私たちは,コンピュータというとパソコンのことと思いがちですが,企業ではそれまでに汎用コンピュータが主流の時代があったのです。その汎用コンピュータの発展の歴史を理解すること,1980年代からパソコンが普及発展した経緯を理解すること,そして,1980年代末から1990年代にかけて,汎用コンピュータによる集中処理からパソコンによる分散処理に移行した事情を理解します
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これらの歴史的知識は懐古趣味ではありません。このような流れにより,コンピュータ利用が大衆化してきたこと,企業での情報システムの活用が変化してきたことに注目してほしいのです。
汎用コンピュータ(メインフレーム),世代区分,MIPS,価格性能比,バッチ処理,IBM PC,OA(オフィス・オートメーション),ワープロ(ワード・プロセッサ),ムーアの法則,GUI環境,UNIX,オープン化,業界標準(デファクト・スタンダード),マルチベンダ,ダウンサイジング,分散処理,LAN,CSS(クライアント・サーバシステム)
★ 参考動画:メディアリンク「ビジネスパーソンIT道場」
みなさんはコンピュータといえばパソコンのことと思うでしょうが,パソコンが実用的に普及したのは1980年代になってからです。それまでは,コンピュータといえば汎用コンピュータ(メインフレームともいう)のことだったのです。そして企業では,次第に少なくなってきましたが,現在でも汎用コンピュータを用いていることもあります。
汎用コンピュータは,CPUに用いられている記憶素子により世代区分しています。最初に作られたコンピュータは,真空管を用いていましたが,トランジスタが発明され,多くのトランジスタを小さなチップに集積した集積回路(IC)の技術が発展しました。さらにその集積度が高密度になり,LSI,VLSIなどと呼ばれるようになりました。日本の大企業でコンピュータを本格的に導入し始めたのは1960年代ですが,ICを用いた第3世代が始まった頃だといえます。 ☆
その後,コンピュータの性能は急激に向上しました。1秒間に1百万回の命令を処理する速度を1MIPSといいますが,その速度は十数年間の間に百倍にもなりました。また,需要の拡大や技術の進歩により素子の価格は急速に低下しました。その結果,価格性能比は十数年間で1万倍にもなったのです。
現在のコンピュータ(サーバ)はパソコンと接続しており(この状況をオンラインといいます),パソコンから指示(命令やデータ)を与えると即座に結果が表示され,それを見て次の指示をするというように人間とコンピュータが対話方式により処理を進めていますが,その頃は,コンピュータは通信回線で接続していませんでした。そのような状態をオフラインとかスタンドアロンといいます。当時はコンピュータ(電子計算機:電算と略していた)を使用するには,次のような面倒がありました。 ☆
汎用コンピュータは,1980年代までにかけて急速に発展しました。第3世代の例として1974年発表の大型汎用コンピュータ富士通M-190,最近の超高速汎用コンピュータの例として富士通GS21を掲げます。
当時のコンピュータはIBMが世界で独占的なシェアをもっていました。日本では初期の時代に国の保護が強く,富士通,日立,NECなどの国産メーカーのシェアが高かったのですが,それでもIBMがトップの座を占めていました。それが1979年には,Mシリーズの販売が好調な富士通が,ついにIBMを追い抜きました。
国産メーカーがVLSIなどの新技術を積極的に導入したのに対して,逆にIBMは1981年に開発された3081でも一世代古いLSIが使われており,むしろ高速コンピュータの分野では日本が世界のリーダーになってきました。
現在でも,1台のコンピュータで集中処理を行う業務では,汎用コンピュータが用いられています。たとえば富士通は2002年にも大型汎用コンピュータGS21を発表しています。
汎用コンピュータはますます大型化しましたが,一方,特定業務では小型のコンピュータも普及しました。
科学技術分野では,UNIXをOSとし,TSS機能を強化したミニコンが普及しました。また,高解像度のディスプレィを持った高性能なパソコンであるワークステーションも,パソコンが普及する以前に利用されていました。また,この環境でインターネットが静かに発展していました。
ワークステーションという分類はあいまいです。当時では高性能な個人用コンピュータとして明確だったのですが,IBMは自社パソコンのことをワークステーションと名づけて発表しました。一時はUNIX搭載の大型パソコンを指すこともありましたが,現在ではパソコンと同義語のように解釈できます。
