スタートページ主張・講演 マーフィーの法則(vol.2)はじめに・目次

Murphyology on Information Technology (vol.2) 2000s

04 IT部門とCIO

「汝自身を知れ」は哲学の主目的だし、経営戦略手法でもSWOT分析やポジショニング分析での基本である。


IT部門の社内的地位(2010/02/02)

健全なIT化を進めるには、IT部門のリーダーシップが必要である。せめて利用部門と対等な立場であるべきなのだが・・・。

IT部門はシビリアンコントロールが採用される唯一の部門である
 営業部門担当役員になるためには、営業部員として成功した経験が条件になる。生産部門担当役員はエンジニアなのが通常だ。ところがCIOの多くはIT部門以外の出身者である。
 ITは競争優位を確立する「武器」であり、IT部門は「戦略」部門なので、軍部の独走を防ぐためにシビリアンコントロールが重視されているらしい。
人事部が人材を寄こさなくても非難しない。経理部門が予算を認めなくても非難しない。IT部門が作ったシステムに満足しないと非難する
 IT部門と同じ立場の「他部門活動の支援部門」には、人事部や経理部があるが、他部門との関係はかなり異なる。
 IT部門はIT全般の統括部門であるはずだが、他部門の部課長をメンバーとする「経営情報委員会」により、IT化の方針や予算決定が行われ、IT部門は事務局として参加するだけで、決定権を与えられていない。それに対して、各部門代表による「経営人事委員会」で人事異動を決める体制はポピュラーではない。せいぜい、馬耳東風なヒアリングをする程度であるし、その決定プロセスの透明性もない。
 情報システム構築は「ユーザ主導」で行うべきだとされ、ユーザニーズの実現が最優先される。それに対して、各部門の予算要求を全面的に満足させるのが経理部の責任だという主張は聞かない。予算申請ではあの手この手を尽くして経理部を説得するのに、「事業仕分け」が密室で行われ、結果が一方的に通達される。「一律10%カット」などすらある。ところが、システム化でユーザ部門の要望をカットするには、IT部門はかなりの説明責任を迫られる。
 自己申告や身上変更などの手続きでの手続きや用紙形式は、人事部が一方的に決めている。自分の名前を何度も記入させられるが、全員がそれに従っている。ところがコンピュータへのデータ入力になると、ちょっとした重複入力も拒否される。
 最大の相違は、製造物責任である。人事部や経理部は、不適切な人事異動や予算配分による他部門の結果に対して責任を問われない。情報システムがユーザの誤操作によりトラブルを生じると、IT部門の責任だとされる。
IT部門は、自部門の権限を低下させることに努力する
 しかも、この不平等地位協定はIT部門自身が推進してきたのだ。「他部門出身CIO」「ユーザ主導」「経営情報委員会」などは、他部門からの圧力に屈して出現したのではない。IT部門がいい出したのである。このような言動は、各部門が自部門権益を主張して全体最適化を阻害しているなかで、称賛すべき態度である。
 しかし、これは自部門の責任回避ではないか?
 IT部門がこのような態度になったのは、IT部門が自信を喪失したからである。給与計算や会計処理がシステム化の対象だった時代では、その実現手段も効果も明白であった。ところが、1980年代になるとSIS(Strategic Information System)がいわれ、経営戦略との結び付きが重視されるようになった。そのような対象では、アプローチする方法も成果実現も不明確である。そのリスク転嫁を図ったのである。
 もっとも、自信がないのはIT部門だけでなく、対象業務担当部門も経営者も同様なのである。それなのに、IT部門が無能扱いされるのは、IT部門だけが問題の重要性を認識しており、自己革新が足りないことを自覚しているからである。本人が反省し卑下しているのだから、周囲がそう思うのは当然だろう。
社内評価が高いのは、「提案型SE」ではなく「御用聞きSE」である
 IT部門が提案をしないと非難され、IT部門自身も「提案のできる部門になりたい」といっている。「御用聞きSEから提案型SEへ」というキャッチフレーズが流行したこともある。
 自信を失ったSEが提案できないのは当然であるが、それ以前に、利用部門が提案を歓迎していないのだ。
 実際、提案型SEは人気がない。例えば、販売部門からの要求に、「それでは部分最適化になってしまう。生産部門や流通部門も参加させよう」というと煙たがられる。「そんな低利益商品はやめてしまえ」などは到底提案できない。
 うるさいことはいわずに「すぐやるSE」の方が好まれるのだ。さらには、販売部門に日参して「その後、改善すべきことはありませんか」などと御用聞きをするSEの方が、「仕事に熱心だ」「ユーザの状況を理解している」として高い評価を受ける。
 IT投資への評価が重視されているが、最も広く行われている評価方法は「ユーザ満足度」である。御用聞きSEはユーザ満足度を向上するのに効果的である。その結果が、整合性のない縦割りシステム、費用対効果を無視した過剰仕様のシステムになることは致し方ない。
IT部門には他部門の業務を理解すべきだというが、利用部門にはIT部門の業務を理解せよとはいわない。IT部門にはIT用語を使うなというが、利用部門には業務用語を使うなとはいわない
 実際には、販売部門が生産部門の業務を知らないように、利用部門も他部門業務を知らないのである。むしろ、IT部門は他部門業務を理解している典型的な部門である。それなのに、これらが昔からいわれてきたのは、IT部門の社内地位が低いことの表れである。
 その理由を検討する。仮説1~4が偽であることは証明できる。仮説5が真でないとよいのだが。

