとしての面目から、NEC・日立・富士通が世界最強機を開発するに伴い、米国は、日本スーパーコンピュータの導入キャンセルやアンチダンピング課税などを行った。このことからも、スーパーコンピュータの国家戦略での重要性や日本が脅威だったことがうかがえる。
参照:Wikipedia「日米スパコン貿易摩擦」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/日米スパコン貿易摩擦

2000年代前半:スーパーコンピュータの状況変化

米国は、1995年からエネルギー省を中心に「ASCIプロジェクト」を推進し、メーカーを支援している。それが功を奏して、
1997年 Intel 「ASCI Red」
2000年 IBM「ASCI White」
が2002年にNECの「地球シミュレータ」が出現するまで世界最速となった。

地球シミュレータ

NECの開発したスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」は、2002年に、海洋研究開発機構 地球シミュレータ研究開発センター(http://www.jamstec.go.jp/esc/)で稼働開始した。主に地球温暖化予測や地球内部変動の分析などに利用されている。ベクトル型スーパーコンピュータであり、8個のプロセッサを搭載したノードが640台接続されている。36TFLOPSの処理速度は、2002年6月から2004年6月にIBMの「Blue Gene」が登場するまでの間、TOP500で1位であった。

このように、「地球シミュレータ」は国産スーパーコンピュータが健在であることを示すものではあるが、手放しで喜べない問題を含んでいる。
 世界の趨勢は、1990年代からスカラー型に移行しており、この地球シミュレータは「最期の?」ベクトル型スーパコンピュータになってしまった。スカラー型の場合、市販のパソコン用CPUを用いるので安価であり、一般のニーズに合わせて性能向上が図られる。それに対してベクトル型のCPUは、スーパーコンピュータ専用CPUを独自に開発しなければならない。また、大勢がスカラー型であれば、ソフトウェアもそれに合わせた技術が発展するであろう。
 現在、ベクトル型に力を入れている有力メーカーはNECだけである。その環境で、今後とも競争力を維持するのは困難であろう。また、スカラー型での国産スーパーコンピュータは、1996年の日立「CP-PACS」以降、最高速機は開発されず、競争力は低下してしまっていた。

2000年代後半:国産スーパーコンピュータの低迷

国産スーパーコンピュータ全盛期の1996年11月を対象に、2010年11月にTOP500の資料から作成した、上位10機種および50位までの国産機と、500機種のメーカー別のシェアを掲げる。この約15年の間に、大きな変化が起こったことがわかる。

1996年11月2010年11月
国産スーパーコンピュータの低迷
1990年代は日本経済が不況であり、全体のIT投資が消極的になり「失われた十年」といわれている。そのため、コンピュータメーカーは経営の観点から、スーパーコンピュータのような巨大な先行投資を回避してきた。また、日本では軍需が非常に少ないし、国家財政が悪化すると、国の関係する研究所や大学への支援はすくなくなり、スーパーコンピュータの需要が減少した。
 それでも1990年代中頃までは、過去のプロジェクトの継続により、優位を保っていたのであるが、その後は低迷する期間が長く続いてきたのである。
 その間もスーパーコンピュータの技術は発展する。1996年での最速機は220TFLOPSだったのが、2010年では1759TFLOPSになった。それなのに、国産最速機は1996年と同レベルであり、20位以下にランクされている。最速機の開発だけが競争力の基準にはならないが、上位500機のうち、国産機が占める割合は13%から3%にまで低下した。すなわち、スーパーコンピュータ全体での競争力を失っている。
IBMとHPのシェア拡大
米国は、日本の脅威に対抗するために、CRAYのようなベクトル型スーパーコンピュータではなく、汎用スカラーチップによる超並列プロセッサを育成するようになった。1995年からエネルギー省を中心に「ASCIプロジェクト」を推進し、IBM、コンパック(後にHP-ヒューレット・パッカードに吸収)、インテルなどのメーカーに研究と構築を依頼した。
 IBMは汎用コンピュータ時代の巨人であった。ダウンサイジングやインターネットの影響でその地位は低下したが、依然として最高の技術をもっている。スーパーコンピュータ分野では最適のプレーヤーである。コンパックは当時の最大のパソコンメーカーであり、インテルは最大のCPUメーカーである(現在、TOP500の3/4はインテルのプロセッサを採用している)。このような代表選手がコア・コンピタンスを発揮することにより、ANCI-redやANCI-whiteなど、一連の成果を得ることができた。
 その結果、米国はスーパーコンピュータの分野で、独占に近いシェアを実現している。
 なお、2009年にはCRAYの「Jaguar」が最高速になったが、これは超並列プロセッサである。
中国の参加と躍進
中国は、1990年代から飛躍的な経済成長をしてきた。2000年代になるとスーパーコンピュータの分野でも競争者として世界に認められるようになった。2009年には国立国防技術大学(NUDT)の「Tianhe-1(天河1号)」が5位に入り、2010年6月には、曙光信息(Dawning Information Industry)の「Nebulae(星雲)」が2位になり、2010年11月には天河1A号が世界トップになった。中国は、台数では少ないものの、技術的には米国と並ぶレベルになったのである。