大企業の部門用あるいは中小企業用のコンピュータとして,オフコンが普及しました。オフコンとは日本固有の呼称です。英語では,Small Business Computerともいいますが,一般的にはMini Computerといっています。
オフコンの環境では,給与計算や会計計算など出来合いの業務パッケージも提供されていましたが,メーカーや機種に限定されたものでした。それで,オープン化(後述)の進展とともに,オフコンは次第に消えていきます。
汎用コンピュータは高価で大容積なので個人で所有することは困難です。しかし,個人でコンピュータを所有したいというニーズはかなり以前からありました。MITSが1974年に発表したAltair8800のヒットにより「パーソナル・コンピュータ」が用語として認識されるようになりました☆。しかし,当時のパソコンは個人のホビー用が主であり,ビジネスに本格的に用いられるようになったのは1980年代になってからです。
1981年、IBMが「IBM PC」というパソコンを発売しました。ビジネスコンピュータのリーダーであるIBMがパソコンを発売することから,パソコンをビジネスで使う時代が到来しました。このIBM PCは,次の点でその後のパソコンの動向に大きな影響を与えました。
1983年に日本IBMが「マルチステーション5550」を発表しました。日本でもそれまでにNECをはじめ多くのメーカーがパソコンを発表していましたが,やはり個人ホビー用途が中心でした。それが,ビジネス用へと認識されるようになったのです。
1980年代になると,「過去10年間に生産部門では約2倍の生産性向上が達成されたのに,オフィス業務ではわずか4%の向上しか見られない」という調査報告があり,オフィス業務の生産性向上のために情報技術を活用することが重視されるようになりました。それをOA(オフィス・オートメーション)といいます。その主役になったのがパソコンです。これによって,オフィスにパソコンが急速に普及するようになりました。
国産メーカーもこぞってパソコン業界に参入しました。日本では日本語(漢字やひらがな)の取扱いという特殊な問題があり,それが国産パソコンがシェアを確保できた一因であるといえます。日本でのOAでは,日本語文書作成を容易にすることが重視されました。それで,豊富な機能を持ち操作も簡単で価格も比較的安価であるワープロ(ワードプロセッサ)専用機(写真)が広く活用されました。その後ワープロ機は家庭にも広く浸透しましたが,現在ではパソコンに押されて次第に消えてしまいました。
国産パソコンで勝利したのはNECです。価格を比較的安価にしたこと,早期にアプリケーションを豊富に揃えたことなどにより,急速にシェアを伸ばしました。1979年のPC8001,1981年のPC8801,1982年のPC9801は,いずれも大ヒットし,PC9801シリーズは「クンパチ」と略称されるほど国民機としての地位を確保し,最盛期には国内の40%以上を占めるようになりました。なお,当時はOSはほとんど使われず,BASICで作成したアプリケーションを利用するのが主でした。また,PC9801では早期にジャストシステムの日本語ワープロソフト「一太郎」を搭載したのが人気を得た理由の一つです。
なお,当時のDOS環境では,日本語フォントROMにより日本語表示を行っていたのですが,1990年に日本IBMはソフトウエアだけで日本語を表示できるDOS/Vを開発しました。これにより,特定のハードウェアに依存せずに,ディスプレイ・ドライバとフォント・ドライバを交換することで、解像度などの表示能力を向上させることが可能になりました。大勢はこの「DOS/Vパソコン=IBM互換機」になったのですが,NECはそれへの移行が遅れたために,シェアを低下させることになりました。
パソコンの性能向上,使いやすさ,価格低下は急激に進んできました。それにより,パソコンの利用度も急速に増加してきました。
従来の汎用コンピュータは,IBMが巨大なシェアを持っていたので,他のメーカーもIBM機との互換性を持つものも多かったのですが,基本的にはメーカーごとに個別のアーキテクチャで設計していました。
そのために,メーカーAのハードウェアではメーカーBのソフトウェアは動かないし,メーカーAの汎用コンピュータにメーカーCの端末を接続するのが困難なこともありました。それで,メーカーAの汎用コンピュータを採用すると,情報システムの全体をメーカーAが提供する製品を使うことになるし,コンピュータを更新するにもA以外のメーカーに乗り換えるには,かなりの困難を伴ったのです。
それに対してパソコンの分野では,当初は多様なアーキテクチャが存在しましたが,かなり早期にインテルのCPUにWindowsのOSを搭載するパソコンが大勢を占めるようになりました。また,インテルはパソコンそのものの開発には進出しませんでしたし,マイクロソフトは応用ソフトの開発はソフトウェアベンダに任せました。それで,多くの企業がこの環境をベースにしてハードウェアやソフトウェアを開発するようになったのです。
