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OR(オペレーションズリサーチ)を取り巻くトピックス


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ORの年表

ORの誕生と普及

第二次世界大戦中のOR適用

ORは、第二次世界大戦中に英軍、続いて米軍により「作戦研究」として誕生した。そのため、初期のOR適用例では軍事目的のものがほとんどである。
 当然、軍事機密であったが、終戦後出版されたモース キンボール著『オペレーション・リサーチの方法』(P.M.Morse, G.E.Kimball,"Methods of Operation Research",1950.)では、多様な適用例が紹介されていた。以下は私の記憶だが、おそらく同書にあったのではないかと思う。
 当時は、課題それぞれに個別なアプローチをしたのであり、ほとんどの場合、観察により集めたデータを統計的に分析しただけである。線形計画法などの特別な技法を用いたのではないし、体系的な研究をしたのでもない。

戦後もORは軍事目的に利用されている。線形計画法やPERTなどは米軍内で開発されたものである。

各種OR技法の出現

OR紹介期での戒め

戦後、軍のOR研究が民間に公開されるようになると、ビジネスの広い分野に適用されるようになった。当時、OR運営での心構えが説かれた(私見も加えて冗長な記述になっているが、後述の「OR利用のの矮小化」での布石となる重要な事項である)。

日本での初期OR普及

日科技連の活動

QRやIEなど生産性向上、品質向上などとともに、日本のOR誕生は日科技連(注)の活動が重要である。学界や産業界のOR研究者の交流の場となり、講習会や図書出版などを通して、ORの普及、ORワーカーの養成を行ってきた。

(注)1944年に、戦時下における科学技術者と生産関係者の結集を強化する目的のたに、内閣技術院の外郭団体として大日本技術会が誕生した。戦後、大日本技術会を解散・再編成して、任意団体として日本科学技術連盟(日科技連)となった。その後、1960年に科学技術庁監督下の公益法人になる。参照:「日科技連 年史」

国鉄・電電公社のOR

初期のOR活用で有名なのは国鉄(現JR)と電電公社(現NTT)である。双方とも研究所に優れた多数の研究者をもち、国の機関として大学との交流も密接であった。また、民間企業では具体的なOR適用や成果は企業秘密になるため発表されることが少ないので、これらの発表は貴重なものであった。
 私はこれらの組織とは無関係であり、OR学会の機関誌やOR図書で知るだけであったが、例えば次のような適用例があったのを記憶している(単なる記憶なので誤りがあるかもしれない)。

  • 最適停車時間
    駅での停車時間を短くすると乗り損なった乗客の不満が大きくなる。長く止めると遅れが生じ、その間に構内の乗客が増大し、さらに停車時間が長くなる。最適な停車時間は何分か。
  • 中央線の快速停車駅
    中央線を各駅停車と快速の複々線にするのに際して、混雑の緩和と遅れの防止を最適化するには、快速停車駅をどうすればよいか。必ずしも乗降者の多い駅ではないことが判明した。
  • 電話の呼損率
  • 電話回線の容量が小さいと電話がつながらない。その割合を呼損率という。電話をかける数、通話時間、呼損率の間には待ち行列の公式が適用しやすい。多様な状況における公式が開発された。
    環境を変えた待ち行列の公式に関する論文があまりにも多く殺到するので、その種の論文は受理しないようにしたらという意見もあったとか。
  • 至急電話の料金
    当時の電話はなかなかつながらなかった。交換手を通す市外電話では普通、急、至急の区分があり料金が異なっていた。待ち時間と料金の関係はどうか。
  • 電柱の最適取替
    当時の電柱は木材であり腐食による事故が多かった。取り換えるべき本数がマルコフ過程で表現できるとのこと。
  • 組織分割問題
    その後、国鉄も電電公社も民営化され、地域分割されることになった。そのとき、分割による効率性、分割の公平性などに関するOR的考察が多くあった。

石油業界での線形計画法の利用

線形計画法の典型的な適用分野は、石油産業での製油所モデルであった。原油の性状、装置の能力、製品の品質などを制約条件とし、製品売上高-原油費用ー装置運転費を最大にするモデルである。数百から千個程度の制約式になる。
 三菱石油や東亜燃料などいくつかの石油会社は、すでに1950年代に米国での線形計画法の活用に関心を持っていた。そして、1960年代中頃には業界全体に普及し、原油の選択や生産計画に広く使われるようになった。
 しかし、当時の国内石油会社はそれを解く能力のあるコンピュータを持てなかった。それで、IBMの計算センターには、石油産業に適したBonner & Moore社と開発したMPSという線形計画法のパッケージを搭載したIBM7090(のちに360)が設置されており、それを使うのが一般的だった。

当時の石油会社には電算室があったが、特に線形計画法などORを主業務とする部室があり、数理計画部(室)などと呼ばれていた。その連中が計算センターに半常駐していたのである。当然、計算センターには大口ユーザ用の個室があったが、互いに顔見知りになる。また、待ち時間の手持無沙汰でブリッジで遊ぶことが多かった(石油会社には海軍出身者が多かったためであろう)。それを通して親しくなり、ORモデル化や計算費用削減のノウハウなども交換していたのである(業務違反かもしれないが時効であろう。当時のOR屋は連帯感が強かったのだ)。
 線形計画法は、当時としては大型処理であった。ミスがあれば多大な計算代金がフイになる。それで社内コンピュータを使って、モデルのエラーチェックや可能解存在のチェック、得られた解の分析などを行うプログラムを開発するなど、多様な苦労をしたものである。

