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プリンタの歴史

ここではコンピュータ(汎用コンピュータ、パソコン)出力装置としてのプリンタに限定し、タイプライタや複写機は対象にしない。


プリンタの種類

同時印字による区分

印字方式による区分

用途による区分

プリンタの変遷
(イメージであり、年代や比率は厳密ではない)


大規模システム用プリンタの歴史

ここでは、企業での大量印刷を目的としたプリンタを対象にする。汎用コンピュータで集中処理していた時代では、ほとんどのコンピュータ出力は汎用コンピュータと連動したプリンタで印刷されていた。

このような用途では、超高速印刷が必要であり、活字インパクト方式のラインプリンタが発展し、1980年代になるとレーザ・ページプリンタへと移行した。

活字インパクト・シリアルプリンタ

ごく初期にはシリアルプリンタも使われた(らしい)が、あまりにも低速だったのだろうか、すぐにラインプリンタになった。日本の大企業が本格的にコンピュータを導入しはじめた頃には、すでにラインプリンタになっていた。

昔のTVや映画では、コンピュータから印字された紙テープが出力されるシーンがよく見られた。テレタイプの技術を利用していたのだろう。残念なことに私はそれを経験していない。

活字インパクト・ラインプリンタ

通常、ラインプリンタというと、活字インパクト方式のラインプリンタのことを指す。
 企業での高速プリンタは活字型プリンタが主流である。プリンタ1行の文字数に相当する個数の回転ドラムに活字を埋め込み、1行分を一斉に印刷する方式である。ドラムに植えられる字種しか使えない。

1960年に富士通は FACOM 521を発表、日立は1961年にH-136を発表した。ドラムは英数字に半角カナを加えた100程度の字種があり、120文字/行で、最高印刷速度は300行/分程度であった。

IBM1440は1960年代前半の代表的なコンピュータであり、東京オリンピックで活躍した。その標準プリンタがIBM1443である。
 当然英数字のみで1行132文字、印刷速度は150行/分(後に600行/分に向上)。
 IBMは、1964年からの360シリーズ、1970年からの370シリーズにより、独占的なシェアを確保し、IBMの仕様が業界標準になった。プリンタでも同様で、IBM1403などで採用された仕様が、その後のプリンタの標準仕様になる。

当時のプリンタ周りの状況

初期のプリンタはカタログ性能では数百行/分とあるが、実感では1ページ(66行)印刷するのに1分弱程度のような速度だった(ような気がする)。私の仲間に暗算の有段者がいて、プリンタの出力途中に「計算は合ってるね」といったのが伝説になった。

レーザ・ページプリンタの時代

レーザプリンタはかなり以前に出現した。沖電気は1972年にELP-8000を発表した。インクミストに電界により制御されたイオン流を付着させて記録紙上に印字させる方式で、現在のレーザプリンタとはやや違う方式だが、ノンインパクトプリンタの先駆けである。漢字モードで4000行/分の高速化を実現した。

1975年にIBMは、レーザプリンタIBM3800を発表した。1万〜2万行/分の当時としては画期的な高速印刷を実現した。

IBM 3800 printer
出典: Epocalc「World Firsts in Electronics」

IBM3800の紙送り構造
出典: Froess「IBM 3800 Laser Printer」

日本では1970年代末に日本語対応が進んだこともあり、各社が相次いでレーザプリンタを発表した。
・日立 H-8191, H-8195, H-8171(1977年)
・富士通 FACOM 6715D(1980年)
・NEC N7384(1980年)

ページプリンタの特徴は、1ページ全体を1枚のキャンパスにできることであり、文字の大小、任意の行間設定、画像の取り込みなどが容易にできること、すなわち、どのような編集も可能になったことである。
 そのため、帳票ごとに事前印刷用紙を交換する必要がなくなった。もっとも、決まったフォーマットをデータ処理のプログラム内に記述するのは煩雑である。事前印刷部分を別言語で記述してオーバーレイさせる方式が広まった。

レーザ方式の特徴は、他の方式を圧倒する印刷速度である。インパクト方式で同時に3枚複写するよりも、1枚づつ3回印刷するほうが速い状況になる。
 1980年代は大型汎用コンピュータの全盛期であった。その高速処理に対応できる大量高速プリンタが求められる。それに応えたのがレーザ・ページプリンタである。その後高速化が進み、毎分100ページ以上の文字通り目にもとまらぬスピードになった。
・NEC N7385-21(1987年)2色同時印刷
・日立 H-6286(1990年)カット紙両面印刷
・日立 H-6257(1997年)22080行/分
・富士通 F6708B(1997年)7色同時に印刷