IT部門のアウトソーシング・分社化(2010/03/23)

この数十年、IT部門のアウトソーシングや分社化が積極的に行われてきた。その半面、それらを解消して本体に吸収する動きもある。期待した効果が得られなかった原因を考察する。

●アウトソーシング

外注というな。アウトソーシングといえ
 アウトソーシングが喧伝されたころには、「アウトソーシングとは、単なる外注ではない。自社のコアコンピタンス分野に経営資源を集中させるために、IT業務などは、自社に勝るコアコンピタンスを持つ他社に全面委託して、長期的なビジネスパートナーの関係を構築すべきである」といわれた。
 多くのアンケート調査によると、アウトソーシングをしている比率は非常に高い。ところが、プログラム開発やコンピュータのオペレーションなどを外部委託していることまで、アウトソーシングといっているのだ。これらの業務は、コンピュータの普及当初から外注していたし、特定の外注先とのなれ合いで無期限な関係にあったのである。すなわち、アウトソーシングとは外注の同義語である。
 最近のアンケート結果では、SaaSやクラウドコンピューティングの実施比率が急速に増加している。その内容は、電子メールにGmailを使っているだけなのだが。
期待してなかったことを期待しても、実現は期待できない
 近ごろはアウトソーシングを解消する傾向もある。その理由として「思ったほどコストダウンにならない」と、「適切な提案が得られない」ことが多く指摘されている。
 ビジネスパートナーの選定に当たり、「コストダウン」を重視するのではスケールが小さい。きれいごとをいったものの、やはりアウトソーシングの主目的はコストダウンだったのだろうか。それとも、集中した分野へのコアコンピタンス化に失敗したので、副次的目的に問題をすり替えたのであろうか。
 「適切な提案が得られない」での「提案」とは、コストダウンの提案ではなく、自社業務にITをいかに適用させるかの提案であろう。その業務とは自社のコアコンピタンスのはずであるが、ITベンダにそれを期待したのであれば、不適切なビジネスパートナーを探したことになる。しかも、それに適したIT部門をアウトソーシングにより廃止・弱体化したのだから論理が通らない。
 すなわち、ビジネスパートナーを得ようとするタテマエ論であれば、副次的な事項が実現されないことを重視したことになるし、コストダウンが主目的だったのであれば、アウトソーシングに際してユーザ要求を明確にしなかったことが原因だといえる。

