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OR(オペレーションズリサーチ)の歴史


参考文献

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ORの年表


第二次世界大戦中 ORの萌芽(~1949年代前半)

ORは、第二次世界大戦中に英軍、続いて米軍により「作戦研究」として誕生した。そのため、初期のOR適用例では軍事目的のものがほとんどである。
 当然、軍事機密であったが、終戦後出版されたモース キンボール著『オペレーション・リサーチの方法』(P.M.Morse, G.E.Kimball,"Methods of Operation Research",1950.)では、多様な適用例が紹介されていた。以下は私の記憶だが、おそらく同書にあったのではないかと思う。
 当時は、課題それぞれに個別なアプローチをしたのであり、ほとんどの場合、観察により集めたデータを統計的に分析しただけである。線形計画法などの特別な技法を用いたのではないし、体系的な研究をしたのでもない。

戦後もORは軍事目的に利用されている。線形計画法やPERTなどは米軍内で開発されたものである。


代表的OR技法の出現と普及(1940年代後半~1950年代前半)

線形計画法(Linear Programming:LP)

ダンチッヒ(George B. Dantzig)は、1947年に線形計画法の解法であるシンプレックス法(Simplex Method:単体法)を発表した。そしてダンチッヒが線形計画法の開発者だとされている。
 線形計画法に類似した手法の研究は古く、19世紀にフーリエが論文をだしたが、実際には利用されず発展もしなかったという。シンプレックス法は第二次世界大戦中に開発したのであるが、軍事機密にされ、戦後になってから公開されたのだという。
 このシンプレックス法により、線形計画法の実務への適用が注目された。初期のコンピュータでもこの解法を搭載していた。当然ながら、実際に解くには長時間かかり、1950年末頃では、100個程度の制約式からなる問題をコンピュータで解いたことが論文になったほどである。
 その後、線形計画法の解法は急速に発展した。
  1947年 G.B.Danzig、シンプレックス法
  1979年 L.Khachiyan、楕円体法
  1984年 N.Karmarkar、内点法(カーマーカー法)
  2006年 D.A.Spielman, S.H.Teng、乱択化単体法
 このうち有名なのはカーマーカー法である。一般に数学の解法などは特許法の対象にならないのであるが、カーマーカー法は各国で特許を申請し受理されたのである。これは大きな論争を引き起こした。

PERT(Program Evaluation and Review Technique:日程計画)

PERTは、建設工事などのプロジェクトを管理するのに、最もポピュラーなOR技法である。
 PERTは、米海軍のポラリスミサイル計画のなかで開発された。当時、米国はソ連とのミサイルギャップを解消する手段として、原子力潜水艦からのミサイル発射システムを重視した。その短期実現が求められたのであるが、非常に多くの要員が関係し、技術的に不確定要素が多い複雑なプロジェクトを管理する方法が必要になったのである。
  1958年 Booz Allen Hamilton社 PERT開発 ポラリスミサイル計画
  1959年 Kelley, Walker,Sayer, CPMの完成
  1962年 米国で PERT/CPM に関する論文・書籍数が最大に

待ち行列

統計的手法

回帰分析、主成分分析、クラスタリングなどの統計的手法は、OR以前から発展していた手法であり、厳密にはOR手法とはいえない。企業でコンピュータにより統計的手法を実務に適用するのは、ORと同じグループが担当することが多く、特に区分することはなかった。

ゲームの理論

ゲームの理論とは、自分と相手に複数の戦略があり、その戦略の結果としての利失があるとき、どのような意思決定をするのが最適かを分析する理論。経済学の主要な理論となっている。
 1944年 von NeumannとMorgenstern『ゲームの理論と経済行動』出版
  これにより、研究者の間で「ゲーム理論」への関心が高まる。
 1950年 Tucker 囚人のジレンマ
 1951年 Nash 協力ゲームと非協力ゲームの区別、パレート最適、ナッシュ均衡

