プロジェクタ光源の歴史
~1800年代 白熱電球以前の時代
1700年代 石油ランプ
当初は、種油や胡麻油などの植物油たロウソクが用いられたが、より明るい石油ランプに移行した。
ガス灯(gas lamp)
石炭から得たガスの炎を火口に装着したマントルという丸い発光体に入れて照明。主に街路灯として使用され、プロジェクタ光源にはあまり使われなかった。
- 1792年 ガス灯の発明
イギリス人技師マードック(William Murdoch)、自宅の照明に利用
その後、ガス灯は、街灯の元祖として世界各地で様々なデザインで街並みに彩りを添えてきた。
- 1871年 日本初のガス灯
大阪造幣局に686基のガス灯が設置
アーク灯(arc lamp)
電気を用いた初の照明。炭素棒間に直流電流を流し、放電により加熱された炭素棒の先端が気化し、発生した炭素蒸気が両極間のアークにより白熱して強い光を発することを利用。弧光灯ともいう。主に街灯に使用されたが、これを光源とするプロジェクタ(幻灯機)もあった。
- 1808年 アーク灯の発明
イギリスの化学者デービー (Humphrey Davy) が実験を行ったもので世界最初の電灯だといわれる。
- 1876年 街路灯として実用化
パリのコンコルド広場に街路灯として点灯
- 1878年 日本初のアーク灯灯
工部大学校の大ホールで点灯、3月25日は後に電気記念日となる。
1900年代 白熱電球の普及
白熱電球
- 1860年 スワン(Sir Joseph Wilson Swan) 白熱電球発明
- 1879年 エジソン(Thomas Alva Edison) 白熱電球実用化
現在も知られているタングステンフィラメント電球の原型
プロジェクタに白熱電球が使われるようになったのは、1880年以降だといえる。
- 1913年 ラングミュア(Irving Langmuir)不活性ガス封入
電球の黒化現象の原因はタングステンフィラメントの蒸発であることを発見し、電球内部に不活性ガスを封入することにより蒸発する量が低下することが発見した。キセノンランプ等への布石となる。
- 1921年 三浦順一 二重コイルフィラメントの発明
- 1936年 一般発売
単コイルフィラメントをもう一度コイリングすることによる効率上昇
- 1925年 不破橘三 ガラス球の内面つや消し処理発案
光の透過性を維持しつつ、まぶしさを減少
キセノンランプ(xenon lamp)
キセノンガスを封入したガラス管の中に電圧をかけ放電させて発光。プロジェクタ用には、高圧キセノンガスを封入したショートアークキセノンランプが用いられる。
- 1944年 キセノンランプ実用化
1933年ころからドイツで研究され、1944年にシュルツ(Paul Schulz)によって実用化。
当時はロングアークキセノンランプで主にフラッシュランプ用
- 1957年 ショートアークランプ発表
反射型画像素子の出現と共に大出力プロジェクタ用の光源として使われた。
ハロゲンランプ(halogen lamp)
キセノンガスの代わりにハロゲンガスと不活性ガスを封入。形状はキセノンランプとほぼ同じ。高温での黒体放射による発光。高輝度、高耐熱性、長寿命などの特徴をもつ。
プロジェクタ用に広く用いられた。
- 1959年 E.G.Zebler ハロゲン電球実用化
ヨウ素を封入した両端子型の電球で投光用として発表。小型高出力でプロジェクタに適した光源である。
2000年~ 高輝度光源の出現
ランプ種類 |
稼働寿命 |
「日約3時間使用」で 換算した寿命 |
ランプ交換 可能or不可 |
特徴 |
水銀ランプ |
約4,900~9,900時間 (輝度により変動) |
約4.5年~約9年 |
可能 |
高輝度な映像。発熱量が多いので、消費電力は高め |
LEDランプ |
約20,000時間 |
約18年 |
不可 |
消費電力低め。本体の小型化がしやすい |
レーザーランプ |
約20,000時間 |
約18年 |
不可 |
高輝度。本体の小型化がしやすい |
出典:Aladdin X「違い比較|LED、レーザー、水銀ランプ|プロジェクター光源」
https://www.aladdinx.jp/blogs/popin-owned/led-kougen-projector
