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高校での情報教育への期待

千葉県総合教育センターの依頼により、1996・10・4、15、25の3回にわたり、千葉県の公立高校の10年目の先生がたに高等学校教職経験者研修として行った講演の内容です。


はじめに
1 情報技術と企業
2 企業の求める人材
3 新入社員の情報リテラシ
4 学校教育への期待
5 情報化社会の主役の育成
6 SAの実現を
おわりに

はじめに

 このような研修の場でお話させていただけることを光栄に存じます。私は民間企業の情報子会社に勤務しておりますが、情報システム企業の人間としてではなく、一般社会人としての立場でお話させていただきます。しかも、独断と偏見を含む個人的見解です。それに、私は高校教育についてほとんど知りません。そのため、先生方にとっては、ピントはずれのことであったり、すでに解決済みのこともあるかと存じますが、ご容赦のほどお願いいたします。
 また、対象となる高校生は、将来情報技術者として活躍する生徒もいるでしょうが、ここでは一般の企業人や社会人になる生徒を対象にします。高校教育について考えると、どうしても大学入試や企業採用のありかたが問題になります。大学はさておき、私は企業が教育に注文を出すべきではないと思っています。むしろ、人類の将来を決定する教育の観点から、企業の採用人事や社員育成に警告をすべきだと思っております。以上が私の基本的立場です。


1 情報技術と企業

1・1 情報技術は企業そのものを変える

 SIS(戦略的情報システム)といわれるように、情報は人・金・物とならぶ第4の経営資源であり、競争戦略の武器になっている。クロネコヤマトは情報活用により宅配便の大規模化に成功した。セコムも情報技術によりガードマン派遣業から総合セキュリティ業へと変貌した。
 企業間ネットワークは、企業間の関係を変えてきた。ウォルマートとP&Gのように、自社の仕入機能を他社に任せるなどのバーチャル・コーポレーションを出現させた。これは最近ではQRやECRとなり広く普及してきた。CALSなどの情報プロトコルの標準化は、ボーイング777でのコンカレント・オペレーションのように製品開発の期間を急速に短縮させている。
 最近はインターネットが注目されている。バーチャルモールのように中小企業でも全世界を顧客とすることができるようになったし、さらにインターネットを通して支払いをする電子通貨も出現してきた。
 このように、情報技術は企業そのものを変えるものである。情報技術を有効に活用するには、情報システム部門のような情報技術の専門家だけでなく、企業全体として取り組むことが必要になってきた。

1・2 だれもがコンピュータを駆使する時代になった

 販売システムや経理システムなど、大量事務作業の省力化を目的としたシステム化は、ほぼすべての部門に浸透している。しかも、これらのシステムはオンライン化しているので、現場部門でデータを入力し帳票を出力する必要がある。
 エンドユーザ・コンピューティングが普及してきた。「必要な人が必要なときに必要な情報」を入手できるようになった。その典型的なものがグループウェアである。事務連絡や意見交換が電子メールや電子掲示板で行われるようになってきた。さらに進んで、電子伝票や電子稟議などを行うワークフローシステムも次第に普及しつつある。そうなると、組織のなかでコンピュータを使えない人がいると、全体の生産性が落ちてしまう。
 社外との関係では、パソコン通信やインターネットがある。社外の人との連絡は電話では不在だったり仕事中の割り込みになったりするので、電子メールでの連絡が好まれるようになってきた。また、情報の検索や意見交換、質問などにも利用されている。
 このように、コンピュータやネットワークは、全社員が活用すべきものになった。企業に就職してどの部門に配属になっても、これらから逃げることはできないし、それを活用することが、仕事を効率的に効果的に達成することになる。