●分社化

分社化の理由には、タテマエとホンネの相違がある
 IT部門の分社化も大規模に行われた。IT子会社ならば、赤の他人へのアウトソーシングよりもマシだと思われるのだが、それも期待していないことを期待すると裏切られることになる。
 公式の分社理由書には、IT業界への進出やIT技術者の確保・育成などが書かれている。ところが、親会社のポスト不足解消や余剰人員の受皿として分社したケースが多い。それを誤解した子会社は、外部進出のための投資や若手IT技術者の採用などを行おうとして、親会社の拒絶に合い戸惑う。さらに、親会社から役立たずの役員や中高年のIT素人を大量に押し付けられて、呆然とする。
 親会社は勝手である。突然タテマエ論を振りかざして、独立採算・自主経営を要求する。余剰人員の受皿の戦力で、IT業界で生き延びられるはずはない。その成績不振を理由に、身売りさせられることにもなる。
ビジネスモデルがない起業は失敗する
 分社化しても、なかなか親離れ・子離れできないケースが多い。タテマエとホンネのダブルスタンダードが原因である。
 そもそも、分社化するには、ビジネスの基盤となる商品・サービスがあり、市場が存在することが前提になっている。ところがIT部門を分社するときに、そのようなビジネスモデルの検討がなされることはまれである。「IT屋がいるのだから、適当に稼いでいけるだろう」程度の発想である。
 そんな安易な起業でやっていけるほど、この業界は甘くない。製造業でのIT分社化が活発であった1980年代では、製造業の伸びは数%であったのに対してIT産業は2桁成長を示していた。それがIT分野進出の理由でもあった。ところが、その成長は製造業内部にあったIT部門が分社化したため、IT産業として統計に算入された数字のマジックであり、実需要での成長は低かったのだ。
IT子会社へのアウトソーシングはインソーシングである
 それで、分社化したIT子会社にできることは、親会社や関連会社を顧客にすること程度である。それらが、これまで第三者へ外注していたIT業務を受注するのだから、グループ全体で見れば、アウトソーシングしたのではなくインソーシングしたことになる。
分社後の文化は分社前の文化を増幅する
 分離前のIT部門であったときから積極的な組織は、分社すると外部進出に手を広げ過ぎて、本体のいうことを聞かなくなる。ユーザ部門のいいなりだった組織は、分社すると本体の下請になる。
 分社に当たり、従来のIT部門に欠けていた総務・人事・経理などの担当者が送り込まれる。彼らは、子会社よりも親会社に忠誠を持っているので、親会社のしきたりを持ち込む。親会社はスリム化できたことを機会に企業文化の一新を図るのだが、彼らはそれに気付かずに、旧来のしきたりを持ち込むのである。
 IT技術者育成のために、資格取得者やスキル取得者に手当を与えようとしても、親会社にはその制度がないとして取り合わない。なかには、パソコン台数やLANの設備まで、親会社と同じレベルに抑えたいという。
勘当した子に頼るのはみっともない
 子会社に親会社への提案をしない、親会社の経営や業務に知識がないと非難する。
 IT部門として同じ会社にいたときすらそうだっただから、分社化して別オフィスに移転したら、ますます知識を得る機会を失う。そもそも、経営や業務などコアコンピタンス分野には不要の連中だから子会社にしたのだとすれば、そこに文句をいうのは筋違いだ。
 それらの知識を持たなければならないのは、親会社に残った「IT企画部」である。ところが、彼らはITを知らない。知っていても、実動部隊がないので適切な対応ができない。実動部隊のいる子会社とはコミュニケーションが不十分である。IT企画部と子会社が反目していることすらある。
 子会社を本体復帰させる風潮もある。ところが、能力のある子会社はすでに親離れをしている。独自のコアコンピタンスを確立しているが、それはIT部門時代の閉鎖的なものではない。元のIT部門にすぐに順応する子会社は能力に欠けている。
 受皿的な子会社を本体復帰させると、押し付けた連中も戻ってくる。あるいは、これらの連中を子会社に預けておき、定年退職になったので、子会社にしておく理由がなくなったのかもしれない。これこそ戦略が成功した事例だといえる。

このように、「いっていること」と「やっていること」の間には大きな矛盾がある。これは喜劇だろうか、悲劇であろうか?

IT部門の戦略部門化(2010/04/09)

アウトソーシングと表裏一体の関係にあるのがIT部門の戦略部門化である。経営戦略とIT戦略の統合のためにIT部門を戦略部門化すべきだということは、1980年代のSIS(Strategic information system)ブームの時からいわれてきた。ところが、20年以上経ったいまでもマトモな戦略部門になっていない。その理由は何か。