ゲームの理論の応用分野は広く、企業での新事業戦略や成長競争戦略、国家間での外交・防衛戦略などから、個人の意思決定までに活用されている。
 しかし、一般企業においては、線形計画法やPERTのような大規模モデルを構築することはほとんどない。むしろ、「ものの考え方」の技法として普及しており、計画立案での問題点の整理やプレゼンテーション資料作成などに応用されることが多い。


日本での初期ORの適用例(1950年代中頃~1960年代)

日科技連の活動

QRやIEなど生産性向上、品質向上などとともに、日本のOR誕生は日科技連(注)の活動が重要である。学界や産業界のOR研究者の交流の場となり、講習会や図書出版などを通して、ORの普及、ORワーカーの養成を行ってきた。

国鉄・電電公社のOR

初期のOR活用で有名なのは国鉄(現JR)と電電公社(現NTT)である。双方とも研究所に優れた多数の研究者をもち、国の機関として大学との交流も密接であった。また、民間企業では具体的なOR適用や成果は企業秘密になるため発表されることが少ないので、これらの発表は貴重なものであった。
 私はこれらの組織とは無関係であり、OR学会の発表や機関誌・図書で知るだけであったが、例えば次のような適用例があったのを記憶している(単なる記憶なので誤りがあるかもしれない)。

石油業界での線形計画法の利用

線形計画法の典型的な適用分野は、石油産業での製油所モデルであった。原油の性状、装置の能力、製品の品質などを制約条件とし、製品売上高-原油費用ー装置運転費を最大にするモデルである。数百から千個程度の制約式になる。
 外資系石油会社は、すでに1950年代に米国での親企業が原油の選択や生産計画に線形計画法を広く活用していたことから、早期にその導入をしていた。国内系石油会社のしれに刺激され、1960年代中頃には業界全体に普及した。
 しかし、当時の国内石油会社はそれを解く能力のあるコンピュータを持てなかった。それで、IBMの計算センターには、石油産業に適したBonner & Moore社が開発したMPSという線形計画法のパッケージを搭載したIBM7090(のちに360)が設置されており、それを使うのが一般的だった。

線形計画法は石油製品の原価の考え方に大きな影響を与えた。石油製品は連産品である。高利益製品のガソリンを増産しようとすれば、原油より安価な重油ができてしまうし、装置に余裕がない場合は灯油の増産はナフサや軽油を減らすことになる。
 線形計画法による製品の評価額は、半製品原価の積み重ねによる会計計算での原価とは一致しない。法的な会計処理はともかく、損得損得の評価としての管理原価をどうするかが論争の種になった。

(蛇足)個人的追憶

当時の石油会社では電算室(システム部門)があったが、線形計画法などOR活用が重視されるようになると、それを主業務とするグループが出現した。なかには、数理計画部(室)を設置した会社もあった。
 その連中は、計算センターに半常駐するような状況だった。計算センターには待機室があるが、そこで他の石油会社の同業者と顔見知りになる。待ち時間の手持無沙汰でブリッジで遊ぶことが多かった(石油会社には海軍出身者が多かったためであろう)。それを通して親しくなり、ORモデル化のノウハウや計算費用削減の工夫なども交換していたのである(業務違反かもしれないが時効であろう。当時のOR屋は連帯感が強かったのだ)。
 線形計画法は、当時としては大型処理で、ミスがあれば多大な計算代金がフイになる。「gabbage in, gabbage out(屑を入れれば屑が出る)」とが「解はしゃぶりつくせ」が金言だった。それで社内コンピュータを使って、モデルのエラーチェックや可能解存在のチェック、得られた解の分析などを行うプログラムを開発するなど、多様な苦労をしたものである。