1990年代になると複写機メーカーのXEROX社(日本では富士ゼロックス)が参入し、その後リーダー的存在になる。
・1993年、DocuTech 135、135枚/分、最小構成価格約3千万円
・1999年、DocuTech 6180、180ページ/分、最小構成価格約5千万円
・2003年、DocuPrint1100CF、556ページ/分、最小構成価格約8千万円
連続用紙対応。プリンタ2台構成では1133ページ/分で86.3メートル/分の速度になる

XEROX Docutech135 の内部構造
出典: MJA Graphics「Xerox Docutech 135」

印刷・発送業務のシステム化

電力・ガス会社では、地域世帯全体への請求書など膨大な印刷業務がある。そのような業務が石油やクレジット会社など広い分野に広がった。
 そのような利用では、単にプリンタの速度だけでなく、発送業務全体の総合的な合理化が必要になる。コンピュータ室は印刷工場のようになった。

  • 印刷用紙
    大量の連続用紙を使うために、製紙工場の巻取りロールのような形状にしたフィーダもあった。
    連続用紙の両端切り作業をなくすために、A4版カット紙が利用できるようになった(超高速プリンタでは、紙送り速度を上げるために、あえて連続用紙を用いることもある)。
  • 封入封緘システム
    封筒に入れる大きさに紙を折る装置、他の案内書やカタログなどを挿入する装置、それらを封筒に入れる装置などが必要である。それらを統合した機器や制御するシステムも利用される。


マルチメイラー K2500(スイス・kern社製)
上:全体の構成、下左:同封物挿入部、下右:封入封緘部
出典: 高千穂コムテック「Kern マルチメイラー K2500」

ネットワークによる分散処理、ペーパーレスへの動向により、集中印刷の業務が少なくなったこと、印刷・発送サービス(MPS:Managed Print Sarvice)の利用が普及してきたことなどにより、一般企業での超高速プリンタを設置するケースは減少したが、特定の分野では現在でも用いられている。


家庭用パソコンプリンタの歴史

家庭でのプリンタは、パソコンの周辺機器として生まれ、現在ではコピー、スキャナ、FAXなどの機能をもつ複合機に発展した。
 家庭用プリンタは、印刷量は少ないが、年賀状印刷のように、写真の高画質化、ふちなし印刷など凝った印刷機能が求められる。
 個人にもよるが、大多数は低価格が購入選択の基本になる。

ドットインパクトプリンタ

初期のパソコンには、電動タイプライタを応用した活字プリンタが使われたが、パソコンが普及した頃には、ドットインパクトプリンタになった。しかし、当時はそれほど印刷速度を要求されなかった(価格のほうが重要だった)ので、1文字ずつ印字するシリアルプリンタが使われた。

  • EP-101
    初期のドットインパクトプリンタとして有名なのが、エプソン(当時は信州精器)が1968年に発表したEP-101である。世界初の小型軽量デジタルプリンタとして大成功した(このEPの子供たち(SON)を期待して社名をEPSONにしたのだという)。
  • MP-80
    エプソンは1980年に発表したMP-80である。これが安価なドットインパクトプリンタの最初だといわれる。独自では漢字ROMをもたず、ワープロソフトと連動して日本語を印刷する仕様だった。海外ではMX-80の型名で大ヒットした。
  • PC-PR201
    NECは、1983年PC-PR201を発表した。国民機といわれたPC-9801の標準プリンタで、広く普及し、この仕様が後のNECプリンタの基本になった。漢字第1水準(ROMで第2水準も)が使え、24ピン、22×22ドット、40文字/秒で当時としてはハイスペックであった。
     高スペックでありながら低価格なことが強調されたが、当初は30万円に近くパソコン本体と同程度の価格で、個人にとって高嶺の花だった。それで、自宅でカセットテープに書き出し、会社のプリンタで印刷することが(不正の私用だが)行われていた。

1980年代中頃だったと思う。当時のドットインパクトプリンタでも単純な画像を印刷できた。ところがパソコンとプリンタの解像度や縦横比の違いからか、画面での真円が印刷すると楕円になってしまう(あるいは論理的な真円がディスプレイで楕円に表示されていたのかもしれない)。その調整に苦労した(その後、Macintoshでは画面でもプリンタでも真円になるのを見て感心した)記憶がある。

