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関係データベース(RDB)の歴史


関係データベースとは

RDB(Relational Database:リレーショナルデータベース)の説明は「RDBとSQL」を参照されたい。1980年代から普及し、現在でも最も広く使われているデータベースである。

RDBの特徴

主要年表

1969年 コッド RDBに関する最初の論文
1970年     Adavas(Software AG、RDBライクな製品)
1974年 SEQUEL言語(IBM、SQLの前身)
1974年     System R(IBM、最初のRDB実装)
1974年     Ingres(ストーンブレーカー、オープンソースのRDB)
1976年 SEQUELをSQLと改名
1977年   Relational Software Inc (RSI)設立(Oracleの前身)
1979年     Oracle RDBMS(v2)
1980年   Relational Database Systems(RDS)設立(Infomixの前身)
1981年     Informix(INFORMation on unIXを略したRDB)
1981年     SQL/DS(IBM、VSE用RDB)
1981年     Oracle、VAX/VMS用Ingres
1982年     AIM/RDB(富士通、大型汎用機対象の最初のRDB)
1983年   RSIをOracleに改称
1983年     DB2(IBM、代表的なRDB)
1983年     Oracle V3(汎用からパソコンまで移植性が高い)
1984年     RDB1(日立)
1985年     INFORMIX-SQL(SQLベース、CSS環境への布石)
1985年 Codd's 12 Rules
1986年   Sybase Inc設立
1987年 SQL87:SQLのISO/JISの規格化
1988年     RIQS II(日本電気、大型汎用機用RDB)
1988年   MicrosoftとSybase提携
1989年     Microsoft SQL Server
1992年 SQL92(埋め込みSQL、動的SQL)
1993年   MicrosoftとSybase提携解消
1993年     Microsoft SQL Server for Windows
1994年     Infomix 7(InformixのシェアをあげたRDB)
1995年     Symfoware(富士通、オープン系RDB)
1995年     HiRDB(日立、オープン系RDB)
1998年     MySQL(オープンソースのRDB)
2000年     Microsoft SQL Server 2000
2001年   IBM、Infomix買収


1970年代:RDBの始まり

IBMは、コッドの論文やSEQUEL、System Rなどの研究など、RDB研究の先鞭をつけた。それなのに、RDBの製品化は1981年まで行われなかった。社内ではRDBは軽視されていたのである。階層型データベースのIMSが成功していたため、その収益を阻害することを懸念したのが理由だといわれている。
 むしろIBMの研究に刺激されたのは社外である。オープンソフトIngresが普及しRDBの研究が活発になった。OracleやInformixなど、後にデータベースのスターになる企業が誕生した。

1980年代:RDBの普及

一般利用企業でのRDBへの関心

1970年代での日本でのRDBの利用は、先進的大企業か特定業務に限定されており、汎用コンピュータでの集中処理を主としていた一般利用企業でのRDBへの関心は低かった。それがIBMのDB2発表により、RDBを意識するようになった。そして国産コンピュータメーカーがRDBを出すことにより身近なものになった。

この頃になると、NDBで構築した業務システムが、その後の環境変化に伴い、改訂の頻度が多くなってきた。NDBでは属性の追加や変更があるたびにデータベースの再設計が必要になり、改訂作業が面倒だった。改訂に柔軟に対応できるデータベースとしてRDBへの期待が高まった。
 また、DSSの発展として情報検索系システムが普及してきた。基幹業務システムで収集蓄積したデータを整理して公開し、エンドユーザが任意の切り口で検索加工する利用形態である。そのニーズに応えるには、動的結合ができるRDBが適していると期待された。

汎用コンピュータのRDB

1980年代になると、富士通や日立などの国産コンピュータメーカーがIBM対抗者になるまでに成長した。国内では富士通がIBMを抜きトップシェアを獲得した。RDBの分野でも、米国と同等な状況になっていた。当時の日本企業はコンピュータメーカーのソフトウェアを使うのが一般的であり、RDBの国内シェアはコンピュータシェアとほぼ一致していたといえる。

米国とは異なり、日本でのビジネス系の利用は汎用コンピュータ一辺倒だった。期待されたRDBであったが、発表当時の汎用コンピュータは、RDBを円滑に処理するには、あまりにも性能が貧弱だった。発表当時では、処理時間がかかりすぎ、実験段階で放棄したことも多かった。
 その後数年すると、環境が改善されたが「情報検索系ではRDB、基幹業務系ではNDB」といわれた。処理効率を重視する基幹業務系ではRDBは使えない。情報検索系でのアドホックな処理でのRDBは魅力なので使っていこうという状況であった、
 基幹業務系にもRDBが広く使われだしたのは、COBOLにSQL文が記述できる(規格は1992年のSQL92)ようになった1980年代のかなり後の頃である。皮肉なことに、その頃から汎用コンピュータからオープン環境へのダウンサイジングが始まった。

米データベース各社の動向

汎用コンピュータのRDBはDB2が優勢になった。それに対して、データベース専門各社は、UNIXなどを対象とした分野で製品の強化を図る。これが将来のオープン環境での競争優位の布石になる。

1996年にSybaseが参入し急速に成長する。そして、1980年代末頃には、Oracle, Sybase, Infomixの3強時代になる。

1980年代末頃からダウンサイジングが進んだ。その分野では、Microsoftのサーバ製品が注目を浴びるようになる。RDBそのものというより、それを含めたサーバ機能ソフトがMicrosoftの活動領域である。

標準化の動向

RDB製品が続出するのに伴い、RDBの概念やアクセス言語の違いが問題視された。

1990年代以降

利用企業の対応では、新規開発のシステムはほとんどRDBになり、階層型データベースやネットワークデータベースは特定分野でしか使われない状況になった。

1990年代になると、オブジェクト指向データベースや多次元データベースなどが普及してくる。ネイティブなものもあるが、本体はRDBで、インデクスなどの工夫をして、それらを実現しているもののある。またこれまでに掲げたRDB製品の多くが、それらの機能を取り込んでいる。
 そのため、RDBとして記述するのは不適切なので、ここではトピックスを掲げるだけにする。


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