超高圧水銀ランプ(HIDランプ)
HIDランプ(High Intensity Discharge Lamp)、ハロゲンランプと同様、ガスを封入して発光する。発光材料によって水銀が発光する高圧水銀ランプ,各種の金属が発光するメタルハライドランプ,ナトリウムが発光する高圧ナトリウムランプなどがある。
プロジェクタに用いられるのは、水銀を用いたメタルハライドランプであり、超高圧水銀ランプと通称する。形状はキセノンランプとほぼ同じ。
- 1901年 水銀灯の発明
1901年アメリカのクーパー・ヒューイットPeter Cooper-Hewitt(1861―1921)がつくったクーパー・ヒューイット型水銀灯といわれるものに始まる。
これに種々の改良が施され、
1931~1934年にかけ、ドイツ、オランダ、イギリスなどで実用化された。
- 1935年 超高圧水銀灯
水銀蒸気圧をさらにあげた(数百気圧)超高圧水銀灯。
- 1964年 メタルハライドランプ ニューヨーク世界博覧会
- 1970年 メタルハライドランプ 大阪万博
高圧水銀ランプの中にいくつかの金属ハロゲン化物を封入した発光管を収めることでより高い演色性とランプ効率を実現する。
- 1990年代 超高圧水銀ランプの実用化が進む
- 2000年代 プロジェクタ用の超高圧水銀ランプ急増
後述のLED光源によるプロジェクタが普及するまで、ほとんどのプロジェクタが超高圧水銀ランプを採用した。
- 2020年 水銀ランプ製造禁止
「水銀に関する水俣条約」の採択によって水銀ランプの製造及び、輸出・輸入も規制された。
LED光源
LED(Light Emission Diode、発光ダイオード)は、p-n接合に電流を流して発光させる半導体発光素子。一般的なランプ光源を持たず、LEDチップにあるLEDが発光する。
小型化が容易なので、小型プロジェクタ(ピコ・プロジェクタ)が可能になった。
- 1962年 ホロニアック(Nick Holonyak, Jr)赤色LED発明
- 1972年 クラフォード(M. George Craford)黄緑色LED発明
- 1989年 赤崎勇、天野浩 青色LED発明
- 1993年 中村修二 青色LED量産技術
これで各種LEDを組み合わせることにより、白色ははじめ任意の色を合成できるようになった。
- 2014年 赤崎勇、天野浩、中村修二 ノーベル物理学賞受賞
レーザー光源
レーザー発振器が光源ランプの役割になる。
- 1962年、ホール(Robert N. Hall) 近赤外線のLD(半導体レーザーダイオード)開発
- 1962年、ホロニアック(Nick Holonyak, Jr.) 赤色LD開発
半導体レーザは最初、77Kという低温でしかもパルス電流でしか動作しなかった。
- 1970年 日立 大阪万博で展示
- 1970年、林厳雄 常温で連続発振を可能に
常温で連続発振できるダブルヘテロ構造を使った半導体レーザー素子が開発された。
- 1985年 ストリックランド(Donna Strickland)、ムルGérard Albert Mourou) 高強度レーザー発振を可能に
高強度レーザーの発振が可能となった
- 2005年 ソニー 愛知万博で展示
2005インチという超巨大ディスプレイ
- 2008年 三菱電機 世界初の民生用レーザーTV販売
往年のプロジェクタ
幻灯機(magic lantern)
透過型と反射型がある。
透過型は、暗箱の中に光源を置き、前方に透明な画像(イラストや写真)をはさみ、先端に取り付けたレンズを通してスクリーンに映写する。
反射型は、画像を暗箱後方あるいは上部に置き、鏡で反射した光をレンズを通してスクリーンに映写する。
- 1646年 キルヒャー 幻灯機の原理
イエズス会士キルヒャー(Athanasius Kircher)は著書『Ars Magna Lucis et umbrae』で幻灯機に原理を記している。また、幻灯機の原型となる laterna magica を公開。
- 1659年 ホイヘンス マジック・ランタン発明
オランダの有名な科学者ホイヘンス(Christiaan Huygens)の実験室で制作されたとされている。