大学や研究所での科学技術計算用にはミニコンピュータと呼ばれるコンピュータが広く用いられていました。そのOSにはUNIXが流布していました。UNIXは大学で開発されソースプログラムも含めて配布された時代もあり,既に内部仕様も広く知られるものになっていました。大学や研究所ではTSSやインターネットが早期から利用されていましたので,それらの技術はUNIXの下で開発されることが多く,それも多くの研究者によって改良されてきました。
ミニコンピュータも次第にビジネスに用いられるようになり,ワークステーションと呼ばれるようになりました。特にLANが普及してくると,そのサーバとしてUNIXワークステーションが広く用いられるようになりました。
OSでのWindowsやUNIX,インターネットの通信プロトコルであるTCP/IPなどは,ISOやJISなどの標準化機構が定めたものではなく,業界内で広く用いられるようになったために,多くの製品や技術がそれを基準としているのです。このような標準を業界標準とかデファクト・スタンダードといいます。
メーカーにとって,自社の標準がデファクト・スタンダードになれば非常に有利です。そうするには,自社技術を積極的に公開して他のメーカーに利用してもらうことが適切な戦略になります。このような戦略をオープン化といいます。
利用企業側にとってオープン化は,利用できる製品が多くなり選択の幅が広がるので好都合です。ところが,メーカーにとっては,すべてのハードウェアやソフトウェアで利用者を満足させることができませんので,パソコンはA,サーバはB,通信機器はC,ソフトウェアはDのものを利用するということも起こります。このように,複数のメーカーの製品を使うことをマルチベンダといいます。
メーカー側にしても,自社製品だけに固執していたのでは受注競争に負けてしまいます。他社に優れた製品があれば,それを自社製品に組み合わせて提案することや,自社の製品が標準に合致していることを強調する必要があります。このような動きのことをオープン化ということもあります。
オープン化が進むと,パソコンの機能や性能はどのメーカーでも似たようなものになりますので,他社との差別化のために価格競争が激化します。その結果,パソコンやワークステーションの価格は急激に低下しました。1980年代末には,その価格性能比が汎用コンピュータのそれとは比較にならないまでになりました。
そうなると大型の汎用コンピュータを用いるよりも,多数のワークステーションやパソコンを用いるほうがコストダウンになります。そのような動きをダウンサイジングといいます。
ダウンサイジングをしても,個々のパソコンをスタンドアロンで利用したのでは,データの受け渡しが頻繁に起こり効率的な利用はできません。多数のパソコンを通信回線で接続する必要があります。同一建物・同一敷地内でのネットワークのことをLAN(ローカルエリア・ネットワーク)といいます。LANは私有地の内部ですから他人に迷惑をかけることがないので,自由に配線したり自由な技術を用いることができます。なお,LANに対して事業所間などの通信回線のことをWAN(ワイドエリア・ネットワーク)といいます。
LANの接続形態で最もポピュラなのがCSS(クライアント・サーバシステム)です。利用者側のパソコンをクライアントといい,クライアントからの要求に応じて処理をするパソコン(あるいはワークステーション)をサーバといいます。
一般的には,クライアントから入力したデータはLANを通してサーバに蓄積され処理されます。さらに全社的に統合する必要のあるデータは,サーバからWANを通して汎用コンピュータ(最近はこれも大型のサーバになりつつあります)などに送られます。逆に,サーバにあるデータは,クライアントからの命令により必要なデータを選択してクライアントに取り出し,パソコンのソフトにより編集加工することが行われます。
当時は現在とくらべて通信回線の速度が遅く費用も非常に高かったので,部門内の業務はサーバを中心に行い,その結果を汎用コンピュータに送るような形態が多くなりました。このように,利用部門に設置されたCSSで主な処理が行われる形態を分散処理といいます。
そうなると,遠隔地のLANやサーバの管理を情報システム部門で行うことができなくなり,利用部門での自主管理が必要になってきます。すると今度はその管理費用がかなり大きくなることが問題になります。管理をアウトソーシングすることも多くなりましたし,その後通信回線の費用も低下してきましたので,サーバを集中させるような動きも出てきました。
(オープン化など多様な観点)