各社からドットインパクトプリンタが続出し価格も低下した。この頃は家庭用パソコンではNECが大きなシェアをもち、プリンタもNECと、それの互換機としてのエプソンが大きなシェアをもっていた。企業では汎用コンピュータメーカーの製品を用いることが多く、富士通プリンタもかなりのシェアをもっていた。

低価格プリンタとしては後述のサーマルプリンタが普及し、1990年代になるとレーザプリンタやインクジェットプリンタが出現して、一般用途でのドットインパクトプリンタは次第に消えていった。
 しかし現在でも文字だけの印刷しない用途での専用プリンタ、新興国での低価格プリンタとして大きな需要がある。

サーマルプリンタ

1980年代の中頃はワープロ専用機の全盛期であった。ワープロ専用機は当然ながらプリンタが一体化している。その価格を抑えるために、サーマルプリンタが広く用いられた。パソコン用にも低価格プリンタとしてこの方式が使われるようになった。
 ドットインパクト方式ではピンがリボンを直接叩くのに対して、サーマル方式では触れるだけなので、騒音がしないし、ピンの密度を高めることができる。それで高品質な文字を印刷できるという利点がある。
 その後、発色顔料技術の発展により、カラー印刷ができるようになったが、次第にインクジェット方式に押されてしまった。しかし、インクジェットでは困難な色がだせることから、家庭用写真プリンタとして利用されている。

サーマルプリンタには、印刷用紙に感熱紙を用いる感熱紙プリンタと、熱転写用のリボンを用いる熱転写プリンタがある。

感熱紙プリンタ

安価なプリンタは感熱紙方式だった(感熱紙はすでに1960年代に発明されていた。またこの方式は近年まで家庭用FAXに広く使われていた)。初期の有名な機種に Texas InstrumentsのSilent 700がある(プリンタではなくポータブルTSS端末だった)。
 感熱紙特有の光沢があること、放置すると変色あるいは消えてしまうこと、フィードがロール紙なので、まるまってしまうクセがあることなど、不満だらけの方式であったが、おカネを考えると致し方ない。企業ではほとんど普及しなかった。最近では、インクもリボンも不要なことから、モバイル用プリンタとして見直されている。

熱転写プリンタ

熱転写方式では、通常の用紙が使えるが、リボンを頻繁に交換する必要がある。プリンタ本体は比較的安価だったが、リボン交換でかなり維持費がかかった。現在のインクジェットプリンタでインクが高いのと同様である。
 この方式のプリンタは各社こぞって発売したが、有名なのがNECが1985年に発売したPC-PR201T である。連続用紙にもカット紙にも対応し、カラー印刷ができた。価格は10万円程度だった。

レーザプリンタ

レーザプリンタは、ビジネスに利用される高速ページプリンタとして発展するとともに、パソコン用のプリンタとしても普及した。
 パソコン用レーザプリンタ分野でリーダーになったのがキヤノンである。1975年にLBP-4000(レーザビームプリンタといった)を発表、その後続々とLBPシリーズ(現在ではSateraシリーズ)を発表した。海外ではHPが最大のシェアをもっていたが、HPプリンタのエンジン部分を供給するようになった。
 当時は高価格だったが、1980年代末頃になると50万円を切るようになり、中小企業でも購入できるようになった。また当時はモノクロ機が主流でカラー機は特定分野に限られていたが、2000年代になると本格的にカラー化が進み、一般企業でも導入するようになった。しかし、家庭用ではそれでも価格が高いこと、カラー化が遅れたことから、主流はインクジェットプリンタになった。

インクジェットプリンタ

インクジェット技術の歴史は古いが、プリンタとして本格的に普及したのは1980年代中頃からである。
・IP-130K(エプソン、1984年)印字ヘッドにピエゾ素子使用、モノクロ、50万円を切った。
・Think Jet(HP、1984年)後継機のLaserJetプリンタが大ヒット
・BJ-80(キヤノン、1985年)世界初のバブルジェット方式

その後、キヤノンは1990年に軽量ノート型のBJ-10v(7万円台)を発売して、インクジェットプリンタを急速に普及させた。2001年からPixusシリーズになる。
 エプソンは1994年に写真の高画質を追求したMJ-700V2Cを発売、さらに1995年からColorioシリーズになり、1996年のPM-700C(約6万円)は大ヒットした。これらにより、家庭での写真印刷を日常的なものにした。
 また、各社は、プリンタ本体の価格を下げて普及を図り、消耗品であるインクで利益を上げる戦略を採用した。そのため、家庭用プリンタはほとんどがインクジェットプリンタになった。


