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スーパーコンピュータ「京」(けい)
(次世代スーパーコンピュータプロジェクト)



スーパーコンピュータ「京」の構成イメージと筐体内部
出典:左図富士通「次世代スーパーコンピュータ」、 右図理化学研究所・富士通「京速コンピュータ「京」が世界1位に」

プロジェクトの発足と2009年までの経移

2000年中頃には、日本のスーパーコンピュータの国際競争力は非常に低下していた(「スーパーコンピュータの歴史」)。その状況を打破するために、文部科学省は2005年に「次世代スーパーコンピュータプロジェクト」を立ち上げた。「2012年までに世界最速10P(=1京)FLOPSのスーパーコンピュータ」を目標とし「京速コンピュータ」と名付けられた。2006年から理化学研究所が中心となって、NECと日立がベクトル部、富士通がスカラー部を担当して開発が進められた。

2008年の政権交代により、文部科学省に、プロジェクト基本方針決定のための「次世代スーパーコンピュータ戦略委員会」が設置された。議事録や配布資料、報告書は次のサイトにある。
文部科学省「次世代スーパーコンピュータ戦略委員会」
    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/016/index.htm

NECと日立のプロジェクト撤退

2009年5月、設計段階を完了して製造段階に入る状況だったが、NECは業績悪化を理由に製造段階への不参加を表明した。日立はNECを通しての参加だったため撤退することになる。それで、富士通と理化学研究所でスカラー型スーパーコンピュータとして開発することになった。

「事業仕分け」によるプロジェクトの全面見直し

それを機会に、このプロジェクトへの疑問や批判が高まった。2009年の「事業仕分け」で、「なぜ1番でないといけないのか、2番ではダメなのか」(蓮舫議員)の発言などにより当プロジェクトは事実上の凍結と判定された。科学者などの猛反対が起こりプロジェクトは存続されたが、予算は縮小はされ、「最高速」は目標にはせず、利用分野に重点を移すことになった。

文部科学省は、スーパーコンピュータが必要なことを主張しているが、このような経緯により、プロジェクトの変更を公表した、

2011年、世界最速の実現

このように、京速プロジェクトは紆余曲折を経たが、計画を上回る進捗をして、2011年6月には8.162PFLOPSを実現、世界最高速になった。そして、2011年11月には10.51PFLOPSになり、名称の「京」=1万兆=10P(ペタ)の速度に到達した。