- 1670年代 幻灯機の普及
修道士の布教、旅芸人の興行、学者の講演などに使用され、ヨーロッパ各地に拡がった。
- 1799年 ロベールソン 幻灯機の見世物ショー
ベルギー人ロベールソン(Étienne‐Gaspard Robertson)は移動式幻灯機〈ファンタスコープ〉を開発。それを用いて亡霊の大写しを見せる見世物〈ファンタスマゴリア〉を上演した。
日本への幻灯機伝来と普及(1880年代)
- 1779年 伏見屋宇兵衛、千草屋新右衛門 『天狗通』日本への紹介
『天狗通』は手品の解説書。そのなかで「影絵眼鏡」の名称で幻灯機を紹介
- 1803年 亀屋都楽 写し絵上演
亀屋都楽は、高級着物の絵師、趣味の落語家。オランダから渡来した幻灯機を使った映像による劇を初演。これを「写し絵」と呼んだ。
写し絵は、ファンタスマゴリアとは異なる日本独自の文化である。伝統的な物語を、芸術性の高い映像で映写し、音楽と語りの総合的な作品とした。
- 1878年 中島待乳 国産「待乳園式幻灯」
これをきっかけに国産幻灯機が続出する。「写し絵」文化に合わせ、独自の発展をする。
- 筐体は杉または桐の木材。軽く機動性のある操作ができる。
- 種板は薄いガラスに色鮮やかに描かれ、これも桐の板にはめ込まれた。
- 半透明和紙のスクリーンに裏側からの映写。柔らかい画質になり、映写機や操作者はスクリーンの蔭に隠れてしまうので、上演の仕掛けは、客からは見えない。
- 1880年頃 文部省 幻灯の教育的活用推進
スライドプロジェクタ(slide projector )
スライドとは「滑る」意味だが、枠に入れたポジフィルムを順に動かして表示することを指す。複数の画像を準備しておき、順に表示する機能は、以前からの幻灯機でも行われており、スライド機能で新プロジェクタとするのは不適切である。むしろ、幻灯機の高度化とするのが適切であり、両者の間は連続的である。
スライドプロジェクタは、1900年代の中頃以降から普及した。通常は単にプロジェクタ(あるいは幻灯機と呼ばれていた。
- この時代までに、光源では既にハロゲンランプが普及しており、小さい元画像を大きな高品質の画像で映写できるようになっていた。
- 元画像に写真のポジフィルムが使われるようになった。それを1枚づつ基準の紙枠に入れたものをマウントという。
- 当初は、上図のAのように、切り替えるたびにマウントを入れ替えるのが多かったが煩雑である。それで、BやCのようにセットできるようになった。
- さらにはCのようにリモコンで操作でき、講演者が映写の邪魔にならないようになった。また、スキップや戻すこともできるようになった。
スライドプロジェクタは、ホームシアターとして使われるようになった。
家庭用でカラー写真フィルムは、かなり以前からあったが、日常的に使われるようになったのは1970年代である。
1941年 小西六(現コニカ) 「さくら天然色フヰイルム」発売
1958年 富士フォルム 「フジカラーネガティブフィルム」「フジカラーペーパー」発売
OHP(オーバーヘッドプロジェクタ)
スライドプロジェクタと同じ頃、高光源の普及に伴い、OHPが普及した。OHPは光源の位置により二つの型がある。
反射型OHP
実物投影機ともいう。光源から提示物を照らし、その反射光を反射鏡とレンズにより投影する。
- 提示物は、手書きあるいは印刷した通常紙でよい。説明をしながら書き加えたりできる。
ピントの調整が必要だが書籍のページをそのまま投影したり、平たい実物を投影することができる。
- 反射光で投影するので、部屋を暗くしたり拡大率を小さくする必要がある。
透視型OHP
単にOHPというとこの型を指すのが通常である。提示位置の直下にレンズがあり底部に光源がある。光源からの光は、透明シートに描かれた資料を透視して反射鏡を通してスクリーンに焦点を結ぶ。
- 提示物は、透明シートに手書きあるいは印刷する必要がある。当初は透明度の高いトレーシングペーパーなどを用いていたが、パソコンでのプリンタ印刷が可能なOHPフィルムが開発された。サインペンなどでの加筆記入もできる。