小規模・オフィス用プリンタの歴史

・大企業のローカルシステムや中小企業など、印刷業務は多いが、超高速プリンタなどは必要がない環境が多い。
・オフィスでのパソコン用プリンタでは家庭用と比較して、次の特徴がある。
  ・本体は比較的高価でもよいが、印刷量が多い。
     それで、インクなどの消耗品のコストを下げたい。交換の手間を省きたい。
  ・通常用途では写真よりもグラフや図解などのイラストが多い。
     家庭用とくらべて高画質の必要はない。
  ・LAN接続は必要だが、コピーやFAXなどの機能はあまり必要がない。
     むしろ、コピー機やFAX機にプリンタ機能をつけることが多い。

ドットインパクトプリンタ

1970年代の中頃になると、大企業ではローカルマシンが設置され、中小企業でもコンピュータを導入するようになっり、ミニコンピュータやオフィスコンピュータが使われていた。このような環境では、それに応じた低価格の小型プリンタが使われた。

小型の活字インパクトラインプリンタも使われたが、それに適したプリンタがドットインパクトプリンタである。
 ドットインパクト方式ではノズルで文字種が自由に設定できるし、字種が多くなっても印刷速度にあまり影響しない。そのため、半角のカナ以外にも「株」や「円」など独自の半角漢字(記号というほうが適切)が使えるようになった。

オフィスコンピュータでは、同一帳票の印刷量は比較的小さく、給与計算、売上管理、会計管理など多様な多様な帳票を印刷することが多い。そのためのビジネスソフトが提供された。それらのソフトは独自のフォーマットや「株」や「円」などの文字種を含んでいた。この環境では、ドットインパクトプリンタが適していたのである。

さらに、1970年代末から日本語が標準仕様になり、1980年代になるとパソコンがオフィスで使われるようになり、パソコンの周辺機器としてドットインパクトプリンタが使われた。
 しかし、時代はレーザプリンタが主流になっていく。

オフィスではサーマルプリンタはあまり普及しなかった。時間がたつと印刷が変色・退色すること、感熱ロール紙はまるまるクセがあり保管しにくいことなどが理由だった。

小型レーザプリンタ

超高速のレーザプリンタが発展する一方、低価格の小型レーザプリンタが、大企業のローカルマシンや中小企業のセンターマシンのプリンタとして普及し、パソコン用のプリンタとしても普及した。

オフィス業務では、報告書やプレゼン資料の作成が多く、それにはグラフや図解など画像が必要になる。それにはレーザプリンタやインクジェットプリンタが適している。
 レーザプリンタとインクジェットプリンタを比較すると、それぞれ長所・短所がある。

  • レーザプリンタ(特にカラー)は高価格である。2008年頃から、パソコン用レーザプリンタのカラー化率は30%で横ばいになっている。
  • レーザプリンタのほうが高速である。
  • インクジェットプリンタで大量印刷すると、インクの補充が頻繁になり、トータルコストが大きくなるし、交換の手間がかかる。
  • 写真などの画質では、インクジェットプリンタのほうがよい(方式の違いよりも利用者の要望により発達した)。

そのため、一般的には、家庭用にはインクジェットプリンタが主流になったが、企業向けにはレーザプリンタが用いられることが多い。しかし、最近では互いに短所をカバーしてきたので、違いが少なくなってきた。


プリンタに関するトピックス

近年のプリンタのシェア

世界のプリンタ市場では、HPの存在が強い。大規模システム用プリンタでは長い歴史をもつ。HPはパソコンで圧倒的なシェアをもってきた(近年ではレノボが追い上げているが)。そのため、パソコン用プリンタでも大きなシェアをもっている。
 日本国内では、HPの存在感は比較的薄い。パソコン用プリンタでは、パソコン本体およびスキャナから展開していたエプソンとカメラ業界から参入したキヤノンが激しい競争を続け、2社独占のような体制を続けてきた。それにブラザーが攻勢をかけているという構図である。

大規模システム用プリンタ

汎用コンピュータ全盛時代は、コンピュータメーカーのシェアがそのままの高速活字インパクトプリンタにも反映していた。日本ではIBM、富士通、日立、NECなどで独占されていた。
 レーザプリンタになってもそれが続いたが、1990年代になると複写機の最大メーカーであるXEROX(日本では富士ゼロックス)がこの分野に参入し、急速にシェアを拡大した。2001年にはNECがレーザープリンタ事業を、2002年には富士通がシステム向けプリンタ事業を富士ゼロックスに譲渡し、現在では富士ゼロックスが圧倒的なシェアをもっている。同様にリコーも参入しシェアを拡大してきた。
 2012年頃の世界シェアは、XEROX(約40%)、HP(約20%)、リコー(約20%)が3強になっている。

