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ディスプレイの歴史

ここでの対象は、パソコン用ディスプレイであるが、ディスプレイとテレビ受信機は、ハードウェアとしてはほぼ同じで、技術も共通している。相互関係を示すために、テレビの歴史にも若干言及する。


主な年表

1897年 フェルディナント・ブラウン、CRT発明(ブラウン管)
      1926年 CRTを用いたテレビの開発(高柳健次郎)
      1941年 米国でテレビ放送開始
      1953年 NHK、日本テレビ、テレビ本放送開始
        1953年 シャープが国産第1号のテレビTV3-14Tを発売。価格は175,000円
        1958年 多数の民間テレビ局開局
        1959年 皇太子(平成天皇)ご成婚。これを機会にテレビが普及
      1960年 カラーテレビ本放送
        1960年 日立製作所、国産カラーテレビ「ポンパ」を発売
        1964年 東京五輪。カラーテレビの普及
        1969年 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。
      1963年 リレー1号衛星によるテレビ衛星中継。ケネディ大統領暗殺のニュース
1973年 ゼロックス、パソコンAlto発表
    CRTディスプレイでビットマップ(GUI)表示
1982年 ソニー、SMC-70。16色、グラフィック機能
      1984年 直接受信衛星放送(世界初)
1984年 Apple、Mac OS(GUI環境OS)
  1985年 Microsoft、Windows 1.0
  1990年 Microsoft、Windows 3.0 GUI環境対応ディスプレイの普及
1985年 富士通、FM77AV。4,096色、FM音源標準装備
1986年 東芝、J-3100SGT。プラズマディスプレイ採用
  1988年 富士通、FMR-50LT。プラズマディスプレイ採用
1986年 NEC、MultiSync。解像度を変更できる技術
1990年 NEC、PC-9801T。液晶ディスプレイ、8色
    model F5:TFT、model S5:STN
1994年 NEC、PC-9821Ce2。テレビ受信用チューナー内蔵CRTディスプレイ
  1994年 富士通、TOWNS II Fresh・TV。同上。マルチメディアパソコンと呼ばれた。
1996年 三菱電機、A5ノートAMITY SPA5。フルカラー液晶ディスプレイ、DSTN
      2000年 BSデジタル放送開始(フルハイビジョン)
      2003年 地上デジタルテレビ放送開始
        2006年 ワンセグ開始
        2007年 BSアナログハイビジョン放送終了
        2011年 地上アナログテレビ放送終了(東北3県は延期)
        2013年 日本全国で完全デジタル化が完了

参照:パソコン用ディスプレイとテレビ受信機の関係

画面表示のためのハードウェアとしては、パソコン用ディスプレイもテレビ受信機も同じだといえる。
 ディスプレイもテレビも残像を利用している。表示される1画面をフレームという。少しづつ異なるフレームを残像が消えない短時間で表示することにより、あたかも動いているように見せている。
 パソコンディスプレイでの解像度1920x1080とは、画素数が水平方向に1920個、垂直方向に1080個あることを示す。
 
 地上デジタル放送は1440×1080i、BSデジタル放送は1920×1080iという方式を採用している。これは、1走査線(水平方向1行)の画素数が1440あるいは1920個、1フレームあたりの走査線(垂直方向の行数)が1080であることを示している。  ディスプレイもテレビも、通常は、画素は水平方向・垂直方向に同密度で配置される。言い換えれば画面の物理的な水平・垂直方向の長さの比は、解像度の比と一致している。

アナログとデジタル

以前のテレビ放送はアナログ放送であり、テレビ受信機もアナログであった。ところが、パソコンからの情報はデジタルである。アナログ放送時代でのディスプレイ(CRTでも液晶でも)には、アナログ型とデジタル型があった。
 アナログディスプレイの場合には、パソコンからの情報を、テレビ放送のアナログ信号のように変換して伝える必要がある。それがビデオカードである。ビデオカードの品質により、表示される画像の品質が左右される。
 デジタルディスプレイの場合には、パソコンからの画素情報から個々の表示強度をディスプレイ側で制御する。アナログ/デジタルでの画像品質は一長一短があるが、文字や静止画を主とするディスプレイではデジタル方式が適しており、デジタル方式による専用ディスプレイが広く用いられてきた。
 現在では、テレビがデジタル放送になったので、あえてアナログ方式のディスプレイを使う必要はない。そのため、通常の用途では、ほとんどのディスプレイはデジタル方式になっている。