線形計画法の普及は石油製品の原価(管理原価)の考え方に大きな影響を与えた。石油製品は連産品である。当時の高利益製品のガソリンを増産しようとすれば、原油より安価な重油ができてしまうし、装置に余裕がない場合は灯油を増産することはナフサや軽油を減らすことになる。
 そのため、ある製品の原価(増産する費用)は、従来の会計計算での原価は不適切であり、線形計画法でのレジューズドコストのほうが適している。しかし、レジューズドコストは制約式の変化により変化するので不安定である。どのような原価(損得の評価としての管理喧嘩)設定をすればよいかがORワーカーと経理部員、販売部員の論争の種になった。

建設業界でのPERTの利用

日本でも、1960年代後半には、土木建設業界やプラントメーカー業界で実務的に活用されていた。メーカーと発注者からなる進捗会議では、PERT図を囲んで議論するようになってきた。
 PERTの採用は、指揮命令に多大な変化を与えた。それまでは「工期短縮のために、全員一丸となって奮励努力せよ」的なハッパをかけていたのだが、クリティカルパス以外の作業が努力しても効果がない。クリティカルパスを正しく認識し、その工期短縮手段を指示することが管理者の任務になったのである。

PERT解法のロジックは単純であり、整数演算が主だったので、当時のコンピュータ性能でもかなりの規模のPERTモデルが取り扱えた。プロジェクトは常に環境が変化するので、それに即応して再計算する必要がある。
 ところが、建設現場にはコンピュータがない。壁に張り巡らされたPERT図に手作業で修正状況を記入するのだが、到底計算はできない。面倒なので、そのうちに修正事項も記録しなくなる。本社に電話を入れて再計算を依頼するのだが、変更情報がいい加減なので、送付されていた再計算後のPERT図は、現状と離れたものになってしまう。
 本社では経営者やスタッフが美しいPERT図を眺めている間に、現場ではそれとは無関係なプロジェクトが進んでいるという状態も多くあった。

ORの埋没、そして復活(?)

1960年代には関心の高かったORは、1970年代になると次第に話題性を失った。それから1990年代中頃までは、ORの氷河期といえる。
 1990年代後半になるとデータマイニングが、2000年代後半にはビジネスインテリジェンスが注目されるようになった。これらは、多変量解析がベースになっており、ORの復活とも思われるが、本来のORが意図していたような利用にはなっていない。

DSSの概念

意思決定を支援するためのコンピュータ活用は、1970年代になってむしろ重視されるようになった。DSS(Decision Support System)である。
 DSSには二つの分野がある。その一つは、(狭義の)DSSである。損益計算書や原価計算の定義式や原料-設備-製品間の関係式、投資や人材育成の効果に関する経験則などにより、企業モデルや予想財務モデルなどを構築する。そして、「原価が5%アップしたら、利益はどうなるか。現在と同じ利益を得るにはどれだけ増販する必要があるか」というような問題(What If問題)を対象にする。Excelのゴールシーキングのような使い方である。ORが与えた条件での最適解を求めるのに対して、DSSでは、人間とコンピュータが対話的な作業をして、大量のコンピュータをコンピュータが行い、人間が満足解を発見するというような使い方である。
 もう一つのDSSは、販売システムや経理システムなどの基幹系システムで収集蓄積したデータを、エンドユーザが使いやすい形式に整理して公開し、多様な切り口で検索加工するような利用形態である。これは、1980年代を通して情報検索系システムとして普及し、1980年代のデータウェアハウスへと発展した。

OR利用のの矮小化(ORの氷河期)

DSSのように、意思決定へのコンピュータ活用の概念は普及したのであるが、反面、ORへの関心は薄れてしまった。一般の企業では、ORを明示した部室がシステム部門の担当レベルになり、ORの利用は特別な専門家もいないアプリケーションの一つになっていった。
 石油会社の線形計画法、建設会社のPERTが使われなくなったのではない。むしろ、日常のルーティン業務として使われる頻度は圧倒的に増大している。ところがそれらは単なる計算処理アプリケーションとなり、往年の「OR=ものの考え方」という思想、前述の「OR紹介期での戒め」に掲げたような事項は、忘れさられてしまったのである。