- 光源が箱内にあるので外に漏れない、反射光よりも光のロスが少ないなどにより、反射型よりも明るい室内で利用できる。これは学生が教科書を見たりメモをしたりするのに便利である。
OHPの歴史
- 1927年 ドイツのリーゼガング社 OHP発明
警察鑑識作業での顔写真投影などに使われたという。
- 1950年代後半 学校やビジネスでの普及(米国)
- 1971年 21世紀教育の会、小学館 『OHPのすべて』出版
OHPの紹介からOHPでの授業のノウハウまでを紹介。日本での本格的普及の初期であろう。
- 1990年代中頃 衰退の始まり
この頃から後述の「現在のプロジェクタ」が普及するのに伴い、OHPは衰退していく。
CRTプロジェクタ
日本では1953年にテレビ放送(モノクロ)開始。その受信機がCRTテレビ(ブラウン管テレビ)であった。
テレビの電気信号をパソコンのVRAMからの信号に置きかえればパソコンのディスプレイになる。最初のパソコンは1973年にAlto発表、1980年代に普及が進んだが、そのディスプレイにはCRTが用いられた。
(参考)ディスプレイの歴史
CRTプロジェクタは、パソコンとプロジェクタを接続し、ディスプレイ画面への情報をプロジェクタに送り、大画面スクリーンに映写することにより実現できる。CRTプロジェクタはパソコンと共に1980年代に普及が進んだ。
CRTテレビ(ブラウン管テレビ)
放送局ではテレビカメラで撮影した画像を、525本の線(縦の走査線)に分割する。さらに1走査線の横の画素単位に分割して、電気信号(横の位置、色彩、光の強弱)に変換して放送する。
受信側(テレビ)は、アンテナその電気信号を受信して、次のステップにより、発光面に映像を表示する。
- 光の3原色ごとにわけて、3本の電子銃(これをCRT、ブラウン管という)に送る(モノクロ放送ならば電子銃は1個)
- 電子銃は光の強さを、電子ビーム(陰極線)の強弱にして発射する。
- 偏向ヨークは、一種の電磁石で、磁力を調節して蛍光面の縦・横位置に行くように、電子ビームの方向を制御する。
- 蛍光面は、画素ごとに光の3原色に対応した発光体がある、その発光体は電子ビームの強弱に応じた強弱の発光をする。
- 電子ビームが他の色の発光体に当たると色がぼける。そのため、穴が空いた金属箔(シャドーマスク)が蛍光体の直前に置くとか、電子ビームを十分に細く絞るなどの工夫がなされている。
- 1897年 ドイツのブラウン(Karl Ferdinand Braun)陰極線管(cathode-ray tube, CRT、ブラウン管)発明
- 1927年 高柳健次郎 撮像に円盤を使い、映像にブラウン管を使った受像装置開発
- 1927年 アメリカのファーンズワース(Philo Taylor Farnsworth)、電子式テレビ撮像機の開発
- 1960年 東芝 日本初のカラーテレビ発売
- 1967年 ソニー トリニトロン開発
パソコンのCRTディスプレイ
パソコンでは、ディスプレイの縦・横の各画素に対応した、明るさの強弱情報をVRAMというメモリに作成する。明るさの強弱情報とは、
モノクロのとき、強弱のレベルを例えば126段階(1バイト)で記録
カラーのとき、R・G・Bのそれぞれについて126段階(全体で3バイト)で記録
である。
このVRAM情報をディスプレイに渡す。これ以降はCRTテレビと同じ。
- 1973年 ゼロックス、パソコンAlto発表
- 1978年、シャープ パソコンmz-80
モノクロのキャラクタディスプレイ(表示は文字だけ)
1文字を8×8画素で表示、横40文字×縦25行
- 1979年 NEC、PC-8001
80×25文字、8色。限定的なグラフィック表示可能
- 1982年 NEC PC-9801
画素数 640×400、 8色、グラフィック表示可能
- 1984年 Apple、Mac OS
GUI(Graphical User Interface、アイコンなどの操作可能)のディスプレイ
- 1990年 Microsoft、Windows 3.0
GUI環境対応ディスプレイの普及
CRTプロジェクタ
CRTプロジェクタでは、3管式が多く採用された。パソコンから受け取ったVRAM情報をR・G・Bに分割、それぞれに対応した3個の電子銃を用いた光にして、電子銃の前に置いたレンズでスクリーンに映写する。