走査方式の違い:インターレート方式とプログレッシブ方式

テレビ放送での1080iのiは、インターレート方式のことで、まず上から下に1行おき(奇数行)の走査線のデータを送ってから、次に偶数行を送る方式である(この処理はテレビ放送局側で行っており、テレビ受信機は受信した順に表示すれば自動的にインターレースになる)。放送の送信速度(フレームレート)は30フレーム/秒であるが、受信機では、一つおきの走査線画像を2倍の60フレーム/秒のフレームレートで表示することになる。

欧米では、1920×1080i と1280×720p が混在している。720pでは、走査線720をプログレッシブ方式で60フレーム/秒のフレームレートで放送する。

それに対してパソコンでは、1フレームを表示するのに、上から下へ1行づつ順に表示する。それをプログレッシブ方式という。パソコンではVRAMに蓄積した情報を表示するのだから、VRAMとディスプレイの間をインターレース方式にしても特に効果はない。しかも、インターレース方式は不完全な2つの画面が交互に表示するのだから、ちらつきが発生しやすく、近距離でみるパソコンディスプレイでは欠点になる。また、パソコンは静止画面(文字列)の表示を前提にしているので、フレームの切り替えに時間がかかってもあまり気にならない。
 すなわち、パソコンの出力をテレビに表示するには、プログレッシブ方式からインターレース方式へ変換するために、I/P変換アダプタが必要になる。

2010年代になると液晶テレビになった。液晶パネルはその原理上、画面全体の映像を同時に表示することができる。このため、液晶テレビの多くはI/P変換機能を内蔵してプログレッシブ方式に対応している。パソコン用液晶ディスプレイも同様である。これにより、両者の相互利用が容易になったのである。

アスペクト比

例えばBSデジタル放送では、1920×1080であり、その比率(アスペクト比)は16:9である。そして、テレビ受信機の解像度が1920×1080(フルハイビジョン)ならば、そのまま表示すればよい。11600x900や3200x1800のテレビ(もしあれば)ならばでは、放送信号を削除あるいは補間して拡大・縮小すれば、水平・垂直の縮尺が同じ映像が表示できる。現在のワイド型と呼ばれるテレビの解像度のアスペクト比は16:9になっている。
 ところが、アナログ放送の時代では、アスペクト比4:3(=16:12)であった。そのテレビでBSデジタル放送を受信して映像全体を画面全体に表示したら、事実物よりも横長の映像になるので、縮尺を同一にするには、ディスプレイ側で水平方向の一部をカットするか垂直方向に黒い部分を残す処理が必要になる。そのためにアスペクト比が重要なのである。
 なお、地上デジタル放送では、信号減衰やノイズの影響が大きいため、1920では送れないので1440×1080(アスペクト比は4:3)にしている。しかし、垂直方向の拡大を前提して圧縮した情報を送ってくるので、フルハイビジョンで自然な映像が得られる。

パソコン用のディスプレイとして用いる場合は、VRAMからの情報をアスペクト比の調整はせずそのまま表示する。そして、パソコンで「解像度の変更」ができるが、それはアスペクト比を変更して表示を拡大したり縮小しているのである。
 パソコン用ディスプレイは、VRAM価格の低価格化に伴い、高解像度化してきた。アスペクト比はパソコンの都合を優先するので必ずしもテレビとは一致しないし、一致していても拡大・縮小において映像が劣化することがある。そのため、パソコン用ディスプレイとテレビの両方に使うのは不適切な時代が続いた。
それがフルハイビジョンの時代になり、両者の解像度が同等になった。これがディスプレイとテレビの共用が進んだ理由の一つである。しかし、16:9 だと縦幅が狭くてパソコン用のディスプレイとしては文字サイズなどが小さくなってしまうので、1920×1200(16:10)も使われている。