その理由として、次のことが考えられる。
 1960年代では、ORモデルを解けるコンピュータは大型コンピュータだけだった。それで、ORモデルの計算はシステム部門内では特殊扱いされていた。それが、コンピュータの性能向上、事務処理等の他のアプリケーションの大規模化などに伴い、ORモデルの計算を特殊視する必要がなくなった。
 OR導入当初は、ORを真剣に研究した教祖型の専門家が中心になっていたが、コモディティ化するに伴い、ORの素人である実務管理者が主体になる。彼らはORの解が実務に適用されることを重視する。そして、その操作方法の簡便化や、解を見やすくする出力表現の改善などに関心をもち、ORの考え方などには関心をもたない傾向がある。
 ORの衰退は情報検索系システムの普及と裏腹の関係がある。多変量解析などの統計処理は、少量の標本を適切に加工することにより、全体を推定する技術である。ところが、コンピュータの能力向上により、全数を対象にすることが可能になった。それが情報検索系システムである。しかも、全数を対象にした処理のほうが正確だという誤った認識が広まってしまった。コンピュータは省力化よりも省脳化に貢献したのである。
 初期のOR対象業務は、生産計画や工程管理など技術系部員が多い部門を対象としており、その部門業務遂行に密着していた。そのため、業務担当者が高い関心をもつだけでなく、ORモデルや条件と解の関係の数学的解釈などが理解できた。ところが、ほとんどが事務系部員である流通や営業の問題に移ると、対象問題が長期的な業務改善など日常性が乏しい傾向があり、事務系部員にはORの数学的要素が煙たがられる傾向がある。このようなことから、ORワーカーと実務担当者の間に壁ができてしまった。そのため、ORが一部の人たちの「趣味」のようにみなされるようになった。

大学ではORの講座がある。反面、情報分野では大学教育と実業界のニーズとの間のミスマッチが大きいことが指摘されており、ORは「実務で役立たなかった大学授業科目」の一つになっているという。
 その原因として、授業の内容が一般的には、OR技法の解法(しかも手計算で解く程度のオモチャ問題)に重点がおかれ、実務問題へのアプローチの方法やモデル化での問題点などが不十分なことがあげられる。さらに重要なのは、上述のように実務界が(本質の意味での)ORに関心を失っている(というより「OR」という用語すら知らない)ので、それを活用する基盤を失っていることがあげられよう。

ORの復活?

  • 1993年 コッド、OLTP(On-Line Analytical Processing) の提唱
  • 1995年 インモン(W.H.Inmon)、データウェアハウスの提唱
  • 1995年 人工知能学会、データマイニングの用語
  • 1989年 ドレスナー、BIの提唱
  • 2000年代後半 日本でもBIブーム

データウェアハウスとは、基幹系システムで収集蓄積したデータを、エンドユーザが任意の切り口で検索加工する利用方法であり、1970年代のDSSとほとんど同じ概念であるが、1995年ににインモン(W.H.Inmon)がデータウェアハウスに関する3部作を著したことから急速に発展した。リレーショナルデータベースの発案者であるコッド(E.F.Codd)は、データウェアハウスのような分析を主とする処理をOLTP(On-Line Analytical Processing)と名付け、その用途には、リレーショナルデータベースよりも多次元データベースが適しているとした。

マイニング(Mining)とは探鉱のこと。データマイニングとは、データウェアハウスに保管されているような大量データを分析することにより、従来気づかなかった法則を発見すること、仮説を検証する利用方法である。
 OLAPが単純な集計手法を用いているのに対して、データマイニングでは多変量解析など高度な統計手法をベースにしている。データマイニングの紹介でよく引用される事例(伝説?)に米国大手スーパーでのバスケット分析を活用した「紙おむつとビール」がある。
スーパーなどの量販店では顧客あたりの売上を高めることが利益増大に直結する。それには併売(ついで買い)をさせることが重要で、どの商品とどの商品が一緒に買われるかを調べて陳列を工夫している。その併売実績を調べる分析手法がバスケット分析である。A商品とともに買う商品は何か? を調べるのは簡単だが、商品が特定されないときは数千品目の組み合わせになるので、高度な統計手法が必要になる。その併売実績を調べる分析手法がバスケット分析である。
米国では、スーパーに紙おむつを買いにいくのはハズバンドの仕事だ。米国でもそれには抵抗がある。紙おむつの隣にビールのセットを陳列しておくことににより高い併売効果が得られたという。

BI(Business Intelligence)もデータマイニングと同じような概念である。BIは統計的手法に限定せず、OLAPのような利用も含むとされるのが通常だが、人によってデータマイニングといったりBIといったりしている。BIという用語は、ガートナー社のドレスナー(Howard Dresner)が1989年に用いていたというが、それが普及したのはデータマイニングの後であり、日本では2000年代後半に米国メーカーから多くのBIツールが提供されるようになってからである。
 なお、2000年代後半には、BIの発展形として、ERPパッケージなどとも連動したCPW(Corporate Performance Management)という用語も出現している。

データマイニングやBIの普及は、ORの復活だともいえる。OR技法を内蔵したツールもある。ところが、それらの謳い文句では、操作が簡単、処理時間が短い、多様なグラフが得られるといった「OR利用のの矮小化」で述べたことが強調されている。
 統計手法の素人が手法の特質やデータの吟味もせずに、3D動画になった色彩にあふれたグラフを見て、科学的分析をしたと思っているのは喜劇的である。無意識に自分が「ORでウソをつく」犠牲者になっているのだ。せめてその解を信じて実務に適用するのだけは避けてほしいと祈るのは私だけではあるまい。