スクリーンでの位置合わせに微妙な調整が必要なので、プロジェクタとスクリーン位置を固定するために、プロジェクタとスクリーンを一体にするとか、プロジェクタうぃ天井に固定するのが通常だった。
カラーCRTディスプレイの蛍光面を小さいミラーにして、一つのレンズでスクリーンに映写する方式もあったが、すぐに液晶プロジェクタへ移行した。
現在のプロジェクタ
プロジェクタシステムへの進化
2000年になると、超高圧水銀ランプ、LED光源、レーザー光源など高輝度光源が出現し、大講堂でも通常の明るさの室内でプロジェクタが使われるようになった。
プロジェクタ自体の性能向上だけでなく、パソコンと連動させることにより、システムとしての発展が進んでいる。
パソコンのモニタに表示できるすべての画面は、プロジェクタを介してスクリーンに投影できる。これはCRTプロジェクタ時代でも実現していたが、常識的な利用になったのは、パソコン利用環境が劇的に変化した2000年以降である。
- PowerPointなどのプレゼンテーションソフトが発展した。
- DVDなどの周辺装置やインターネットとの接続など、動画を含む各種資料の表示ができる。
- スピーカーにより音声も伝えることができる。
- モニタが4K、8K対応など高画質になり、それに対応するプロジェクタであれば、拡大しても高画質の映像になる。
高輝度プロジェクタの歴史
普及が始まった年代
超高圧水銀ランプによるLSD方式、LSOS方式は1990年代初頭
DLP方式は2000年代初頭
LEDプロジェクタ、レーザープロジェクタは2010年代初頭
- 1984年 エプソン 最初の液晶カラーテレビ「ET-10」2インチでポケットテレビといわれた
- 1987年 テキサス・インスツルメンツ社ホーンベック(Larry J. Hornbeck)DMD発明。DLP方式の中核技術
- 1988年 シャープ、14型TFTカラーテレビ試作
- 1989年 エプソン 「VPJ-700」発売 LCD方式小型フルカラー液晶ビデオプロジェクタ
- 1989年 シャープ 「VX-100Z」発売 LCD方式 「100インチまで映せる!」と宣伝
- 1989年 赤崎勇、天野浩 青色LED発明
- 1993年 中村修二 青色LED量産技術
- 1993年 ソニー 「LPH-350J」発売 3LCD方式
- 1993年 日本ビクター LCOS方式でのD-ILA(Directdrive Image Light Amplifier)開発
- 1997年 同上。量産開始
- 1999年 パナソニック 「TH-D9500」発売。DMD採用DLP方式
- 2010年 サムソン LEDプロジェクタ販売
- 2012年 米バルコ社 シンポジウムでレーザープロジェクタ実演
- 2013年 ソニー 「VPL-FHZ55」販売 レーザー光源の業務用液晶プロジェクタ
代表的な投映方法
当初は1枚パネルのプロジェクタがあった。液晶テレビや液晶ディスプレイの液晶面をそのままプロジェクタに取り込み、光源を当て、レンズでスクリーンに投映すれば簡単である。
しかしそれでは、電源が完全な白色ではなく、投影画像の色が正確でないこと、1枚の液晶パネルでフルカラーを表示するので、明るさや品質が犠牲になることなどの理由で普及しなった。
現在での代表的な方式には、LSD、LSOS、DLPがある。
ここでは、光源を超高圧水銀ランプにしているが、レーザーやLEDでもランプ発光部分が異なるだけで、それ以降はほぼ同じである。
- ダイクロイックミラー:光に含まれる色の波長の違いを利用して「光の三原色」の色ごとに光を分離する。
- クロスダイクロイックプリズム:3原色の光を合成して、以前の色にする。
- 透過型液晶パネル(LCD):パソコンから送られてきた各画素の色の情報により、光源からの光の強弱に変換して透過させる。単色光の画像になる。
- 反射型液晶パネル(LSOS):透過型液晶パネルと同様の機能だが、パネルで反射した光を使う。開口率を高く保てることから高解像化に適している.また,液晶層を往復して透過するため,液晶層の厚みが半分で済むことにより,高速駆動に対するメリットも大きい.