参照:ディスプレイとVRAMの関係

パソコンの情報をディスプレイに表示するには、表示画面1枚のことをフレームという。CPUはフレームの情報(極端にいえば、個々の画像の色情報)をいったんパソコン内部の専用メモリ(VRAM:Video RAM)に書き出す。
 VRAMからディスプレイの走査線1行分をディスプレイに送り表示させるが、ディスプレイの光点は一瞬で消えてしまう。
 そのため、眼に残像が残っている間に画面を再走査する必要がある。その速度をリフレッシュレートあるいはフレームレートという。また、動画などの場合はVRAMの内容は激しく変化する、そのため、VRAMに使う素子は高性能であることが求められる。

VRAMは高価であり、その容量を大きくすることができなかった。現在では低価格化が進んでいるが、昔のパソコンでは非常に小容量であった。
 VRAMの容量が少ないので、ディスプレイ自体は高い解像度、多色数の性能があっても、パソコン側のVRAM容量が小さいとその性能を発揮できない。ディスプレイとVRAMは相互に関連して発展してきたのである。

画素・解像度、サイズ

ディスプレイは多数の発光点の集まりである。その個々の発光点を画素(ピクセル、Pixel)という(後述「色数」を参照)。そして、水平方向と垂直方向の画素数を、例えば600x400のように表す。それを解像度という。
 ディスプレイのサイズは対角線の長さをインチで表す。低解像度で大サイズにすると画素間が広くなり連続した画像にならない。小サイズに高解像度にしても意味がないし微細加工技術の壁もある。それで、ほぼ適当な組合せがある。

名称解像度アスペスト比サイズ年代用途
VGA640×4804:3(S)81993昔の一般的な解像度
SVGA800×6004:3(S)101994
XGA1024×7684:3(S)10~161996標準的なノート・ミニノート用
SXGA1280×10245:4(S)17~221998ハイビジョン対応
HDTV1920×108016:9(W)22~262000フルハイビジョン対応、現在の標準的な外付けディスプレイ
WUXGA1920×120016:10(W)22~262000外付けディスプレイ専用

色数

先に発光点を画素といったが、それはモノクロディスプレイのときであり、カラーディスプレイの場合は正しくない。R(赤)G(緑)B(青)の3つの点が隣接して発光するため目の錯覚で多様な色に見えるのであるが、そのセットが画素であり、R・G・Bのそれぞれはサブ画像という。

1つの画素に必要なビット数は、モノクロならば ON/OFF の1ビットでよい。RGBのそれぞれを1ビットにすれば、23=8通りの色が表現される。現在通常のディスプレイでは、それぞれに8ビット(=1バイト)にすれば256階の強さを表すことができ、全体24ビットで、224=1677万色になる。通常の人間ではこれで十分で自然色に見えるとされフルカラーと呼ばれる。

VRAMの容量を「解像度×1画素ビット数」だとすると、
 VGAモノクロ:640×480×1=307,200ビット=37.5KB
 HDTYフルカラー:1920×1080×24=49,766,400=15.8MB
となる。高品質にするには大容量VRAMが必要になるのである。


CRTディスプレイの歴史

~1980年代初:初期のCRTディスプレイ

キャラクタディスプレイの時代

パソコンが普及し始めたのは1970年代末、オフィスに広く用いられるようになったのは1980年代になってからである。当時はCRTディスプレイだったが既にカラーテレビの時代になっていた。それに対して、パソコン以前のコンピュータ用ディスプレイは、汎用コンピュータの操作卓での表示装置(コンソール)やTSS端末としての用途でありタイプライタ出力をディスプレイ表示に変えただけ、すなわち、モノクロあるいは白・緑の2色の文字を表示するだけだった。それをキャラクタディスプレイという。