「愛している」といっても本当に愛しているかは分からない
 ほとんどの経営者は、「経営にとってITは不可欠だ」といい、「IT部門は戦略部門になるべきだ」という。少なくともアンケート結果などではそのように答えている。それは、経営とITの連携にはIT部門での知識経験が他部門の知識経験よりも役立つと考えるからだろう。
 それならば、戦略部門にするかどうか以前に、経営者はIT部門と密接な関係を持つべきである。ところが、経営者が営業部門や経理部門に顔を出さない日はないのに、IT部門に足しげく通う経営者がどれだけいるのか。ホンネではITを重視していないし、IT部門に経営状況を知らせたりする必要性を感じていないからだ。
経営者の要求は決まって抽象的。具体的なときは実情を無視
 経営者は、IT部門が事業部に対して提案しないことに不満を持つ。ところが、上述のような環境では、「社長はどのようなニーズをお持ちですか」と恐る恐る聞くことになる。それに対して「もっと収益に直結するシステムを作れ」など、禅問答のような答えが返ってくる。これでは、適切な提案ができるわけもない。
 「具体的には、どのようなことでしょうか」と尋ねると、「在庫をもっと減らせ」とか「Web販売をせよ」という。ところが、同じような指示を流通部門や営業部門に対しては強くいわない。IT部門がそれらの部門に伝えても「そんなことまで手が回らない」といわれる始末。それでは対処できないので放置していると、「IT部門は指示しても動かない」と叱責される。
 ときには、雑誌やゴルフ場で見聞きした他社の事例を思い出して、「データウェアハウスを活用して顧客データベースを分析し、新商品開発の資料を作るようにしたい。また、利用者が操作しやすいようにAjaxを活用し、セキュリティ対策のためにシンクライアントを導入せよ」と、IT指向の具体的な(矛盾だらけの)要求を費用や現場の能力も考えずにいう。「それはどうも……」などというと、「IT部門はチャレンジ精神がない」とレッテルを貼る。
リスク回避論者にギャンブルさせるのは不適切だ
 IT部門は、プログラムやオペレーションのミス、ネットワークのダウンなど日常業務に支障をきたすと叱られるため、トラブル回避に多大な神経を遣ってきた。「IT部門は消極的だ」といわれるが、新しいアプローチは新しいトラブルを生むので、リスクが発生しそうな事柄を本能的に避けるようになり、それが組織の行動規範や文化になってしまったのである。
 経営戦略は本質的にハイリスク・ハイリターンであり、IT部門にそれを求めるのはミスマッチである。たとえIT部門が戦略部門になったとしても、新戦略策定よりもIT予算の分配やアウトソーシング先との価格交渉など矮小化した任務を探す。CIOも経営については素人なのでカネのことしか分からない。
IT部門を戦略部門にするとIT機能を果たさなくなるし、戦略部門でもなくなる
 IT技術は秒進分歩であり、戦略部門として専心させるために日常業務をアウトソーシングするべきだといわれる。
 ところが、ハードウェアやソフトウェアを失ったIT部門は、すぐにITの潮流から取り残される。システム開発などの実務に取り組んでいたときは、IT関連雑誌やベンダからの情報を自分なりに評価できたが、その能力は急速に失ってしまう。その結果、ベンダなどの情報をうのみにして、「理想的な」状況を実現するのだなどと主張する。そのような言動が、経営者やユーザ部門に受け入れられるはずがない。いつのまにか戦略部門として見られなくなる。
 そのような部門に優秀な人材が集まるはずがない。結果として、以前のプログラマ集団的のようなIT部門よりも、ますますうらぶれた部門になる。
 このような状況にならないためには、戦略部門などという以前に、IT部門を意識改革する必要があるが、その原動力をIT部門に求めるのは矛盾する。経営者の日常的なIT部門への指導が重要なのであり、実は経営者の意識改革が必要なのである。
 なお、IT部員を総入れ替えしてIT部門を戦略部門にしたという話がある。これならば意識改革は不要だろう。しかし、IT素人の集合組織を「IT部門」というのは用語的に誤りであり、ITの知識経験は不要だという論理的矛盾があるので、ここでは対象にしない。

素人・兼任CIO(2010/05/25)

IT部門を戦略部門として活躍させるためには、CIO(最高情報責任者)が経営とITの橋渡しをする最高責任者としてIT部門を適切に指導する必要がある。ところが日本の場合、大半のCIOは「I」の素人で、しかも兼任である。これでは対岸(IT)が見えないのだから、満足な橋を架けられるはずがない。どうしてITに疎い素人CIOや兼任CIOが存在するのだろうか。