建設業界でのPERTの利用

日本でも、1960年代後半には、土木建設業界やプラントメーカー業界で実務的に活用されていた。メーカーと発注者からなる進捗会議では、PERT図を囲んで議論するようになってきた。
 PERTの採用は、指揮命令に多大な変化を与えた。それまでは「工期短縮のために、全員一丸となって奮励努力せよ」的なハッパをかけていたのだが、クリティカルパス以外の作業が努力しても効果がない。クリティカルパスを正しく認識し、その工期短縮手段を指示することが管理者の任務になったのである。

PERT解法のロジックは単純であり、整数演算が主だったので、当時のコンピュータ性能でもかなりの規模のPERTモデルが取り扱えた。プロジェクトは常に環境が変化するので、それに即応して再計算する必要がある。
 ところが、建設現場にはコンピュータがない。壁に張り巡らされたPERT図に手作業で修正状況を記入するのだが、到底計算はできない。面倒なので、そのうちに修正事項も記録しなくなる。本社に電話を入れて再計算を依頼するのだが、変更情報がいい加減なので、送付されていた再計算後のPERT図は、現状と離れたものになってしまう。
 本社では経営者やスタッフが美しいPERT図を眺めている間に、現場ではそれとは無関係なプロジェクトが進んでいるという状態も多くあった。

設備計画とシミュレーション

往年の石油大型油槽所でのローリーにガソリンや灯油を積載する設備を例にする。すべての積載口にすべての油種のホースを設置するのは不経済なので、油種により積載口(複数)は固定される。ローリーは、1日に何往復もする。油槽所での待ち時間が長いと配送回数が少なくなる。どのような設備にするのかをシミュレーションで検討する。
 シミュレーションモデルはおよそ次にようになる。
  1 ローリー到着。重量計測台が空くまで待つ。
  2 重量計測。受付窓口が空くまで待つ。
  3 受付が済んだら、該当する積載口が空くまで待つ。
  4 積載口で、アースなどの準備をして、積載する。
  5 積載後、アース外し、重量計測、受付窓口の処理をする。それぞれに待ち時間が生じる。
  6 油槽所を出発、配送後、1へ戻る。
ローリーの到着間隔、各設備の処理時間、配送時間などを過去の観測から確率分布を求めておき、シミュレーションでは乱数発生で再現する。これを多様なケースでの結果を比較検討して設備計画の資料とする。

このような利用は、銀行や病院など、客が来て条件によりいくつかのサービスを受ける形態でも有効なものであった。

統計的手法の適用拡大

製品の品質管理、設備や機械の運転条件の設定など、生産・製造分野での利用は通常のものになった。従来のQCサークルなどの活動が統計的手法により強化され、コンピュータによる統合管理システムへと発展した。

いわゆる事務屋の分野での統計的手法の適用が広がった。本格的な利用は1980年代になってからであるが、この時代に小規模な適用例が多く出現した。

OR紹介期での戒め

戦後、軍のOR研究が民間に公開されるようになると、ビジネスの広い分野に適用されるようになった。当時、先達や書籍からOR運営での心構えが説かれた(私見も加えて冗長な記述になっているが、後述の「OR利用のの矮小化」での布石となる重要な事項である)。


OR利用の日常化と質の変化(1970年代~1990年代)

1960年後半以降、コンピュータの能力は飛躍的に向上した。一般企業では無理であっても。IBMなどの外資系などが大型コンピュータを備えた計算センターを設置、大規模計算を従量制料金で使えるようになった。
 OR関連のソフトウエアも搭載しており、この分野での利用も多くなった。そこれにより、ORは数学モデルではなく、実務に適用するツールになったのである。

専門家から実務家へ。OR理念の埋没

1980年代の大企業はOR計算が可能な自社機を持つまでになった。そうなると、多様なORモデルを作成し、いろいろなケースで計算できる。さらには、OR計算は特殊なものではなく、日常的なルーチンになってきた。
 また、コンピュータの利用形態が大きく変化していた。それまでのコンピュータ室での集中処理から、ユーザ部門に設置された端末から大型コンピュータを時分割で利用するTSSが構築され、さらに、簡単な処理ならユーザが自ら行うEUC(エンドユーザコンピューティング)が普及してきた。