TSS端末の初期画面(当時の表示を再現)
出典: 神居俊哉「メインフレーム・コンピュータで遊ぼう TSOとISPF」

CRTディスプレイ(NEC PC8001)
出典: 「すべてはここから始まった~PC-8001~」

パソコン普及当時のディスプレイ

パソコンが普及しはじめた1970年代末から1980年代初の頃は、OSはMS-DOSが主流であり、ディスプレイはCRTを用いたキャラクタディスプレイだった。テレビは既にカラーテレビの時代であり、テレビの技術が先行していたので、初期のパソコンのディスプレイもそれを模倣した。アナログ方式のCRTディスプレイである。多くのディスプレイはモノクロだった。
 パソコンをテレビに接続することは容易だった。CRTディスプレイはアナログ機器である。そのため、パソコンからのデジタル情報を、ビデオカードによりアナログのテレビ信号やビデオ信号に変換して表示させたのである。通常のパソコンにはビデオカードが内蔵されていた。

パソコンの普及に伴い、専用のデジタルディスプレイが主流になってきた。アナログと比較して、連続的な色合いの変化を表現するには弱いが、滲みの少ないクリアな画像が表示できる。解像度もテレビより多くすることができる。
 ディスプレイはパソコンと密接な関係がある。国内パソコンメーカーはテレビメーカーでもあり、パソコンメーカーがディスプレイも生産していた(他社からのOEM提供はあったろうが)。そして、パソコンごとに「純正」「推奨」ディスプレイが決められていた。
 自社パソコンとディスプレイに特化した独自の工夫をしていたのだろうか、パソコンメーカーと異なるメーカーのディスプレイを接続すると「相性が悪い」ことが多かった。

当時のディスプレイは(テレビも)は高価だった。パソコンを初めて購入したとき、ディスプレイまでは手が出なかったので、不要になったモノクロテレビを転用した。接続は簡単だったが、上のような理由のため、専用ディスプレイに比べて、あまりにも画質が悪く目が疲れた。数か月後には専用ディスプレイを買う羽目になった。

1980年代:CRTディスプレイの発展期

カラーグラフィックディスプレイへの発展

ディスプレイのカラー化、グラフィック化は、パソコン普及当時から先駆的な製品が発表されていた。しかし、限定された色数であり、フルカラーが一般に普及したのは1980年代末頃からである。(自動車の設計や回路図の表示などの技術分野、ゲーム機などには、かなり以前からカラーグラフィックCRTディスプレイが使われていたが、ここでは対象にしない。)

ディスプレイのオープン化

その後、CRTの規格や仕様の標準化が進み、発展に伴い改訂も行われた。それは望ましいことであるが、反面、同一メーカーでの上位機種に変更すると以前のディスプレイと相性が悪いこともあった。実質的なオープン化が実現したのは、1995年にWindows95が普及した頃からである。

他社製ディスプレイを利用できるようになると、ディスプレイ市場が変化した。それまでは、OEM供給を受けていたにせよ、ディスプレイはパソコンメーカーのブランドであった。それが、テレビ受信機メーカー(その多くはパソコンメーカーでもあるが)が独自のブランド製品を提供するようになり、特に高級品でその傾向が高くなった。ソニー(トリニトロン)、三菱電機(ダイヤモンドトロン)、NECなどが主要なプレイヤーであった(後に三菱電機とNECはCRT分野を統合)。

ナナオとイイヤマ

多くのディスプレイはパソコンメーカーやテレビメーカーのものであったが、専用ディスプレイメーカーもあった。その代表的なのがナナオとイイヤマであった。特に大型(といても17インチ程度であるが)ディスプレイで人気があった。評価は多様であるが、高級を求めるならナナオ、低価格ならイイヤマといわれていた。両社とも、大きなシェアを得るまでにはならなかったが、根強いサポータを得た。

イイヤマは、1972年に長野県で飯山電機として設立。当初は三菱電機の下請でテレビ基盤を生産していたが、1980年代初から自社ブランドのMF-8217を発売した。17インチ、1152x864、フルカラー。当時のディスプレイは14~15インチが主流で、17インチは30万円以上した。MF-8217は12.8万円(実質価格は10万円以下にもなった)の廉価であり大ヒットした。これが大型ディスプレイ普及の先鞭になった。現在でも国内外の好事家の間でMF-8217のドライバが流通している。
 イイヤマは、その後も低価格ディスプレイのシリーズを発表し、その牽引的存在になった。
 一時は売り上げを伸ばしたが業績は振るわず、事業を分割売却、2008年にパソコンメーカーのマウスコンピューターに吸収合併された。

