スタートページ主張・講演経営者・利用部門のためのIT入門第1章 ITへの期待の変化

パソコンの普及とOA


1980年代に入るとパソコンがビジネスに活用されるようになりました。
 初期のパソコンは1960年代末期から1970年代にかけて出現しましたが,1980年代に入ると急速に発展しました。当初は個人的なホビーが主な用途でしたが、1981年にIBM PCが発表されるにおよんで,パソコンがビジネスツールとして広く認められるようになりました。日本では1979年にNECのPC8001が発表され,その後8800シリーズ,9800シリーズと発展し,日本での国民機としての地位を確保しました。(蛇足:IBMとパソコン)

以下はうろ覚えなので、誤りがあるかもしれません。あくまで蛇足として・・・
 汎用コンピュータの時代では、IBMは世界の7割を占める絶対的なシェアをもっていました。日立や富士通のコンピュータもIBM互換機といわれるものでした。コンピュータの世界では、IBMの動向に従うことが当然だったのです。
 そのIBMがパソコンに進出したことは、パソコンがビジネスに有効だとのお墨付きを与えたことになり、多くの企業が採用に踏み切ったのです。

ところが、これが覇権をマイクロソフトに渡すことになってしまいました。当時はIBMは、by IBM のポリシーをもち、ハードウェアもソフトウェアもすべてIBM自体で開発し生産していました。IBMはパソコンについて過小評価していたので、パソコン事業部は他の事業部を動かすだけの社内的な力に欠けていました。それで、当時のパソコン少年であるビル・ゲイツにOSの開発を依頼したのです。ゲイツは、これにより多くの技術とカネを得ました。それが後のマイクロソフト発展の基礎になったといわれています。

しかし、パソコンの分野でもIBMの影響力は偉大でした。IBM PCで用いられたアーキテクチャは、その後改良され、PC/ATと呼ばれるものになりました。これは現在のパソコンの大部分(アップル製を除く)に用いられており、それらのパソコンは「PC/AT互換機」なのです。また、当時NEC機が国民機になり得たのは日本語処理でした。その高速化のために、専用のハードウェアを用いており、他のメーカーのパソコンとは互換性がなかったのです。それが1990年にIBMがDOS/VというOSで、PC/AT互換機ならば、どのメーカーのどの機種にも標準の日本語処理ができるようになりました。そして、1997年にはNECもその仕様を採用することになりました。

その頃、「1968年から1978年までの10年間において,オフィスコストが全コストに占める割合が20-30%から40-50%に増大した。この間に生産部門は90%の生産性向上を実現したが,オフィス部門ではわずか4%の向上しかしていない」という米国SRI社の調査が発表され、オフィス業務の生産性向上が話題になりました。その解決にはパソコンなどの情報技術を活用することが必要だというOA(Office Automation)の概念が広まりました。
 従来の情報システムは,たしかに大量データの画一的処理には大きな効果をあげてきました。しかし,オフィス業務では,報告書の作成や配布,会議などに大きな時間を費やしています。そのような業務のシステム化の必要性は認識されていたのですが,IT部門が基幹業務系システムとして構築するのでは、業務が画一化されていし構造化もされていないので,システム化することが困難あるいは費用対効果が低いとして放置されていたのです。それでオフィス要員が増大し,コストも増加していたのだといえます。
 OAの概念は、パソコンの急速な発展と合致し、OAブームともいうような急激な普及が進みました。(蛇足:OA狂乱)

OAブームは一般社会にも伝わりました。「OAクリーニング」という張り紙を見つけました。パソコンのクリーニングをするのかと興味を持ち尋ねたところ「お客様から預かった洗濯物の記録をパソコンに入れてあります」とのこと。お客にとってはどうでもよいように思うのですが・・・
 このような風潮ですから企業では大変です。「パソコンを使えない管理職はいらない」とされました。当時のパソコンはBASICで動いていました。中年管理職が部下の眼を盗んで、土日に巷のパソコン教室で、カレンダーをBASICで作るのに汗をかいている姿を想像してください。
 しかも、大多数は途中で挫折しました。結果としてコンピュータアレルギーを増大することになったのです。本来は、管理者が「パソコンを使う」とは、プログラミング文法を習得することではなく、パソコンを用いて業務改善や業務改革をすることなのでしょうが、それを指摘する人は稀でした。

電子メールや電子掲示板は、日本ではダウンサイジングやインターネット以降に普及しましたが、米国のOAは電子メールが主な用途でした。パソコンを汎用コンピュータに接続して行っていたのです。日本でもそのような利用をした企業もありました。私は、電子メールや電子掲示板と情報検索系システムを連携した、今日では社内ポータルといわれるようなサービスを開始したのですが、時期尚早だったためか普及せず、自然消滅してしまいました。

それまでのコンピュータはメインフレーム(大型汎用コンピュータ)による集中処理でした。TSSなど利用部門の人がコンピュータを使う環境もありましたが,あくまでも情報システム部門の管理するメインフレームを共同利用するものでした。それがパソコンの普及により,情報システム部門以外の人が,自分のコンピュータを持つようになったのです。

その後、パソコンの性能は急激に向上し、価格は急速に低下しました。使いやすいパソコンツールが豊富に出回るようになりました。それで1980年代末になると、これまでの汎用コンピュータに代わって、ネットワークで接続されたパソコンが中心になります。