小型レーザプリンタ

世界ではHPがトップで、XEROXが続く2強体制だったが、最近はサムソンがこの分野に参入し3位になった。
 国内では、キヤノン、ブラザー、エプソンが3強である。未だサムソンは強力にはなっていない。

インクジェットプリンタ

世界ではHPが40%程度を占め、キヤノン、エプソンが続き2社で30%以上を占めている。両社では国内出荷よりも輸出のほうが圧倒的に多い。
 国内では、長年キヤノンとエプソンが熾烈な首位争いを繰り返してきた。2011年頃までは、2社で75%程度を占めていた。2011年に「プリンターに第3の選択肢。ブラザー」という挑戦的なキャッチコピーを掲げ、2強体制に割り込もうとしている。

インクジェットプリンタのしくみ

ドライバ

パソコンからプリンタを動作させるためにはドライバが必要である。現在ではWindowsなどのOSの配下にドライバがある。「OSを変えたらプリンタが使えなくなった」というトラブルはこれに起因する。
 このようになったのは、Windows(本格的には1995年のWindows95)が出現してからで、昔のCP/M、MS-DOSの時代では、プリンタドライバはアプリケーションソフトがもっていた。そのため、どのアプリケーションが使えるかがプリンタ選びの基本だった。

あるファイルを印刷するプロセスを制御するソフトウェアがドライバである。通常、ドライバは次の動作により印刷を行う。

  • ジャーナルファイルの作成
    印刷命令により、対象ファイルをOS(Windows)の標準機能であるGDI(Graphics Device Interface)仕様に展開したジャーナルファイル(xxx.jnl)に変換する。
    OSの標準仕様を用いるので、ドライバはOSの配下で動作し、OSが異なればドライバも変更しなければならない。
    この時点で、ファイルのアプリケーション(Wordなど)とは無関係になる。
  • 印刷用ファイルの作成
    ジャーナルファイルから印刷用ファイル(xxx.prn)を作成する。これは印刷画像とほぼ同じデータで個々のプリンタに合致した色表現情報などが入っている。
  • 印刷動作
    印刷用ファイルがパソコンからプリンタへ転送される。転送が始まるとプリンタは印刷状況をパソコン画面に表示しながら印刷する。

インクジェットプリンタの構造

インクジェットプリンタは、インクカートリッジと印字ヘッドが左右に往復しながらインクを噴射する。その意味ではシリアルプリンタとラインプリンタの中間だといえよう。

インク噴射方式には、インク滴を熱で気泡化するバブルジェット方式(HP、キヤノン)や、振動で噴射する振動方式(エプソン)などがある。

インクの種類

インクは、細いノズルから噴射するので目詰まりが起こらないこと、印刷でにじまないこと、速乾性があること、変色しないことなどが要求される。
 当初のインクジェットプリンタは目詰まりがひどかった。数週間使わないでいると乾燥してしまう。クリーニングすると多くのインクが消費される。不要インクはプリンタタンクに貯蔵されるが、そのタンク交換費用が高い。このような不満が多かった。最近は改善され、数か月あるいは半年程度は放置できるようになった。

噴射方式により、期待する用途により、必要なインク特性が異なる。一般的に、顔料系は耐水性や耐光性に強く、染料系は専用紙での印刷が美しい特徴がある。HPやキャノンは主に顔料系インク、エプソンは主に染料系インクを採用している。

インクはプリンタ性能に大きく影響するので、各社がプリンタにあった純正品を推奨している。しかも、プリンタ本体の価格を抑えてシェアを拡大し、インクで利益を確保する販売戦略をとっているようである(特にHPはその傾向がある)。
 それで、あまり印刷をしないユーザには、プリンタ購入時にオマケでついてくるインク、セット購入でのインク割引などを利用して、それらが使い終わったらプリンタを買い換えるという人すらいる。資源活用の観点から、望ましい販売戦略とはいえまい。