ナナオは、1968年に石川県で羽咋電機として設立。テレビゲーム機メーカーであったが、1985年のパソコン用CRTディスプレイFlexScanを開発「EIZO」のブランド名で欧米向けに発売。1991年から国内向けに発売した。
 ナナオのCRTディスプレイは高画質であるとの評価を得て、信奉者を作り出した。2002年に最後のCRTディスプレイFlexScanT966(21インチ)の発売では殺到したといわれる。
 1993年に最初の液晶ディスプレイ、FA-1020を実験的に発売。100万円を超えていた。1997年のパソコン用液晶ディスプレイE141Lがヒットし、その後大型液晶ディスプレイに参入したが、ここでも信奉者が多くいる。

1990年代:CRTディスプレイの成熟と衰退

高解像度化、多色化

1990年代になると、VRAMの低価格化に伴い、高解像度化、多色化が進んだ。1990年代後半になると、フルカラーのグラフィックディスプレイが通常のようになった。
  1982年 NEC PC-9801 640×400 8色 VRAM=48KB
  1991年 NEC PC-98GS 640x480 256色
  1992年 NEC PC-9821 800*600
  1993年 富士通 FM TOWNS MX/MA 640x480 フルカラー 14inch VRAM=512KB
  1997年 NEC PC98-NX 1280x1024 フルカラー 17inch

液晶ディスプレイへの移行

1980年代中頃にラップトップパソコン、末頃になるとノートパソコンが普及しはじめた。軽量化のためにCRTは不向きであり、液晶ディスプレイが使われる。しかし、当初は大型液晶ディスプレイは高価であり、デスクトップパソコンの外付けディスプレイには、引き続きCRTが使われた。
 その後、液晶ディスプレイの大型化・低価格化は進み、1990年代後半からはデスクトップ用の液晶ディスプレイが登場し急速に普及した。2005年頃にはパソコン専用ディスプレイの新規生産のうちCRTディスプレイが占める割合はわずか数%台になり、2007年頃にはほとんど行われなくなった。

(余談)タッチパネルディスプレイ

タッチパネルディスプレイとは、ディスプレイ画面を指で押すことにより操作できる機能をもつディスプレイである。スマートフォンやタブレットパソコンでは当然の機能であるが、2011年にMicrosoftがタッチパネル機能を生かしたWindows8を発売したことから、パソコンでのタッチパネルディスプレイが増加し注目されるようになった。

ここでタッチパネルを「機能」とし、ディスプレイの「種類」としないのは理由がある。
 極端にいえば、ディスプレイの前に、指で押した部分を認識するセンサーを埋め込んだ板を重ねることにより、この機能を実現できる(通常のディスプレイに外付けするセンサーパネルも市販されている)。しかし、ディスプレイ表示画面にセンサーを埋め込んでいるのが一般的である。

そのような仕組みなので、タッチパネル機能をもったCRTディスプレイも存在した。1980年代には汎用コンピュータのTSS端末あるいはグループウェアの利用のために、社長室にもパソコンを設置するようになった。社長にはキーボードやマウスは使えないだろうと配慮したのだろうか、タッチパネルCRTディスプレイが売り出された(タップができるだけだった)。

当時は、社長の机上にパソコンを置くことが、先進的な経営をしていることのシンボルだった。机に合わせてパソコンをマホガニー調の外観にした。当時のマウスはボール回転だったので、滑らないようにマットが必要である。不慣れなので通常の市販マットでは狭いと机全体をマウスマットにした。・・・


後付けタッチパネル
出典: インコム「製品ナビ 後付けタッチパネルセット」

構造上奥行きが長く体積・重量が大きいCRTディスプレイに対して、薄型のディスプレイを総称してFPD(フラットパネルディスプレイ)という。代表的なものに、液晶ディスプレイとプラズマディスプレイがある。プラズマディスプレイは大型化に適しているので、主にテレビに使われており、パソコン用には液晶ディスプレイが主流になっている。なお、FPDには有機ELディスプレイもあるが、2010年代初頭では未だ普及していない。
 液晶パネルは、パネルの大きさと解像度が大きくなると、高度の技術が必要になり、価格が高くなる。そのため、CRTと異なり、テレビよりもパソコン用ディスプレイのほうが先に普及した。