2 企業の求める人材

2・1 自律的な行動が求められる

 環境が激変しており、過去の経験知識が通用しなくなってきた。上司が部下を指導し統制することは、効果的でもないし実際に困難になってきた。それで、社内制度も目標管理制度やフレックス制のように、アプローチの方法を問題にするのではなく、結果達成を重視するようになってきた。
 すなわち、個人が企業組織の枠に束縛されずに、自律的に行動することが求められている。その原動力になるのは、企業への忠誠心や業務への使命感も必要ではあろうが、それよりも自分のおかれた環境を理解して、そこでの矛盾を発見して、解決をはかろうとする好奇心を持つことがさらに重要である。それには、社内で閉じた情報だけでは効果的な行動はできない。広く社外との情報共有や伝達が必要になってくる  ところが、試験制度で育った若い人は、与えられた問題を解決するには秀でていても、自分で問題を発見して行動することが不得手のようである。

2・2 価値観の異なる立場での協調が重要になる

 業務は1人ではできない。組織的な行動である。しかも現在の企業では、もはや単純な改善はやりつくした。残っているのは、ある部分を改善すれば、他の部分に悪影響がでるような複雑なものである。部分最適化ではなく、全体をシステムとしてとらえることが必要であり、システム的な思考が重要なのである。その全体とは、所属する企業だけでなく、関係企業、顧客を含む社会、さらには地球環境へと広く広がってきた。
 全体的解決のために、関係する組織の範囲が大きくなり、その組織のメンバの価値観の違いが大きくなってきた。高年齢層と若年層とでは、企業や業務に関する考え方が違う。多部門にまたがる業務では、各部門での目的が異なる。とくに最近では、ECRやCALSなどのように企業間の協力が重視されているが、そこでは利害の対立すら存在する。しかも、国際化により、その相手は環境も文化も違う外国人であることが多くなってきた。自分と異なる価値観を退ける時代ではない。価値観の違いを前提としつつ、目的を達成することが要求される。
 ところが、最近の若者は自分と同種の狭い世界に閉じこもりがちであり、世代や環境の違う人たちとの交流が少ないようである。相手の立場を理解して、共通するルールを創造することの経験を与える必要がある。また、環境が異なり価値観が違うメンバとの協調には、他人の意見を正しく理解することと、自分の意見を正しく伝えることが必須である。社内での文書や発表すら満足にできないようでは困るのである。


3 新入社員の情報リテラシ

3・1 新入社員の「コンピュータ」リテラシには満足している

 社員の誰もがコンピュータを活用する時代になると、いわゆる情報リテラシが重要になる。そのために、企業では情報リテラシの普及のために、多くの教育を行っている。当社でも、専任の教育グループが5名おり、常設の教室を持ち、営業日の半分以上講習会を開催している。
 中高年者がパソコンの習得が困難なのは、キーボードやマウスになじみがないのと、異種文化にアレルギがあるからであるが、ところが、若い人にはゲームなどで親しんでいる。ワープロや表計算のソフトは使えるようになるのは、利用する機会さえあれば数日で十分である。現場に配属になれば、否応なしに使わされるので、自然に習得できるともいえる。
 当社でも新入社員にもコンピュータの講習会をしているが、最近では新人教育は不要との意見もある。新人の多くはなんらかの形でパソコンを使ってきているし、ワープロや表計算の経験はなくても、全員がパソコンゲームをやってきた。あえて講習会を開催するまでもなく、自然に習得してしまうだろうというのである。この意味では、私は新入社員のコンピュータリテラシに満足している。

3・2 しかし「ビジネス」リテラシには不満がある

 新入社員はすぐにワープロや表計算のソフトはすぐに使いこなす。問題はその内容である。
 ワープロは打てても文章を書く経験がないし、うまく伝える努力をしていない。そのために、1枚の報告書を作成するのに1日中かかり、しかもその報告書は何をいいたいのかわからないしろものである。これではワープロを打てないのと同じである。
 表計算でも、売上単価を足し算したりする。金額を数量で割ることを知らない。グラフ化する方法は知っているが、どのようなときに円グラフと棒グラフを使い分けるのかを知らない。何を強調しようとするのかわからないグラフを作る。
 この結果として、内容よりも体裁を重視した資料が増大する。これはOAによる生産性の低下につながる。
 先に、新入社員へのコンピュータ教育は不要だといった。実際には、コンピュータ操作を教えるよりも、このような「コンピュータ以前」のことを教えるほうに時間がかかってしまうのである。それで教えるほうが疲れるという意味でもある。