インクジェットプリンタの高品質化・多機能化

以下の年代や機種は、キヤノンとエプソンの製品リストから作成したので、必ずしもこれらの機能を最初に実現したものだとはいえない。

高画質化

家庭用プリンタでは写真の高画質化が求められる。1996年にエプソンが発表したPM-700Cは、「超・写真印刷」をキャッチフレーズにしてヒットした。
高画質を得るには、印刷用紙の品質が重要であるが、プリンタ側では次のような発展があった。

  • インクの色数
    理論的には、シアン、マゼンタ、イエローの3色を混合すればよいが、黒は写真以外で大量に使うので、4色が基本になる。中間色も加えれば、混色がより細かくできるので、色が忠実に表現される。そのため、多数の色インクを使っていた。エプソンでは、1995年のMJ-800Cは4色だったのが、PM-700Cは6色になり、その後8色のものまで現れた。
     しかし、最近は混色制御技術の発展により、むしろインクの色数を抑える傾向もある。
  • 解像度の増大と噴射量の微小化
    解像度はdpi(印刷用紙1インチあたりのドット数)で表す。解像度を増大することによりきめの細かい印刷ができる。解像度を上げるには、噴射するインクの量を少なくする必要がある。その単位はpl(ピコリットル=10−12リットル)で表す。
    ・1996年(エプソン、PM-700C) 720× 720dpi、6pl
    ・2001年(エプソン、PM-950C)2880×1440dpi、1.8pl
    ・2002年(キヤノン、BJ 950i)4800×1200dpi、2pl
    ・2004年(エプソン、PM-G820)5760×1440dpi、1.5pL
    ・2005年(キヤノン、PIXUS MP950)9600×2400dpi、1pl

写真印刷では「四辺ふちなし印刷」も人気がある。キヤノンは2001年のBJ F900で四辺ふちなしプリントを実現した。しかし、それを行うには画質を落とす必要があり、エプソンは2003年のPM-980Cで最高画質指定での四辺ふちなし印刷を可能にした。

多機能化

現在のプリンタ(特に家庭用プリンタ=インクジェットプリンタ)は、コピー、スキャナ、FAX。無線LAN対応など多様な機能をもち、複合機(MFP:Multi-Function Printer)といわれている。
 これらの機能の機器を個別に買うよりも安価になるので、急速な普及をした。インクジェットプリンタ全体に対する複合機の比率は、2005年頃に約50%程度がったのが、2010年頃には約80%になった。

  • 複合機:1992年(沖電気、DOC-IT 3000/4000)
    イメージスキャナで読み込んだ画像を,ファクシミリ送信,コピー印刷できる先駆的な複合機。欧米市場向け
  • スキャナ機能:1999年(キヤノン、BJ F850)
    スキャナそのものは別途購入する必要があった。
  • CDタイトルのダイレクト印刷:2002年(キヤノン、PIXUS MP730)
  • デジカメからの直接印刷:2001年(エプソン、PM-920C)PIM規格
    2003年(キヤノン、PIXUS MP990i)(エプソン、PM-A850)Exif規格
  • FAX機能:2002年(キヤノン、PIXUS MP730)
  • 自動両面印刷:2003年(キヤノン、PIXUS MP790)
  • 複合機:2003年(エプソン、PM-A850)
    プリンタ、スキャナ、コピー、ダイレクトプリントの4役
  • 有線・無線LAN対応:2004年(キヤノン、PIXUS iP4100R)

インクジェットプリンタの価格低下(個人向け)

プリンタは激しい低価格競争になっている。2012年頃には量販店実勢価格が1万円以下のものも出現した。しかし一般的には、機能や性能がアップしたのに価格は据え置かれるという傾向がみられる。

家庭用プリンタの需要は年賀状印刷の11月・12月前半にピークになる。それに対応して、多くのメーカーは秋口に新製品を発表する。発表後、時間とともに小売価格は低下する。そのため、7月・8月頃に最安値になる傾向がある。

パソコン用プリンタ価格の推移(左図)と月別変動(右図)(東京都区部)
出典: 総務省「小売物価統計調査(動向編)」より加工作図

(左図注)価格上昇(点線)は、調査対象がハイスペック機に変化したため
2003年~2005年:インクジェット
2006年~2007年:インクジェット、複合機能付き
2008年~2010年:インクジェットプリンタ,複合機能付き
 機能:A4サイズ、9600×2400dpi,5色独立型,自動両面印刷,レーベル印刷,ダイレクト印刷,
    スキャナ4800dpi,CIS,コピー、カラー液晶3.0型
2011年~:インクジェットプリンタ,複合機
 機能追加:6色独立型,無線LAN対応


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