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2000年頃の状況


IT革命とその影響

ITの分野では、1980年代末にダウンサイジング(大型汎用コンピュータによる集中処理から、多数のパソコンをネットワークで接続した分散処理への移行)、1990年代中頃からのインターネットの急激な普及がありました。
 このようなITの発展は、身の回りの生活から国家経済にまで広範囲に急激な影響を与え、2000年頃には、IT革命といわれ、産業革命を超える社会変化であると認識されました。
 さらに、企業の収益向上にはITの寄与率が大きいことが指摘されています。そして、国内企業の収益性は国家経済や国際競争力に影響します。そのため、国家的なIT革命への対応が国家間の貧富格差を拡大させるとの懸念もあり、2000年に開催された九州・沖縄サミットはIT革命への対応が主話題になりました。



企業が変わる
工業化社会に適していた企業が情報化社会に適合しないために没落し,情報化社会に適合した企業が成長する変化が進行しました。
銀行などの金融業界では,これまで都市の中央地に店舗展開をすることが成長の源泉であったのが,インターネットバンキングにより,かえって不利な条件になりました。製造業では,従来は競争優位性の源泉であった系列体系がe-マーケットプレイスなどのインターネット取引により不利なものとなりました。 過去の成功が失敗の元になってきたのです。このような産業秩序の崩壊と再構築をデ・コンストラクションといいます。
反面,Yahoo!やAmazonなど,インターネットを活用した新規ビジネスが急速に発展しました。インターネットはベンチャー企業や中小企業が大企業と互角に戦える環境を与えています。それをデジタル・オポチュニティといいます。
経済が変わる
1980年代末からのダウンサイジング,1990年代中頃からのインターネットの普及は,情報通信技術分野に大きなパラダイムシフトを及ぼしました。ところが,ちょうどその頃,日本経済はバブルの崩壊とそれに続く平成不況に陥り,1990年代を通してIT投資が低下しました。
 それにより、企業の競争力が弱まり収益が悪化し、失業率の増加になり民間需要を冷やし、さらに企業の収益を低下させるという悪循環に陥りました。それで不況が長引いたのです。これは,国際競争力の低下にもつながりました。
 その結果、日本はIT革命に乗り遅れてしまいました。IT分野だけでなく国際競争力でも、米国どころか東アジア諸国・諸地域にも遅れをとってしまいました。それに対処すべく、国はIT基本法の策定やe-Japan戦略などのIT推進政策をとり、それなりの成果を得るようになりました。
行政が変る
従来から、行政(中央官庁や地方自治体)は民間と比べて情報化が遅れており、効率が悪いことが指摘されてきました。また、各種の届出や申請に多くの役所に出かけなければならないなどサービスの悪いことが指摘されていました。
 その解決には、行政の情報化を進めることが必要だとされました。それを電子政府・電子自治体といいます。これには,行政内部のIT活用により合理化を図ることと,行政と民間の接点をIT化することによるサービスの向上があります。後者では,Webページを活用した広報、行政への各種申請や手続きのオンライン化が整備されてきました。
教育が変わる
高度情報化社会を確立するには、次世代国民のIT能力を向上させる必要があります。
小中高校の全教室でインターネットが利用できる状況になりました。情報科目が高校の正課になり,2006年度からその教育を受けた生徒が大学に進学するようになりました。
 そうなると大学の教育も大きく変わります。授業の形態も変わるし,科目選択や証明書発行のシステム化など大学生活の中に情報活用の場が増えてきます。さらには,遠隔授業により他大学の授業を受講するとか,自宅で大学の授業が受けられるようになります。大学そのものの意義が変わってくるかもしれません。
生活が変わる
前述したように、身の回りの情報化は急速に進んでいます。行政と民間の間の情報化や情報教育が推進されます。そうなると、ITを使いこなすことのできる人とできない人では、日常生活にも大きな違いができてきます。情報格差が社会的な問題になってきます。

各国の対応

IT革命への対応は、国際競争力に影響します。残念なことに、日本はその流れに乗り遅れてしまいかした。

米国の「ニューエコノミー」

1970年代から1980年代にかけて低迷していた米国経済は,1990年代になると急速に復活しました。米国経済復活の原動力になったのが積極的なIT投資、IT関連企業の成長、BPR(ITを活用した業務改革)の普及など、IT革命に即応できたのが大きな要因だといわれました。
 当然,ITの活用は一時的な大量失業者を発生しましたが,それによる企業の立ち直りやインターネットの急激な普及によりIT分野での求人が増大して,比較的短期間に失業率は急激に低下しました。しかも,失業率が低下したり経済が急速に発展すると,一般的には物価が上昇するのでが定説ですが,情報機器価格の急速な低下や情報を活用した合理化により,インフレなき経済発展が見られたのです。
 その現象を従来の経済理論では説明できないとして、ニューエコノミーとかデジタルエコノミーといいました。これは、2000年のITバブルの崩壊、2001年9月の同時テロ事件により米国経済が打撃を受けるまで続きました。

北欧・東アジアの競争力向上

1990年代に入ると、フィンランド、オランダ、デンマークなどの北欧諸国は、旧ソ連の崩壊による経済不況からの脱却、西欧との競争などが起こりました。シンガポール,オーストラリア、台湾,香港、韓国などは、日本のバブル期に東京にあった海外事業所が物価上昇を避けて移転したこと、バブル崩壊後の日本の競争力低下により市場に空隙が生じました。
 このような状況において、これらの国や地域は、ITの将来性を認識し、IT関連の投資を積極的に行いました。それが、1990年代後半のIT革命の波に合致し、急速に競争力を高めたのです。

日本の「失われた十年」

1980年代までは「Japan as No.1」(Ezra Feivel Vogel、1979)で「21世紀は日本の世紀」といわれるほど日本製造業の国際競争力は優越していました。ITの分野でも、従来から日本は「電子立国」を旗印に、米国に次ぐ大国になっていました。
 それが1980年代末になると、バブル経済の崩壊,それに続く金融不祥事や不適切な政策などによる長期的な平成不況に陥りました。ちょうどその時期が,ダウンサイジングやインターネットなどITの変動期だったのですが,多くの企業がIT投資を抑制したのです。

不況とIT革命対応が企業の競争力の遅れ、経済の低迷になり、国際競争力の低下につながってしまいました。IMDの国際競争力ランキングによると,1990年代当初までは,日本は連続して1位だったのですが,1992年から順位が下がりだし,1996年以降は急激に下がってしまいました。米国だけでなく、北欧や東アジアにも遅れをとってしまいました。その後、この1990年代の遅れは「失われた十年」といわれるようにもなりました(2000年代になっても続いており「失われた20年」だという指摘もあります)。