 このような環境により、ORの利用は特別な専門家もいないアプリケーションの一つになっていった。従来はシステム部門とユーザ部門のORに関心を持つメンバでプロジェクトチームを編成しており、役割分担もあいまいであった。それがユーザはパラメータを変更して解を得る任務、システム部門はユーザの要求によりモデルの修正や操作環境の改善をする任務へと分化した。

ユーザは、通常の事務システムと同様に操作の簡便性を重視する、線形計画法を例にすれば、各種パラメータはメニュー形式で指定できるようにし、出力は報告書形式、できればモデルを画像表示にすることなどの要求が主になる。このような変化により、ユーザ部門でもORの専門家は不要になる。
 このような変化の過程において、線形計画法の意義は単なる物質収支の計算ツールになり、本来重視されたシャドウコストやレンジングなど「解をしゃぶりつくす」ことはなく、用語さえ知らない状態になる。
(PERTでも同様で、日程表(ガントチャート)作成ツールになったしまう。)

統計的手法は、工場などの技術屋の分野では着実な進歩を続けてきた。1980年代での特徴は、新分野(いわゆる事務屋業務の分野)への適用が顕著なことだった。

これらのうち、適正発注などのルーチン的な業務は、オーソライズされたシステムとして定着し発展が続いている。しかし、操作面の改善や他システムとの連動など事務処理面での発展とは裏腹に、個々の店舗固有の情報の入力などは敬遠され、当初のような期待とは異なってきた。

ルーチン化していない分野では、
  現場調査などは実務部門の負担増になるので、積極的な協力が得られない。
  そのため、調査項目は絞られるし、測定値の信頼性も低い。
  モデルに信頼性がなく、その結果を意思決定の重要な資料とするのはリスクが多い。
  このような方法を経営者に売り込むには躊躇する。
  チームに参加した実務部門のメンバーも熱意を失う。
という結果になるケースが多くあった。
この分野は、現在でも行われているが、往年のような熱意は失われたようである。
その後、AIの爆発的な関心の高まりにより、新イメージで復活してきた。成功例も発表されている、しかし、上記のような問題が解消するかは、今のところ不透明である。


AIの普及とORの忘却(1990年代後半~)

データウェアハウスと統計的手法

BI(Business Intelligence)とは、利用者のPCに、利用者の業務に直結するデータを簡単な操作で表示できる仕組みのこと。メールや予定表、店舗別、商品別販売速報など多様なメニューが用意される。
 OLAP(On-Line Analytical Processing)とは、店舗別、商品別販売速報などを多次元データベースの形式でもち、多様な切り口で検索・集計・表示等をするシステムである。
 データウェアハウスとは、基幹系システムで収集蓄積したデータを、エンドユーザが任意の切り口で検索加工しやすい形式のデータベース。あるいはその保管サーバのこと。データウェアハウスは全社的な用途を目的とするのに対し、部門別に特化したものをデータマートという。
 PCから、大量のデータを、簡単な操作で、多様な切り口で検索・加工・表示(グラフも)できることにより、広く普及した。

これらの加工手段に統計的手法などのOR手法を取り込めば、より適切な意思決定に役立つ資料が得られるであろうが、そのようなアプローチはされなかった。おそらく、当事者がORの知識に乏しく、どのような局面に利用すればよいかを知らないことが理由であろう。
 同様なことが Excel などの表計算ソフトでもいえる。多変量解析などの関数や線形計画法などのツールが搭載されているのに、一部のユーザを除けば、その存在すら知らないのではなかろうか。

