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キリンとアサヒ

ポイント

PPM,ポジショニングの例として、キリンの積極投資によりビールを「金の生る木」にした例、アサヒがスーパードライで成功した例を示します。

キーワード

キリンとアサヒ,経験曲線,PPM、金のなる木,市場細分化


以下の記述は、PPMなどの例として私が解釈したものなので、両社がこのような認識で行動したかどうかは不明です。

ビール産業の復活

第2次世界大戦以前は大日本麦酒と麒麟麦酒の2社独占の状態でした。戦争中は戦時統制によりビールも配給制で価格や生産量も国が指示し、銘柄や商標も表示されない環境になりました。
戦後の1949年に、自由販売が復旧しましたが、そのとき、大日本麦酒が日本麦酒(サッポロ)と朝日麦酒(アサヒ)に分割されました。当時のシェアは、
  サッポロ 38%
  アサヒ  36%
  キリン  25%

でした(サントリーの参入は1963年です)。

キリンの独占体制の確立

1956年版経済白書が「もはや戦後ではない」といったように、日本経済は急速に成長しました。それに伴い、ビールの消費量も年率15%以上の伸びになりました。酒税の都合から、酒類の生産や価格に関して国税庁の介入が強く、卸売業者の免許制度、排他的特約店制度があり、新規参入への障壁がありました。それに対して、既存メーカーの競争は自由でしたので、限られた業界内の競争でよかったのです。
 この成長段階で、キリンは積極的な設備投資を行い、シェアを急速に伸ばしました。その結果、1970年ころまでに、60%以上のシェアを確保したのです。 シェアが高いことは、大量生産・大量販売による生産コストおよび販売コストの低下につながります。また、ブランドとしての地位も高まります。すなわち、キリンはビールを「花形製品」から「金の生る木」にすることに成功したのです。

ビールの価格は、国の統制下にあったのが1964年に自由価格になりましたが、その段階ではキリンのシェアは既に50%を超えていましたので、キリンが実質的なコストリーダーになったのです。
 独占体制を確立したキリンは、価格競争をしませんでした。それには、これ以上シェアを高めないとする行政の対応もありましたが、コストが高いフォロアーが存在でき脅威とならない程度に価格を設定することにより、大きな利益を得たのです。

●成長期に積極的な投資をすることが、安定期での利益の源泉になる →参照:「PPM
●業界でのリーダーは、競争回避の戦略を選択するのが適切である →参照:「ポジショニング分析

アサヒのスーパードライ戦略

1986年当時、ビール業界はキリンが60%以上のシェアをもち、アサヒは10%を切り、サントリーにも抜かれる状況でした。この状況が続けば、アサヒの成長は望めません。
 これまでは、キリンもアサヒも、ビールといえば伝統的なラガービールでした。販売チャネルも似たようなものでした。この市場でキリンと全面競争を行うのであれば、により勝ち目はありません。
 このような状況を打開するために、アサヒは消費者調査を徹底的に行いました。そして、ラガービールに替わる「コク・キレ」に注目した辛口の「スーパードライ」という新製品分野に経営資源を注力したのです。すなわち、自社の得意とする市場を創出して、その市場でリーダーに競争を仕掛けたのです。

このスーパードライ戦略は大成功しました。発売当初では100万ケース程度を予定していたのですが、3年後の1989年には1億ケース100万ケースを上回り、1996年には、スーパードライがラガーを抜いたのです。
 限定された市場で成功したアサヒは競争力を高め、発泡酒や生ビールなどの新分野でも高いシェアを獲得し、ついに、2001年にはビール市場全体で、トップの座を獲得したのです。

●チャレンジャーは、自社の得意分野に資源を集中し、限定した市場でリーダーと競争するべきである →参照:「ポジショニング分析」「ランチェスターの法則

現在のキリンとアサヒ

トップの座を得たアサヒでしたが、2006年には再びキリンに抜かれました。「第3のビール」が急成長し、ビール系の2割を占めるようになったが、アサヒの「新生 Asahi」がキリンの「のどごし〈生〉」に負けたのです。その原因の一つは、スーパードライで成長を続けてきた結果、消費者の嗜好に商品開発が対応しきれていなかったことにあるといわれています(このことは、以前のキリンがラガービールに安住していたことと同じです。
 その後、キリンとアサヒは、激烈な首位攻防戦を続けています。

●成功は失敗のもとである →参照:「インターネットによる産業秩序の再編成


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