4 学校教育への期待

4・1 コンピュータは使えば覚える

 新入社員のコンピュータリテラシには満足している。ワープロや表計算ソフトなどは全然知らなくても、企業に入れば1〜2週間で習得してしまう。それは、手元に自分用のパソコンがあり、新入社員はパソコンを使う仕事を与えられるこらである。すなわち、若い人にとっては、パソコンは体得するものであり、教わるものではない。
 一般の高校生はコンピュータ技術者になるのではない(技術者になるなら、コンピュータよりも数学を教えるべきだ)から、とりたててコンピュータ技術を重視する必要はない。キーボードを速く打つ技術も必要はない。プログラムもコンピュータを使う最小限のことでよいので、それも必要に応じて自分で覚えればよいのである。

4・2 コンピュータ「で」教えてほしい。

 高校教育の目的は、勉強が好きにさせることにあると思う。好きになるには好奇心を持つことが効果的である。コンピュータを好きになれば、教えなくても勝手に覚えるであろう。それよりも、コンピュータを好奇心を育成するツールとして活用してほしい。
 たとえば自然科学では、数式を与えればグラフを描くソフトがある。それを用いればグラフの美しさから数学に興味を持つであろう。また重力場において質点の位置と速度を与えれば軌道を描くソフトを使えば、人工衛星の高さを求めたり、2重太陽での惑星の生活に想いをはせることもできる。人文科学では、各国がインターネットのホームページを開いている。経済企画庁や日経テレコンでは、人口、経済、産業などの各種の統計をあげている。それらから問題を発見する訓練ができないか。あるいは語学に興味を持つかもしれない。このように、コンピュータ「を」教えるのではなく、コンピュータ「で」勉強する手ほどきをしてほしい。
 また、プログラミングやシステム設計を教えるのでも、それ自体を教えることよりも、共同作業の場として活用してほしい。共同作業は面倒であり葛藤があるが、そのなかでメンバの特技を組み合わせることにより、自分が一人ではできないことが達成できる。問題発見やトラブル対処などで自律的に行動させることのツールとして活用させたい。


5 情報化社会の主役の育成

5・1 パソコン通信やインターネットの重視を

 学校教育ではワープロや表計算が重視されているようだが、それよりもパソコン通信やインターネットなどを重視してほしい。
 教育の観点からみると、現在のコンピュータの役割は計算機から情報伝達共有機に移ってきた。教えるのにも、ワープロや表計算よりもインターネットを検索するほうが短時間で教えられるし、教わるにも興味が高いし実用的である。費用対効果では、インターネットだけなら価格も安く効果も高い。
 国際的な観点では、コミュニケータとしてのコンピュータは、世界共通言語になりつつある。現在の日本は欧米どころかアジアに比べても情報後進国である。このままでは、日本は情報の孤島になり、経済的にも文化的にも後進国になってしまう。次代の世代が情報の価値を正しく認識するように指導してほしい。
 社会的な観点では、情報伝達の広域化、迅速化されてくると、情報を独占するとその権力は絶大になる。情報入手・情報選択分析・情報発信の技術と権利を大衆の手に持つことが民主主義の防衛の観点からも重要である。