- PBS(polarization beam splitter、偏光ビームスプリッタ):入射光の光束を2つに分割し、P偏光を完全に透過させ、S偏光は45°方向に反射させる。光の拡散が防げる。
- カラーホイール:3原色フィルタに分けた円盤。これを高速回転させて、微小時間差で各色の光を個別に送る、
- DMD(Digital Micromirror Device):反射率が非常に高い微小鏡。一つの鏡が1画素に対応。パソコンたらの画像情報により、個々の鏡の向きを変えて明るさを制御する。
- 光吸収版:DMDによる余計な光を吸収する。
- LCD方式(透過型液晶方式)
-
LCD=Liquid Crystal Display、液晶ディスプレイ
- ライトの光を、ダイクロイックミラーにより三原色の単色光に分解する
- それぞれの単色光を透過型液晶パネルにあてる。
- パネルは、画素に対応するLSDがあり、パソコンから送られてきた個々の色強度に応じた強度の光を透過させる。
- クロスダイクロイックプリズムにより一つの色(元の色)に合成、投影レンズもよりスクリーンに投映される。
三原色に分解することから3LCD方式ともいう。
ホームシアタ用のプロジェクターとして主流の投影方式
- LCoS方式(反射型液晶方式)<.dt>
-
LCoS=Liquid Crystal On Silicon シリコン基板
液晶パネルの液晶層の背後に反射板を置き、ランプの光を反射させ投写する。
カラー再現性、解像度、コントラストが優れた高画質が得られる。
構造が複雑なので、サイズが大きく高価格。ハイエンドユーザー向け
- DLP方式
-
DLP=Digital LightProcessing
- 光源からの光を回転するカラーホイールを通すことにより、微小時間で切り替わるR・G・Bの単色光にする。
- それぞれの単色光はDMDで反射される。DMDは画素に対応した微小な鏡からなり、個々の鏡はパソコンのVRAM情報により角度を制御して、反射光の強弱にする。
- スクリーンにはR・G・Bの単色光が微小時間で投映されるが、人間には重なって見える。
コントラスト比が高く、メリハリのある映像が得られる。
部品数があまり多くないため、小型化しやすい。
- 3チップDLP方式(3板方式)
映画館などで使われる業務用プロジェクタに使われる。
- 1チップDLP方式(単板式)
部品数があまり多くないため、小型化しやすい特徴があります。持ち運びが簡単なモバイルプロジェクターに使われることがほとんどである。
レインボーノイズ(映像には含まれていない虹色のような模様が見える現象)が発生することがある。
光源による区分と比較
下表は、比較のため、3者間の差をあえて強調している。同一光源内でも大きなばらつきがあるが、あえて一つにしている。
光源 方式 価格 輝度 消費電力 小型化 寿命 点灯時間
水銀 LSD 〇 △ × × × ×
レーザー DLP △ 〇 △ △ 〇 〇
LED DLP × × 〇 〇 〇 〇
超高圧水銀ランププロジェクタ
上述の「代表的な投映方法(LSD、LSOS、DLP)は、暗黙に超高圧水銀ランププロジェクタを想定しているので省略。最も多いのがLSD方式。
超高圧水銀ランププロジェクタの特徴
- 最も長期に普及している光源なので安定、安価
- 水銀ランプの光度が向上し高輝度で明るい。2灯式もある。
- 明るさが最大になるまで(水銀ランプが熱するまで)時間がかかる
- 消費電力が高い。冷却ファンが必要で、本体が大きくなる
- ランプを冷却するためすぐには片付けられない
- 水銀ランプの寿命はは2,000時間〜3,000時間程度。ランプ交換が必要
レーザープロジェクタ