参照:CRTとFPDの特徴比較

FPDの特徴は、薄型・軽量、低消費電力であり、CRTの欠点をカバーすることにある。その後の進歩はあるが、2000年当時は次のように評価されていた。

    ディスプレイ 薄型化 大型化 低消費電力 応答速度 寿命
    CRT     ×   △    △     ◎   ○
    液晶      ○   ○    ◎     ○   ◎
    プラズマ    ○   ○    △     ◎   ○
    有機EL    ◎   ×    ○     ◎   ×
                            資料:シャープ

   出典:おしごと三重(三重県庁)「FDP産業の動向」

液晶ディスプレイの歴史

~1980年代初期:黎明期

電卓・腕時計での利用


液晶電卓 シャープ EL805
出典: シャープ「液晶の世界 液晶電卓開発物語」

液晶腕時計 セイコー クオーツ LC V.F.A. 06LC
出典: エプソン「マイルストンプロダクツ LC V.F.A. 06LC」

初期の液晶カラーテレビ


液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」
出典: エプソン「液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」

1980年代中頃~1990年代:液晶ディスプレイの普及と高度化

STNとTFT

液晶ディスプレイでの発光する画素位置を決めて制御する方式には、大きくSTN(Super Twisted Nematic)方式とTFT(Thin Film Transistor)方式がある。
 STN方式は、液晶が水平方向に並ぶ板と垂直方向に並ぶ板があり、水平方向X、垂直方向Yに電圧をかけることにより、発光する座標を決定する。単純マトリクス駆動方式ともいう。それに対して、TFT方式は、個々の画素(厳密にはサブ画素)にトランジスタ(アクティブ素子)があり、それを個別に制御する。アクティブ・マトリクス駆動方式ともいう。
 TFT方式のほうが表示が高速になり、色表現、コントラストが優れ、高画質が得られる。しかし、構造は複雑になり高価である。パソコン用液晶ディスプレイが出現した当時は、モノクロ用あるいは低価格普及用にはSTN、高品質用にはTFTが用いられていた。しかし、2000年頃になるとTFTが低価格化し主流になった。

液晶ディスプレイの高品質化

1980年代中頃からノートパソコンが普及し始めた。それには薄型ディスプレイが必須で、液晶ディスプレイとプラズマディスプレイが出現したが、プラズマディスプレイは消えてしまった。液晶ディスプレイが普及するのに伴い、低価格が進んだ。1980年代末頃からデスクトップ用ディスプレイへの大型化、高品質化技術が急速に進んだ。

ディスプレイ解像度の発展に伴い、1990年代以降には、解像度の標準化が進んだ。
  1993年 VGA (640x480)
  1994年 SVGA(800x600)
  1996年 XGA (1024x768)
  1998年 SXGA(1290x1024)
  1999年 UXGA(1600x1200)
液晶パネル(基板サイズ)も次のように大型化した。
  1991年 第1世代 300mm×350mm〜320mm×400mm
  1994年 第2世代 360mm×465mm〜410mm×520mm
  1996年 第3世代 550mm×650mm〜550mm×670mm
  2000年 第4世代 680mm×880mm〜880mm×1,000mm
(標準設定、生産設備稼働の始まりの年であり一般化した年ではない)

2000年代~:ディスプレイ液晶化の完成と日本企業のシェア低下

CRTディスプレイと比較して、液晶ディスプレイは、表示時間が遅い、視野角が狭いなどのため、CRT愛好者がいたが、次第に液晶へと移行していった。2000年代になるとその傾向が顕著になり、2005年の国内出荷ベースではCRTディスプレイは数%になった。テレビは数年遅れたが2008年には数%になり、2009年にはソニー、パナソニックがCRT事業から撤退した。
 パソコン用ディスプレイの利用者も、CRTディスプレイの買い替えで液晶ディスプレイに移行することが多く、現在では(一部のCRT愛好者を除き)ほとんどのディスプレイは液晶になった。