Codd や Inmon は、これらの構築にあったて、元データのクリーニングを注意している。これは、往年の統計学では重要視されていたことでもある。元データの異常値や欠損値などへの考慮をせずに用いると、思わぬ結果になるし、利用者がそれに気づくのは困難だと指摘している。しかし、現実にはあまる重視されていなかったようだ。

私の経験(失敗)では、「データの定義」があいまいで利用者に周知していないために誤解が生じることが多かった。例えば3月に売上計上したのに4月に買い戻しがあったとする。財務会計では決算期間が定められているので別々に計上するが、需要予測に用いるならば3月の売上から差し引いておくのが適切である。

AIと統計的手法

データマイニングと統計的手法

データマイニングとは、膨大な元データベースを統計的な操作を行い、気づかなかった項目間の法則性を発見することを主目的とした手法である。それには。データベースの各データの項目値の違いや各項目間の関係を統計的方法で計算することが基本になる。
 そのような計算手順は、従来の統計的手法(特に多変量解析の重相関分析やクラスター分析など)で確立している。すなわち、計算方法の観点では、両者の違いはないといえる。

両者の大きな違いは目的の違いである。統計的手法は極端にいえば仮説の定量的表現あるいは仮説の確認にある。実際の解は知らないものの、おそらくこうなるだろうとの仮説をもっている。そのため、元データをそのまま使うのではなく、重要と思われる項目を限定し、そのほかの項目が影響しないように、データを選択した標本データを用いるのがげんそくである。
 それに対して、データマイニングでは未知の法則を発見するのだから、このようなデータや項目の選択はしないほうがよい。それで元データ全体をそのまま使うのが一般的である。
 そのため、データマイニングではデータ量は巨大になり、計算量も膨大になる。コンピュータ性能が向上したことによって実用化された方法である。

留意すべきことは、元データベースにはゴミがあることである。特殊な環境で発生したデータは特異値を含むし、本来あるべきデータがなんらかの事情で欠落しているかもしれない。それを無視した結果は。信頼性が低いといえる。すなわち、データマイニングの結果は法則発見の糸口にはなるが、正しい法則を発見したものではない。

AIと統計的方法

2010年代になると第3次AIブームになり、「AI」が社会的な一般用語になった。多くの分野でAIが活用され、その成果が喧伝された。(AIといえば高度だと思われるためか、単にコンピュータを用いたシステムさえ、「AI利用の~」が商品・サービス広告の枕詞になったほどである。)

AI利用には多様な分野がある。AI特有のニューラルネットワークを用いない分野では、データマイニングと統計的方法の関係のように、「利用目的は異なるが数学的な方法は同じ」ものも多くある。極端には、統計的手法はAIの技術的要素の一つであるともいえる。
  回帰(Regression)≒重回帰分析
  分類(Classification)≒判別関数
  クラスタリング(Clustering)≒クラスタ分析
  次元削減(dimensionality reduction)≒主成分分析

「AIはルールを自分で発見する」といわれるが、上のような分野では、データマイニングと同様な人間あるいは手法のルールの範囲内に限定される。ニューラルネットワークを利用した分野でも、中間層、ニューロン、シナプスなどのネットワーク構造はモデル作成者が指定したものだし、重みの計算なども統計的方法と同じ方法が使われる。決して人間が知らない数学理論が用いられているのではない。だから、その指定を変えればAIは異なる解に達するのだ。
 また、「AIは解を示すが、その理由はブラックボックスだ」ともいわれる。コンピュータの内部を1ステップずつ分析すれば、計算過程がわかるのは当然である。しかし、それには膨大な負荷がかかるし、それを利用者に理解しやすいように表示するのは困難だというのが理由だろう。

これらは「AIの目的は、何らかの解を得ることが目的で、モデルの正当性を確認するものではない」ことの別な表現だといえる。すなわち、データマイニングでの統計的手法との比較は、AIと統計的手法の比較だといえる。(データマイニングがAIの一分野であることから当然だが)


ORの再発見を!(個人的願望)