財務諸表を知らないとCFOになれない、OSを知っているとCIOになれない
 財務部門出身者が存在しない役員会など想像できるだろうか。CFO(最高財務責任者)の会合で「貸方や借方の区別ができません。IFRSなど聞いたこともありません」といったら、他の参加者はどんな反応をするだろうか。
 IT部門は財務部門に似た性格を持つが、はるかに素人に寛容である。1980年代半ばにSISが喧伝された。ITは企業戦略の武器だから、経営者が直接指揮をとるべきであり、経営とITの双方に高い見識を持つCIOが必要だといわれた。それが「SEあがりをIT部長にするな。IT部長をCIOにするな」という風潮になり、IT技術者の軽視につながった。当時でも現在でもCIO仲間の会合で、「いやぁ、わたしはコンピュータに関しては素人でして……」と挨拶すれば尊敬されるが、「わたしはIT一筋30年になります」などといえば軽蔑される。
 このように、IT部門は反登竜門になり、野心ある社員はIT部門に配属されないように、IT部員はIT部門から逃げ出す努力をした。「IT一筋30年」とは落伍者のレッテルである。
 これが四半世紀続いてきたのである。役員の中にIT部門出身者が一人もいない企業が多いのは当然である。役員全体にIT部門出身者が少ないのだから、CIOがIT素人なのは仕方がない。
CIOの人選は、業務能力ではなく部下の数で決まる
 CIOの職制を導入している企業は多い。しかし、大部分はほかの役職との兼任であり、CIO業務に当てている時間は1割以下という場合も多い。CIOは「そのほかの任務」なのである。
 役員の職務を決めるプロセスは、マーケティング担当、財務担当など重要(と経営者が思っている)な職務から順に行われる。優先順位が低いIT担当は、ほかの担当を割り当てた後に生じるパワーバランス(具体的には部下の人数)を調整するプロセスで決定する。そのため、必然的に兼任CIOが生まれるのだ。
IT部門の会議ではIT用語が禁止、IT部門以外の会議ではIT用語が氾濫
IT部門の会議では、門外漢の意見が最重要視される
 ITはほとんどの業務に密接しており、各部門の担当者クラスではITが必須知識になっている。それを知らない上位者は話題に入れてもらえない。CIOになった人も同様だ。CIOもIT部門の一員だし、「郷に入っては郷に従え」だから、IT部門の会合では、IT部員と同じ言語を使うのが適切であろう。ところが、それと逆な言動をすることが大切なのだ。
 IT部門の会合で、素人CIOが、「キミたちの意見はIT部門の発想だが、ユーザ部門は……」といえば、それまでの議論はすべて無価値になる。本当にユーザ部門の意見かどうかや議題が何であるかは関係ないのだ。ユーザを経営に置き換えてもいい。
 あるいは、部下の発言に反論するには、内容に関係なく「そんなわけの分からない英略語を使うから、経営者やユーザ部門に受け入れられないのだ」と一喝すればよい。素人CIOはこのタイミングさえ習得しておけば、IT部門に対してガバナンスを確立できる。
 経営者からITの成果が得られていないことを追及されたときも、「IT部門の連中は専門バカで……」といえばよい。経営者もCIOと同様にITオンチなので、それ以上の追及から免れる。すなわち、CIOは素人でも務まる典型的な職務なのだ。
CIOは「ピーターの法則」の終着段階到達者に適切な職位である
 「ピーターの法則」とは、階層社会においてその構成員は最終的に能力を超えた階層にまで上り詰める結果、すべての職務が無能者により担当されるというものだ。CIOは公式には花形職種であるが、実際にはITの素人でも務まるし、周囲も活躍を期待していないので、終着段階に到達したと自覚していない者に安心して従事させられる格好な職務だといえる。
 経営陣の中には「経営もITも分かっていないが、過去の業績あるいは人脈を考慮すると、経営から排除するのは忍びない」という役員がいる。このような場合には、専任のCIOに祭り上げるのが適切である。

(参考)CIO人物像の弁証法的変化

 米国礼賛はIT評論家のマナーなので、米国CIOを礼賛しよう。米国では経営とITの両方に専門知識を持つプロフェッショナルなCIOが多い。その背景には次の経緯があった。

これに対して日本では、SISには反応したものの、ITを重要とする認識は低く、ダウンサイジングに対する問題意識がなかった。インターネット時代に入り、CIOの必要性が再度喧伝されるようになったが、プロのCIOは育成されていない。似非CIOにとどまっているのは仕方がない。


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