テレビの種類別出荷台数の推移
出典: 山川 紘「衰退する家電産業」より再加工

デスクトップ用液晶ディスプレイのサイズ(日本市場)
出典: JEITA「液晶モニタおよびノートパソPC用液晶ディスプレイ
の市場見通しについて」2010年
より加工作図

液晶の黎明期から普及期にかけて、日本企業は基礎研究から生産技術にわたるまで、常に世界をリードしてきた。1990年代中頃では、日本企業が独占的なシェアをもっていた。
 1990年代中頃から韓国、末頃から台湾企業が急速に発展し、2000年代中頃には、日本の液晶産業はほとんどシェアを失ってしまった。さらに2010年代にかけて、液晶産業からの撤退が続いている。これについては、「国産液晶産業の浮沈」で後述する。

LED液晶ディスプレイ

2010年代になると、LED液晶ディスプレイが注目されるようになった。バックライトにLEDを用いるので、消費電力を下げられ、省エネの観点から期待されるだけでなく、パネルの発熱量が抑えられる。画面を細かく分割してバックライトの明るさを変更できるので、非常に高いダイナミックコントラスト比が実現できる。
 出現間もないので、価格が割高であり、輝度が低くモバイル環境では見にくい欠点が解決されていないが、将来の成長が予測されている。24インチ程度が主であり、韓国のLGと台湾のAcer(ブランド名BenQ)、日本では三菱電機が先行している。


プラズマディスプレイ

初期のプラズマディスプレイ

プラズマディスプレイは、1964年にイリノイ大学のD.L. BitzerとH.G.Slottowにより基本的な原理が公表された。パソコン用ディスプレイとしては、1980年中頃にラップトップやノートパソコン用に使われたことがある。その代表的なパソコンにJ-3100SGT(1986年 東芝、海外ではT-5100)とFMR-50LT(1988年 富士通)などがある。
 ネオンガスを用いた橙色表示で画面が暗く、その頃から出現した液晶ディスプレイに押されてしまい、普及する以前に市場から姿を消した。


大型プラズマディスプレイ(テレビ)パナソニック TH-65PF30U
出典: Panasonic USA「Products Plasma TH-65PF30U」

現在の大型プラズマテレビ

プラズマディスプレイは、自発光型なので視野角が広い、応答速度が速い、色純度がよい、比較的大型化が容易であるという特徴がある。
 1996年に富士通ゼネラルが42インチ、1997年にパイオニアが50インチのプラズマテレビを発売した。それぞれ世界初である。2000年代では生産シェアでも日本企業(特にパナソニック)がトップメーカーだった。しかし、その後は韓国勢に押され、2012年にパナソニックが研究開発を打切り、日本企業によるプラズマディスプレイパネル生産は実質上なくなった。

テレビでの普及に伴い、パソコン用の大型ディスプレイも普及している。特に、色再現性、コントラスト、視野角、動きの速い映像への対応などに優れているため、写真や動画を重視する利用者、テレビとの共用をする利用者に愛好されている。しかし、液晶ディスプレイと比べてシェアは小さい。

有機ELディスプレイ

有機Elディスプレイは液晶ディスプレイやプラズマディスプレイなどに代わる次世代の薄型ディスプレイとして期待されている。2000年代末からスマートフォンに採用されはじめた。2007年にソニーは世界初の11インチ有機ELテレビ XEL-1 を発売した。
 しかし、大型化には技術的バリアが高く低価格化も困難な状態であり、テレビでもシェアは未だ低い状況である。2010年代初頭では、パソコン用に量産されたプラズマディスプレイはない。現在ではサムスンが独占的なシェアをもっている。


国産液晶産業の浮沈

ここでは、パソコン用ディスプレイとテレビを区別せず、液晶パネルについて、その市場の推移を取り扱う。

~1990年代:日本企業の独占体制

液晶やプラズマなどの薄型パネルの分野では、日本企業は基礎研究や実用化・製品化技術で世界をリードしていた。1990年代中頃、世界における液晶パネルの生産シェアは、シャープをトップとする日本企業が80%を超え、独占状態であった。