2010年代:日本スーパーコンピュータの復活!?

「京」コンピュータ、世界最速へ

このような状況を打破するために、文部科学省は2005年に「次世代スーパーコンピュータプロジェクト」を立ち上げた。「2012年までに世界最速10P(=1京)FLOPSのスーパーコンピュータ」を目標とし「京速コンピュータ」と名付けられた。NEC・日立・富士通3社によるベクトル型とスカラー型の複合型にする計画であった。
 ところが「2011年に20PFLOPS」のIBM Sequoiaが発表されたこと、NECと日立が同プロジェクトから撤退して富士通と理化学研究所がスカラー型にすることなど計画の変更が必要になった。
 そして、2009年の民主党の「事業仕分け」で、「なぜ1番でないといけないのか、2番ではダメなのか」(蓮舫議員)の発言などにより当プロジェクトは事実上の凍結と判定された。科学者などの猛反対により復活したが、予算は縮小され、「世界最速を目指すのではない。むしろ利用面の発展を目標にする」こととなった。
 しかし、その後の努力により、2011年6月に、8.162PFLOPSを実現し7年ぶりに世界最速の座を奪還した。さらに2011年11月には10.51PFLOPSになり、「2011年に20PFLOPS」には達しなかったが、名称の「京」=1万兆=10P(ペタ)の速度に到達した。
参照:「京速コンピュータ」


スーパーコンピュータ「京」の構成イメージと筐体内部
出典:左図富士通「次世代スーパーコンピュータ」、 右図理化学研究所・富士通「京速コンピュータ「京」が世界1位に」

省エネ・スーパーコンピュータ

2000年代後半になると、スーパーコンピュータは高速だけがよいのではないとして、省エネ性能を競う「グリーン500」も発表されるようになった。電力1W(ワット)あたりの計算回数、すなわち[MFLOPS/W]が評価尺度になる。
 この評価では、国産スーパーコンピュータは上位を占めて(2010年)
  1 米・IBMワトソン研究所 ブルージーンQ(試作機)  1684[MFLOPS/W]
  2 日・国立天文台      GRAPE-DR          1448
  3 日・東京工業大学     TSUBAME 2.0          958
  4 米・国立スーパーコンピュータ応用研究所試作機      933
  5 日・理化学研究所     京(2010年開発中)      828


TSUBAME
出典:東京工業大学 TSUBAME計算サービス 「TSUBAMEとは」

今後の競争

スーパーコンピュータ競争は、今後も激化するであろう。「京」も「TSUBAME」も短期間で首位の座を明け渡すことになるのは必然である。それに伴い本ページを改訂するのは面倒(!)なので、国産機がめでたく首位になったこの時点で終了する。


その後の順位

その後、気づいた時点で、TOP500を参照して表を追加する予定。

時期トップ国産機
2012/06セコイア(米 IBM)2位 京(日 富士通・理化学研究所)
2012/11タイタン(米 CrayT)3位 京(日 富士通・理化学研究所)