5・2 情報化社会での常識を指導してほしい

 カードの盗難による被害やカードでの使い込みによる自己破産が話題になっている。これは通貨のバーチャル化による危険である。近い将来に電子通貨が実現する。オンラインで取引ができ便利になるが、反面、危険性も多くなる。情報化社会では、対面取引ではないので、未成年無責任は通用しない。パスワードは印鑑証明と同じなのである。自己責任で行動することを教えてほしい。
 インターネットなどに流れる情報には、健全な情報もあるが非社会的な情報もある。宣伝・詐欺・陰謀・謀略・扇動などにも利用される。発信者の善意・信頼は前提にできない。しかし、危険だけを問題にして避けるのでは、交通事故があるからといって道路に出ないのと同じである。健全な情報化社会を実現するには、情報選択が重要であり健全な判断能力が求められる。
 情報化社会では、発信者としての責任もある。ネットワークは全人類の共有財産である。交通道徳を守るように、ネットワーク道徳であるネチケットを守ることが必要である(このネチケットについては東金女子高校の高橋邦夫先生が意欲的に普及しておられる)。また、違法コピーが問題になっている。これは窃盗犯罪であるだけでなく、人類の知的行為の価値を否定したものであり、健全な情報化社会とは相容れないものである。
 高校生は将来の情報化社会を担う人たちである。健全な情報化社会を構築し維持するために、このようなことをぜひ指導していただきたい。


6 SA:スクール・オートメーションの実現を

6・1 教育の生産性向上を

 企業では、顧客満足、製造物責任、個客管理、生産性向上などが重視されている。これを教育にあてはめるには問題があろうが、教育の生産性向上について提言したい。
 教育の生産性向上では、最大の経営資源である先生の有効活用である。それには、パソコン操作、計算練習、史実など、コンピュータに任せられることはコンピュータ「で」学習させるのがよい。そして、先生は先生でなければできないことに傾注してほしい。たとえば、数学の面白さ、史実の解釈評価、ディスカッションなどの面である。
 先生の有効活用では、学務業務の機械化がある。教材作成の効率化やその共有化、統計作成や報告業務などのシステム化を図る必要がある。先生自身が日常的にコンピュータを活用されることこそが、生きた情報技術を教えるための最大の教材になろう。
 さらに企業では、エンドユーザコンピューティングが重視されている。教育の現場においても、情報教育は一部の先生の仕事ではない。すべての先生方が、多様な角度から指導すべき対象である。また、先生方のSAを効果的に推進するにも、すべての先生方が自分自身の問題だと認識することが重要である。

6・2 SAの前提(先生より行政の問題だが)

 高校では1人1台のパソコン設置がほぼ実現しているという。ところが、職員室には設置されていない学校も多く、ましてLAN化している学校は少ないという。このような状況では、先生自身が情報化社会に属していないことになり、適切な指導を要求するのは困難である。先日、幕張総合高校を見学させていただいたが、あのレベルの情報インフラが全高校に普及してほしいものである。さらには、教育用データベースの整備や学校でのWWWサーバ設置など、生徒が校外からも利用できるようになればすばらしい。
 また、生徒全員へのパソコン支給(貸与)や通信費用の減免などの、経済的支援が重要であるが、社会がこれらの費用対効果の有利性を認識することはさらに重要である。それには、社会の責任としては、社会通念の見直しが求められる。生徒にコンピュータに興味を持たせ、コンピュータ「で」教えて、学問への好奇心を持たせることが必要だといったが、それには大学入試制度、企業採用基準を変更することが大前提になろう。


おわりに(結論)

 企業での情報技術の利用状況から、企業で求める人材とその現状をお話して、高校での情報教育について私見を述べさせていただきました。情報教育についてお願いしたいことをまとめると次のようになります。

  1. コンピュータ技術よりもコンピュータを好きにさせてください。コンピュータ技術よりも情報活用、情報活用よりも健全な情報化社会を築く次世代を育成 することを重視してください。
  2. それには、コンピュータを教えるのではなく、コンピュータで教えることが重要だと思います。これは、学習への情報技術の支援と、先生方の教務のシス テム化の面があります。
  3. これを実現するには、生徒にパソコンを支給し、通信環境を与えることが必要ですし、大学入試や企業採用基準の見直しなどの社会環境の改革が必要です。 これらは、先生方よりも社会の問題だと思います。しかし、それを待ってい たのでは困ります。先生方は目先の問題ではなく人類の将来の観点から、自信を持って次世代の育成にあたっていただきたいと存じます。
 最初にお断りしたように、現状を知らない素人談義です。あるいはすでに解決していることであったり、ピントはずれのことであるかもしれません。それにしても、これが高校の情報教育にいささかでもご参考になれば幸いです。