韓国では1995年から、台湾では1999年から液晶生産が始まり急速に成長した。その背景には、液晶需要の急速な上昇により、また、生産コストの低減のために、韓国・台湾メーカーに技術供与して生産拠点を移したこともあげられる。それに伴い、日本企業の生産シェアは低下したが、それでも1990年代はトップの座を確保していた。

2000年代:日本液晶産業の衰退

一般に半導体産業は需給バランスによる価格変動が激しい。液晶も同様である。日本企業は需要増大を見込んで、2000年頃に設備投資をしたが、2001年には過剰投資により、液晶パネルの価格50~60%下落してしまった。そのため、経営収支が悪化し、その後、液晶生産には消極的になった。

その頃、韓国・台湾はシェア拡大による利益を元に大投資を行った。韓国ではサムスン、LG、台湾では奇美電子(CMI)、友達光電(AUO)が代表的なメーカーである。しかも、この頃から液晶パネルの大型化が進み、それらのメーカーは最新鋭の生産設備を導入したのである。
  2000年 第4世代 680mm×880mm〜880mm×1,000mm
  2002年 第5世代 1,000mm×1,200mm〜1,100mm×1,300mm
  2004年 第6世代 1,500mm×1,800mm〜1,500mm×1,850mm
  2005年 第7世代 1,870mm×2,200mm〜1,950mm×2,250mm
  2006年 第8世代 2,160mm×2,460mm
  2007年 第9世代 2,400mm×2,800mm
  2009年 第10世代 2,880mm×3,080mm

この生産設備技術は日本企業が優れていたのであるが、日本企業は経営不振のため投資できない。設備輸出に伴いノウハウも移転し、日本の液晶技術者も国内業務が低迷しているので海外に流出した。国内工場が第4世代(あるいは第3世代)の設備にとどまっている間に、彼らは第5世代の設備により、競争優位を獲得したのである。特に中型ディスプレイを大量に安く供給して、それがパソコン用ディスプレイの液晶化に拍車をかけた。


TFT液晶生産能力別シェアの推移

日本・韓国・台湾液晶メーカーの営業利益推移

出典: 中田行彦「日本はなぜ液晶ディスプレイで韓国、台湾に追い抜かれたのか」2007年

それでも当初は、高級テレビは日本製が定評を得ていたのであるが、韓国・台湾メーカーの品質が向上し、格安価格で品質に差異のない製品が生産されるようになった。また、2000年代から中国が参入してきた。
 2000年代後半には、日本が生産設備と素材を提供、韓国・台湾でパネル等の生産、中国で製品に組立てという国際分業の構図になった。

このような推移により、日本の液晶ディスプレイの生産シェアは急激に低下している。


世界薄型テレビのメーカー別出荷台数シェアの推移
出典: 篠原弘道(NTT)「グローバル時代のR&D戦略」(資料 ディスプレイリサーチ)より再加工

日本企業の撤退

2000年代中頃以降も液晶テレビ価格は低下を続ける。液晶テレビが出現したころは「1インチ1万円」が目標だったのに、2010年には1000円以下になり、国内テレビメーカーは国際競争力が弱くなってしまった。、2012年には地デジ対応で買い替え需要は伸びたのだが、「売っても儲からない」状況になった。このような状況から、日本企業の事業統合や撤退が進んでいる。


薄型テレビの平均価格の推移
出典: 山川 紘「衰退する家電産業」(資料「週刊ダイヤモンド 2011.11.12号)より再加工

  1999年 日立と富士通、プラズマディスプレイ事業統合
  2002年 松下(パナソニック)と東芝、液晶事業統合
  2004年 パイオニア、NECプラズマディスプレイを買収
  2005年 ソニー、プラズマテレビから撤退
  2005年 シャープ、富士通液晶デバイス事業を買収
  2007年 パナソニック、日立の液晶パネル子会社買収
  2011年 シャープ、液晶テレビ分野の低迷による業績悪化
  2011年 ソニー、液晶パネル生産分野から撤退


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