光源はレーザーダイオードである。レーザー発振器は、を組み合わせた構造。
レーザー媒質:励起源の光を吸収する元素を含有した物質
光共振器:特定の波長の光を反射するミラーで囲んだ発振器
励起源:レーザー媒質にエネルギーを与えるための光源
レーザー光源の方式
- RGBレーザー方式(3レーザー方式)
RGB各色をそれぞれレーザーで作る方式。色純度が高く、各色のスペクトルの幅が狭い(ナローな)光源であるため、微妙に異なる波長の光を出せる。それを用いて、右目・左目を見分ける3D方式のシネマプロジェクターなども採用している。ただし大きくなる点がデメリットになる。
- RBレーザー方式(2レーザー方式)
赤色と青色だけをレーザーで作り、緑色は青色レーザーを蛍光体に当てて作る。温度特性にセンシティブで、シビアな冷却対策が必要になる。デジタルシネマ用
- Bレーザー方式(1レーザー方式)
青色だけをレーザーとし、補色となる黄色を青色レーザーを蛍光体に当ててで作り、そこから分光して赤色と緑色に分ける方式。最も低コストかつ小型にできる方式で現在の主流
投映の仕組み
1レーザー方式、DLP方式での投映は次のステップで行われる。
- レーザーダイオードから青色レーザー光が放射される。
- 発光体ホイールに青色レーザを当てると緑色や黄色に発光する。これから白色光が得られる。
- カラーホイールにより、3原色それぞれの単一光が極小時間に分割され、DLPチップに到達する。
- DLPチップは、画素に対応した微小の鏡から構成され、パソコンからの画像情報(各画素の原色別の光の強さ)により鏡の角度を変化させ、光の強弱にする。
- レンズには、微小期間間隔で原色別単一光の画像が集められる。それをスクリーンに投映すれば、残像効果により元の画像が見える。
レーザープロジェクタの特徴
- レーザー光源は高輝度。明るい画像になる。
- LED光源は消費電力が小さい。
- 発熱量も少ない。送風機ファン不要なものも多い。小型化が可能。
- 発光するまでの時間が短い。起動に時間がかからない。
- 未だLEDおよび発光機構の技術は発展途上。高価格
LEDプロジェクタ
ここでは、3原色LEDによるバックライト型のプロジェクタとする。
プロジェクターの光源として、RGBの3個の光源装置に多数のLED素子(LEDランプ)を用いた光源装置を用いる。それぞれの光源装置からの単色光は、透過ミラーを通すことにより白色光になる。
それ以降は、この白色光を水銀ランプ光源と見立てて、LSD方式などを用いればよい。
(注)
白色LEDを用いて光源装置1個を用いるものがある。
バックライト型ではなく、パソコンからの画像情報を光源装置に伝え、画素に応じた強弱の光を発光する輝度制御型(後述)もある。
LEDプロジェクタの特徴
- LED光源は消費電力が小さい。バッテリ内蔵のものもある。
- 発熱量も少ない。送風機ファン不要なものも多い。小型化が可能。
- LED光源は長寿命(20,000時間程度)である。長時間使用に耐えられる。
- 発光するまでの時間が短い。起動に時間がかからない。
- 輝度が小さい。大規模環境では使えない。
- 未だLEDおよび発光機構の技術は発展途上。高価格
輝度制御型
通常のLED素子は直径1mm程度だが、100μm〜200μm程度のminiLED、100μm未満のマイクロLEDが開発されている。
これらを用いれば、画素数に対応した個数のLED素子をパソコンからの画像情報パソコンからの画像情報におき、パソコンからの各画像の画像情報により、画像全体の光をパソコンからの画像情報を出すことができる。この仕組みを輝度制御という。
画素数に応じた個数のLED素子を実装できないときは、画像を幾つかの画素にまとめて、画素群とすることもある。それを局所輝度制御という。