スタートページ主張・講演経営者・利用部門のためのIT入門第1章 ITへの期待の変化

MIS


経営者や上級管理者が合理的な意思決定や管理統制を迅速に行うには、各組織の活動を正確に迅速に把握できること、それを多様に分析できることが重要です。
 手作業の時代では、多様な分析をする必要があっても、その作業に多大な労力がかかるので限界がありました。それで、心ならずもカンと経験に頼るしかなかったのです。

1970年代になると、次第に基幹業務系システムの対象業務が広がり、多くの部門での日常活動の結果がコンピュータに集中して蓄積されるようになりました。そうなると、データの有効利用が期待されます。データを多様に加工して伝達する機能はコンピュータに任せることができます。それらの情報は、中間管理者を飛び越えて、経営者へ直接に報告できます。このように、経営管理者の支援のためにコンピュータを利用すべきだというコンセプトをMIS(Management Information System:経営情報システム)といいます。
 1968年に、日本生産性本部は、財界のオピニオンリーダーをメンバーとする訪米MIS使節団を派遣しました。使節団は、米国では「見えざる静かな情報革命が進行している」として、政府と財界に対して「MISの開発および利用に関する提言」を行いました。この報告書は、日本企業に大きな衝撃を与えました。

MISの効果として、中間管理者不要論があげられました。中間管理職の業務の一つに、部下の活動状況を整理して上司に報告したり、上司の指示を部下にブレークダウンして示したりする情報伝達機能があります。手作業の時代では、定例的な報告書を作成するだけでも大変でした。一人の上司が管理する部下の数を管理スパンといいますが、システム化することにより管理スパンを大きくすることができます。管理スパンが大きくなれば、組織をピラミッド型から文鎮型にフラット化することができ、意思決定を迅速に行うことができます。それで中間管理者不要論がいわれ、実際に多くの企業が本社機構での課を廃止しました。
 1990年代の不況時でも、リストラブームが起こり中間管理者不要論がいわれました。MIS時代の不要論では、連絡仲介者としての管理職が不要だとして、プレイイングマネージャになるべきだとの論調でしたが、リストラでは、文字通り人員整理につながりました。
 実際には、中間管理層は重要な存在です。業務改革の多くは中間管理層が発案し、互いに他部門と連携しながら実行案にまとめ、経営者に進言し、さらに実現していることが多いのです。目先の効率化や経費削減などのためにこの層を排除すると、改革のプロモーターを欠くことになり、将来的には競争力を失う危険があります。それを承知でリストラしたのは、将来のことなど考えていられないほど切羽詰まった状況だったのでしょうか。それとも、MISで期待した効果が実現できず、余計な中間管理者が多く存在していたのでしょうか。

MISは重要な概念ですが、1970年代の環境ではその効果を得るのが困難でした。
 ソフトウェア技術やプログラム開発環境が未発達のため、分析を依頼しても結果を得るまでに長時間かかりました。ディスプレイ付きの端末は、やっと普及し始めた頃で、通常は紙で出力されていました。そのため、社長が朝出社すると机上に大量の紙がうず高く置かれている状態でした。しかも、1970年代末までは、コンピュータは半角の英数カナしか使えなかったのです(漢字出力について)。ましてグラフなどは使えません。このような状態では、読むことすらできません。コンピュータは紙屑製造機で、MISはMISSあるいはMYTHではないかと揶揄されました。

欧米では文字種が少ないので1文字を1バイト(256文字が表現できる)でよいのですが、漢字などの全角文字を表現するには2バイトが必要です。それで、漢字をコード化する検討が行われ、JIS漢字コードが1978年に策定されました。しかし、コンピュータメーカーは、独自に体系化を進め、例えば富士通は1979年にJEF漢字コードを策定して実用化しました。
 また、日本語ワープロの第1号機は、東芝のJW-10です。1978年に発表され、翌年から出荷されました(630万円!)。これも独自のコード体系になっていました。

このように、1970年代末までは、コンピュータ出力は数字の羅列で、項目名は半角カナあるいはローマ字(英字)でした。総合商社の伊藤忠では、カナのわかち書きを社内公用文字にしようとしたほどです。どうしても漢字出力にしたい場合は、まえもって出力用紙を印刷しておく必要がありました。出力デザインが変わると、在庫用紙が無駄になります。