ORの歴史を振り返ると次のようになる。
  1940年代後半から1950年代前半に、ORの代表的な技法が出現した。
  1950年代中頃から、日本でもORが注目されるようになった。
   しかし、当時は手計算での理論的な話題や先駆的な事例紹介が主だった
  1960年代になると、コンピュータによる実用化の時代が始まる。
   当時はORの専門家(自称)が主体だったが、次第に社内で認知されてきた。
   ORの実務適用にさいして「ORの意義=ORの戒め」が説かれた時代でもある。
  1970年代~1980年代はORの全盛時代
   コンピュータの性能向上により、OR計算が日常的になる。
   OR運用者は専門家から実務家になる。
   それとともに「ORの意義」はかすんできた。
  1990年代中頃のデータウェアハウス
  1990年代末頃のデータマイニング
   データの活用を重視するようになったが、この頃には「OR」は死語になていた。
  2010年代からAIブームが起こった
   大規模データのブラックボックス的利用。ORの考え方とむしろ逆の立場が支配的

AIのうち、回帰やクラスタリングなどの分野は統計的手法と同じ計算方法が使われるので、違いは利用目的の違いだけであるし、それも固有のものではない。それでここでは、ORとは線形計画法やPERTなどの利用分野、AIとはニューラルネットワークを用いたAIであるとする。

ORを再発見せよ!

意思決定において、問題を、前提条件(仮定、主張)とその結論との因果関係を定式化(モデル化)して、論理的な方法で解を求め、前提の変化が結論に与える影響を検討するというORの考え方は、現在でも重要である。
 それなのに、現在の実業界では、ORが衰退するとともに、OR的な考え方も失われてきた。私は、ORの再発見が重要だと提唱する。

(脱線)OR適用の効果
 縦に自分の戦略、横に相手の戦略をとり、それぞれの戦略選択による結果を利失表にまとめて報告書や発表資料にすることは普及している。
 ここに「ゲームの理論」を応用すれば、両者が満足する選択、自分が有利になる交渉方法などへと発展できる。さらに主観値であっても利失を数値化すれば、その戦略と結果の因果関係が計量的に理解できる、このプロセスにおいて関係者の合意の形成や対立意見の評価もしやすくなる。

私はAIを否定したりはしないが、関係者が「頭を使うより、金を使え」であり、「理屈をこねずに神託に従え」という風潮に染まっているように感じる。この風潮は修正する必要がある。

現在、OR的なアプローチが下火なのは、問題解決にあたる関係者が、ORの存在を知らないことが主な原因である。その原因の一つに「ORは難しい数学を使うので理解しにくい」という誤解がある。
 2000年中頃に、実業界のニーズと大学教育のアンマッチが問題になった。あるIT関連学部の学生へのアンケートでは、ORは「実務で役立たなかった大学授業科目」の一つになっていた。
 その原因として、授業の内容が一般的には、OR技法の解法(しかも手計算で解く程度のオモチャ問題や、あまりにも高度な数学理論)に重点がおかれ、実務問題へのアプローチの方法などが不十分なことがあげられる。さらに実業界がORの存在を知らないのでは、ORを活用する基盤そのものがないのだから、それを試みる機会すらない。役に立たないのは当然である。

本当に「ORは難しい」のだろうか?
 線形計画法を例にすれば、「いろいろな条件の制約下で、利益最大またはコスト最小になる状況を求める方法だ」程度でよいし、「制約条件は一次不等式で表現する」まで知っていれば十分である。その数学的な求解の方法はアプリケーションに任せればよい。アプリケーションの中身を知りたいというのは、AIではニューラルネットワークの構造や重みづけの計算方法などを知りたいというのと同じである。後者のほうが圧倒的に難しい。

「ORの考え方」を叩き込まれた人たちの大部分はすでにリタイアしており、絶滅危惧種になっている。急がないと本当に絶滅してしまう。